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コズミックディスクロージャー  2016夏放映 -1 元アメリカ軍航空宇宙エンジニアのウイリアム・トンプキンス インタビュー

2022-02-02 17:23:00 | 日記
ディビッド・ウイルコックの司会で
全米で放映され話題になった、コズミックディスクロージャー。
2016年夏、インタビュー当時94歳、
第二次世界大戦も経験しているアメリカ海軍退役軍人、
ウイリアム・トンプキンスの内部告発は、
幅広い範囲の天才的な知識と、具体的なデータ、写真、
膨大な設計図、契約書類、内部文書等、
番組で既に登場していたコーリー・グッドの
秘密宇宙プログラムの情報開示の証拠を示す事になった。
SSP(秘密宇宙プログラム)を立ち上げた、ウィリアム。
告発はまず彼のキャリアから始まる。

      少年時代、海軍と関わる
      宇宙にいたドイツ人
      エリートと民衆
      ロスアンジェルスの空中戦

少年時代、海軍と関わる

ウイリアムは9歳の頃、
海洋船舶の模型を造る事に興味を持っていた。
彼は、図書館や新聞、細部調べたニュース等で、
本物そっくりの模型を造っていた。
その頃から既に、レーダーや機密仕様のスケッチが
海軍の目に留まっていた。(模型の写真2枚出)
1930年当時、日本の中国に対する懸念から
米海軍は東海岸から西海岸に移動する事になり、
ウイリアムの家族が住むロングビーチのすぐ側に
港を建設した。(当時の港建設の写真1枚、港2枚、航空母艦の写真、他4枚出し)
防波堤の側に東側海軍と太平洋艦隊の対応可能な
港が出来、週末一般人に開放した。
ウイリアムは父親から弟と一緒に見学に連れて行ってもらった。
航空母艦「レキシントン」「サラトーガ」が停泊して、
船に乗ったり、周りを歩き回ったり出来た。
空母レキラントンの巨大な格納庫や離着陸デッキは
司令塔レーダーの頂点まで上がって、
影を見て、あらゆる方向に歩いて数値を測って記録して、
数学を使って実物サイズを測った。
レーダーの繊細な部分のデータや、
船首の秘密航空機射出機、より早く離陸する装置等、
繊細図面を描き、その部分を造って模型に足して行った。
40機程造った時、船の模型コレクションが話題になって
新聞社が取材に来た。(僕の海軍特集新聞記事1枚、コレクションの模型写真3枚出)
新聞で「僕の海軍」と言う特集記事が出た。
それがきっかけで、ブロードウェイデパートの
正面ウィンドーの大きなエリアに模型は展示された。(コーナー写真2枚出)
すると海軍から、声がかかり、
休暇をとってハリウッドの基地に行く事になった。
そのあと、模型の正確さを海軍諜報部門に連絡されて、
ランルシャー通りの父の職場にサンペドラから軍人が来て、
父は2日半拘束された。
ハリウッドのアパートの兄と同じ部屋は
ウイリアムの書類で山積みで、軍は全てを見た。
3日後、又来て見て、4日後更に全て見直した。
ロシア人でもスパイでも無いことがわかって
父は解放された。
仕事の都合でロングビーチから引っ越ししてからは
2年間特別学校に通い、そのあとハリウッドの中学に行き、
ハイスクールでは設計の授業をとったが、勉強は
独学で既に出来ていた。
その頃海軍から父に連絡が入り、
兄弟をウイルソン山に連れてくるように言われた。
パサディナ東の高知エリアで100インチの望遠鏡を見たり、
訓練生と同席して宇宙飛行士の話を聞かせてもらった。
その中での質問に、「宇宙には何もない」、と答えていたので、
何となく、宇宙には惑星があって、誰かが住んでる、と
2度、その話をした。
すると再び、海軍諜報部から、
父と本人がサンペドロに拘束され、
プログラムに入隊する一連の手続きを行った。
海軍に入隊後、カリフォルニア、ロスアンジェルスの
タウニーニヴァルティ航空社(現北米スペースシステム社)に入社し、
ET通信システムの変換、複製、使用化の部署に着いた後、
ロッキード社サンタモニカの製図者として赴任した(契約書写真1枚出)
そこでまず船の模型を造ったら、
あっという間に社の広告に使われた。
それが副社長の目に留まり、
ダグラスSH帆船のコピー版の巨大な帆船の設計を任された。
短期間で設計して実物を造ると、
2週間で課長が経歴を確認してきた。
海軍の経歴がある事が分かると
社のシンクタンクとして、
ETについて調査する
200人程の部署に移動になった。
海軍は16〜18階層の戦闘艦隊で、
宇宙を飛ぶ宇宙船艦隊と
宇宙航空艦隊(ソーラウォーデン)が含まれていた。
宇宙航空母艦はダグラスエンジニアリングシンクタンク
から生まれたものだ。(母艦写真1枚出)

