生かされて活かされて 痛さん&さなさんのブログ

おのれを忘れて他を利する。
穏かで慈悲のこころに満ちた生活を送りたいものですね。
日々のできごとをお伝えします。

桐の花

2015年04月30日 | つれづれ
我家の近くに桐の木が二本あります。
一本は街路樹のように。
もう一本は小さな公園に…。

今年も花が咲きました。
桐の木って、そうそう見ないし、しかもその花って珍しくないですか?




頑張れベイスターズ

2015年04月24日 | つれづれ
今年はじめて横浜スタジアムへ行って来ました。
毎年何回かワイフとベイスターズの応援に行くのですが、今回は会社の上司と2人で行きました。
今年のベイスターズは開幕ダッシュが効いていて、ここまで何とか定位置を免れています。
でも4月はまだ寒い。
だが、しか~し。
ゲームは初回から熱かった。



若き主砲の筒合が満塁HRを打つなどして安心して見ていられる展開で、ビールが進んでしまった。
(ま、いつものことですが…)
今年こそクライマックスシリーズ、そして優勝を願いたいものですね。


東名上り(御殿場→東京方面)の賢い走り方

2015年04月06日 | ドライヴ
 休日の夕方、東名高速を東京へ向かって走る時に良く知られているのが厚木IC付近を先頭とした渋滞です。特に連休の最終日ともなると40km位の渋滞となり、厚木IC付近を抜けるのに2時間以上かかる時もあります。

 そんな渋滞にハマった時でも実は賢い走り方ってあるんですねェ。

 大井松田ICあたりから一番左のレーンを走ってみて下さい。

 特にICの近くでは渋滞を嫌がって手近なICから出る車が相当数あります。逆に手近なICから入って来る車は、よほど東名を使わなければならない事情がある人しか入ってこないので少ないのです。この「出る車-入って来る車」の差だけ瞬間ですが道路が空くんですネ。
 また、PAでは「トイレ休憩」に入る車が結構あります。逆にPAから出て来る車は面白いことにバラけて出てくるので、この「入る車-出て来る車」の差の分だけ瞬間的に前が空きます。

 さらに大井松田ICを過ぎたあたりから始まる「登坂車線」も利用します。「登坂車線」って気分的に走りたくないですが、渋滞の時は別です。なぜかここの「登坂車線」が一番進みます。

 こうして一番左のレーンを辛抱強く走っていると、やがて「厚木まで2km」の標識が出てきます。

この「厚木まで2km」の標識を超えたら今度は一番右のレーン(追越し車線)を走って下さい。

 渋滞の中を一番左から一番右までレーン変更するのはチョット大変ですが、ここでレーン変更しておかないと先へ行って後悔します。


 厚木ICって構造上「渋滞するように」できてますよネ? ICからは2車線で来て、本線の一番左レーンの1車線に合流するようにできてるんですから。 本線を走っている車はこれを嫌がって一番左のレーンの人が中央のレーンに車線変更して来るんだよネ。 で、結果として厚木ICの合流では一番右のレーンだけ流れて、他は止まってしまうことになります。

 特にこの傾向は(いわゆる)サンデードライバーが多い休日に起きるようです。 流れの中で車線変更してくれれば何てこと無いのに、車線変更したくってウィンカーあげて停車してしまう人がいるんだナ。
 こうなったらもうオシマイ。 後ろは長蛇の列で「ご愁傷さま」。

草津温泉

2015年04月05日 | ドライヴ
 1999年4月14日(水)午前9時20分。愛車シビックで家を出た。1泊2日の草津温泉への出発だ。今回のドライブ旅行は我々夫婦の結婚25周年(銀婚式)の記念旅行である。

 横浜の自宅を出て第三京浜の港北ICから環八へ入ろうかと思ったが、少し出遅れた感があるので東名高速の横浜青葉ICから東名・用賀経由で環八へ出た。平日の出勤時間帯を過ぎた東名はガラガラで、覆面に捕まった車を1台左に見て難なく用賀の料金所を通過。環八も踏み切り渋滞が解消されたお陰か割と流れは順調だ。
 関越自動車道の練馬に入ったのが午前11時。そのまま流れに乗って高坂SAに11時20分に到着。トイレ休憩をしてワイフへハンドルを渡す。
 高坂SAも道路状況そのままに空いている。やはりドライブ旅行は平日が良い。幸い今日は天候にも恵まれて、朝から春の陽光が柔らかく射している。

