生かされて活かされて 痛さん&さなさんのブログ

おのれを忘れて他を利する。
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ふり向く阿弥陀像(京都・永観堂)

2016年11月16日 | ドライヴ

永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、
「永観、おそし」
と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。(写真、文ともに永観堂公式HPより拝借)

今年(2016年)の7月、ワイフと二人、愛車シビックで横浜から京都までこの阿弥陀さまに会いに来た。
実は前年の11月にも会おうとしたのだが、季節はモミジの真っ盛り。人も車も大渋滞で泣く泣く諦めたことであった。

そして今回、「夏の京都なら比較的すいているだろう」という読みでやってきた。

南禅寺近くのコインパーキングに車を置いて、7月末だというのに少し肌寒い小雨の中を永観堂までのんびりと歩を進める。
なるほど、この辺りは秋の紅葉シーズンは人で埋め尽くされるであろうことは容易に想像できる。

南禅寺は帰りに寄ることにして山門前を素通りし、やがて目的の永観堂へとやってきた。


雨模様のせいもあるのか、幽玄な雰囲気が私たちを迎えてくれる。
参道わきのモミジが半端なくすごい。


拝観料を払って中に入ると、良く手入れされているお庭にもモミジがまたすごい。
ひと気は、無い。

拝観順路に従って諸堂をめぐると、崖に沿って作られた木の階段を上った先に目的の尊像が祀られているお堂があった。


(永観堂公式HPより拝借)

お像は思っていたよりも小ぶりであるが、じっと見ていると心が落ち着く。
ようやく会えた。



帰りに南禅寺に寄ってみた。
こちらは雨の中多くの観光客でにぎわっていた。