宇宙にいたドイツ人

1942年の大戦中、リコポッタ海軍司令官は、
海軍のスパイを次々にドイツに送り込み、
ヒトラーとシークレットサービスの
レプティリアンとドイツ人の軍の科学者含む一部が協定の情報を掴んだ。
情報では何百種もの先進兵器や、クロムモリブデン銅製クラフト、
協定はレプティリアン所有のパラレルスペースで開催する、
地下に巨大な製造施設があって、UFO型の乗物の製造も始める、
と言った情報を伝えた。
スパイの証言を海軍では誰も信じなかった。
この情報は大佐1〜2人とリコポッタ司令官と
ウイリアムが聞いた。もう1人、
海軍司令官リコポッタの第一秘書官、
ジェームシ・フォレスタルはそこで記録していたが、
彼はその事を大勢の人に話した。
その後ノイローゼで入院して、
ワシントンの病院の最上階の窓から突き落とされた。

この頃、ドイツ以外、誰もETの事を知らなかった。
海軍のスパイは巨大プロジェクトを組んで、
部分的に繊細な情報を持ち帰り、リコポッタに流した。
北欧系ETがいて、人間そっくりで、
彼らの寿命は1400〜2200年であることや、
先進医療システムの事等。
アリア・オリシック(本人1枚と5人の女性1枚の写真)
北欧系ETの美しい女性は、
ドイツ人科学者らのプログラムに組み込まれ、
8人の女性のET達でテレパシーで交流しながら、
宇宙船を設計し、製造したと言う。
それはエリア51迄飛来した。
ドイツ人エリートはそれを奪取したが、
SSの圧力がかかってストップした。
ヒトラーは他のSSの開発活動とは別に
エリートらの独立運営を許可したが、
女性のET達は、
移動手段以外、軍事目的で使わない様に言っていた。
彼女達は南極の巨大施設に移された。
レプティリアンは3つの巨大洞窟以外の、
2つの洞窟をドイツ人に使わせた。
終戦4年前、ドイツが負けるか、勝った場合も、
のちに同盟国がドイツを崩壊させると判断していた。
地球には無理、と軍エリートのパート最高司令官は、
1週間で南極に全て運び出そうとした。
海軍各分野のトップにいた人材、航空機、船、兵器…。
だが、5週間かけても出来なかった。
アメリカは南極の西側と反対側から
大陸の中心に向けて襲撃しようと
4エンジンの航空ボート、船舶戦艦、デストロイヤー、潜水艦
を送ったが、それらが配置につかないうちに
直径30mの円盤が海中から現れて、
全て壊滅した。
鉤十字のマークはついていなかった事から、
ドイツのモノではなかったと言う。
UEO、ETが加わっていた、と思われる。
そこから月や火星や、色々な所に行っていた。
我々は戦いに負けた。

エリートと民衆

TRW社は生命先進システムについて研究をした。
トップ五大巨大企業、サンディエゴのスクリープスも関与し、
あと2年もしないうちに
地球の一部の人達は利用できる、と言った。
ウィリアムは、その恩恵にあやかるのは、
私達が置かれている場所ではない、
私達の生活の多くは隠されている、
学校、大学、医療、技術、数学、
私達の場所では学ぶものは、全て虚言だと言う。
運用も学ぶ能力も奪われている。
嘘の学問、歴史、医療、科学、報道、
全てレプティリアンにコントロールされている。
ローマ時代に遡っても、過去の歴史は、ずっと
エリートグループが軍隊も全て所有して、
我々を奴隷化して来た。

ロスアンジェルス空中戦

1942年、2階建ての大きい家屋を、
それぞれの階に2家族、合わせて4家族住むよう改築して
両親や兄弟の家族と住んでいた
家には広く立派なベランダがあった。
海から4ブロックあったので、そこから海は見えなかった。
兄と2人で過ごしていた時、
父親が大きな声で、「ベランダに来い!」と叫んだ。
兄と2人でベランダに行くと、木々の向こう、
水平線と思われるすぐ上に、白い点が見えた。
静止した明るい点で、左に向けて
ペンシルビームのような細い光線を放っていた。
5分後、閃光が差して裏庭の木々全て明るく照らして消えた。
家族で探しに行ったが、全ていなくなっていた。
夜中12時、対空砲が発射された。
防波堤は海軍の船で埋め尽くされていた。
攻撃は5時間続き、米海軍、太平洋のふたつの艦隊が、弾薬全て使い切った。
当時カリフォルニアで100万人が、この5時間に起きた事を
目撃していたと言う。