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 ここからはワイフの運転で再び本線に戻り、渋川伊香保ICへと走り始めた。そしてカーステレオから流れる昔懐かしい「赤い鳥」と「カーペンターズ」の曲を聞きながら、こ一時間走って渋川伊香保ICを降りる。時計を見ると12時15分になっている。



「ここらでお昼にしようョ」
「そうネ、どっか無い?」
で、地図で探してみると近くにバーミヤンがある。
「バーミヤンとスカイラークがあるけど、どうする?」
「バーミヤン行ってみようか」
てなわけでバーミヤンに決まった。

 渋川伊香保ICの料金所を出て左に国道17号を伊香保方面へ行き、ホンの少し走った最初の信号「中村」を左折。一般道をそのまま直進して石原交差点(T字路)を右折。500mほど先の「市役所入り口」信号の左側に目的のバーミヤンがある。
バーミヤンはスカイラーク系列の中華専門ファミレスで、全国展開しているようだが入るのは初めてだ。

ちょうど昼時だったが、店内はパラパラの入りで待たされることもなく席に着いた。渡されたメニューをざっと見る。メニューはファミレス特有の写真がデカデカと載っている奴だが、迷うほど品数は多くない。
「チャーハンとギョウザ」
「エビ・ホタテ・イカチリ」のランチセット
と、それぞれオーダーした。
■バーミヤン渋川店 Tel:0279-20-1091 渋川市石原110-1

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 昼食を済ませ、地図で目的地「草津」までのルートを再確認して、出発した。最近「カーナビ」などという地図情報検索システムを搭載している車が増えているようだが、個人的には「無用の長物」だと思っている。目的地付近の地図があれば、それで十分。方位は天体の位置でおおよその見当がつくし、市販の五万分の一くらいの地図で目標物もわかるし、距離もわかる。場合によっては渋滞の抜け道、迂回路まで調べられる。
まあ、そんなことはどうでも良い。

 シビックはバーミヤンを出ると、バーミヤン前を走っている県道25号線を北上、国道17号に合流すると吾妻橋を渡って最初の信号「鯉沢」を左折。国道353号へ入った。
 横浜を出てくるときは「うらうら」と晴れていた天候が、ここらあたりに来ると黒い雲が覆ってきて、時たまパラっとくる。気温もグッと下がってきている。山に向かっているせいかも知れない。このあたり、桜が満開だ。
 しばらく国道353号を吾妻川沿いにうねうねと走って「中之条(なかのじょう)」という町に入った。町並みを少し走り、Y字交差点を左へ国道145号線へと入る。

 シーズンオフの平日のせいなのか、貸切に近い国道145号をのんびりと走っていると左に広い駐車場のある「吾妻茶屋」(2015年現在:吾妻・健康農園)があった。



 トイレ休憩のつもりで店内に入ってみたら、地の物なのか漬物や豆類、柑橘類、野菜類などが置いてある。大根の浅漬けが美味そうだったので、半身を買った。コンニャクイモも良さそうだったので味噌ダレと一緒に買った。家に帰ってから早速食してみたが、両方とも「ウン、いける」である。これはぜひともお薦めの一品だ。

 30分ほど店内をぶらぶらして、午後2時15分、いよいよ草津へ。「吾妻茶屋」さんから運転を交代、再び私がハンドルを握る。

 国道145号を草津に向けてのんびりと走る。ところどころで道路工事をしているのは冬の間に荒れた路面を直しているのだろうか。しばらく道なりに走ると「長野原草津駅」を過ぎた信号でほとんどの車が左折してしまった。我々はそのまま直進したが、地図を見ていたワイフが
「この点線の道路ができたんだァ」
と騒いでいる。
計画道路が点線で記入されていたのが開通していたようなのだ。
「でも大丈夫、このまま真っ直ぐ行って」
と隣でナビがしゃべるので、それに従う。

 狭い道を少し行くと「大津交差点」。
「左から来ているのがさっきの計画道路の出口みたい」
隣のシートで人間ナビがしゃべる。
ここを右折して国道292号(草津道路)へ入る。ここから明らかな登りになった。

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 草津温泉郷へ入ってきたが相変わらず行き交う車は少ない。まだ3時前なので今日の宿泊地「草津ハイランドホテル」のチェックインには早い。で、明日の天気が不安なので今のうちに白根山の湯釜を見に行こう、ということになって、そのまま白根山へ向かった。

 右に左にと細かくコーナーを登りながら、やがて白根山レストハウスへ到着。ここから先、志賀高原方面へは雪のためゲートが閉められていて通行止めとなっていた。車を降りると外は冬。スキーをやっている人が居る。耳が痛くなるほど風は冷たいし、粉雪まで舞っている。だいぶ地面がむき出しになっているが、それでもまだ雪がそこかしこ残っている。
 ここから湯釜へ行くにはロープウェイで山上へ登ってそこから歩くことになるようなのだが、春の格好で来ているのでとにかく寒い。この寒さでは湯釜は次回に譲ったほうが賢明だ。



 積もっている雪をザクザクと踏んで遊んだだけで早々に白根山を退散し、草津温泉のシンボル「湯畑」へ行くことにした。

 途中、西の河原へ寄ろうとしたが最寄の駐車場がよく解らず、結局バスセンター前の町営駐車場に車を置いた。駐車場を出てすぐの光泉寺境内を通って湯畑を見下ろす階段を降りて「湯畑」へ。まだ3時半頃なのだが、空は完全に曇っていて風も冷たい。そんな中、湯畑からもうもうと立ち上る湯気の煙が暖かい。「湯畑」の周りを左にぐるりと廻る。後から後から湧いてくる熱い湯を見ていると大自然のすごさが伝わってくる。



 しばらく「湯畑」を見学して駐車場に戻り、さっき行きそびれた「西の河原」へ向かった。道路標識には「湯畑」から歩いて15分とあったが、「西の河原」は今夜の宿の「草津ハイランドホテル」の直ぐそばということが解っていたので、車で移動することにした。
 「草津ハイランドホテル」を右に見て通りすぎ、天狗山第三という無料の駐車場に車を置いて「西の河原」へと降りていった。「西の河原」はイメージしていたよりは狭くて谷あいに湧き出した温泉を利用して露天風呂ができていた。ただ狭いといっても露天風呂の総面積が500平方メートルあるとのことで、普通ではない。  そして午後4時45分、「草津ハイランドホテル」にチェックイン。

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 翌朝、午前5時に目が覚めた。  昨夜は外湯廻りも面倒だったので、ホテルに併設されている「草津温泉館」で露天を含めた6つの風呂でミニ温泉三昧。そしてこの温泉館は朝6時から8時半まで宿泊客専用にオープンしているので時間を見計らって朝風呂を浴びに行ってきた。4月中旬の何も無いような平日で泊り客などないのでは、と思っていたが「何とかツアー御一行」の団体が入っていて風呂も朝食バイキングもそこそこ賑わっていた。

 午前9時30分、ホテルをチェックアウト。

 帰りは軽井沢経由にしようと、昨日登って来た草津道路を戻り大津交差点を右折、再び吾妻川沿いに国道144号を嬬恋方面へと向かう。道なりにしばらく走り、新三原大橋の信号を左へ、吾妻川を渡って万座鹿沢口駅前を通過。次の信号を左折して鬼押しハイウェイに入る。ハイウェイに入って割と近くに鎌原の「歴史民族資料館」の看板があった。我々は通過してしまったが、興味があれば止まってみるのも面白いかもしれない。

 雪をいただいた浅間山を見ながらシーズンオフでガラ空きの鬼押しハイウェイを快調に走っていると正面に料金所が現れた。ここで通行料¥360を支払って、さらにシビックは「鬼押し出し」へと向かう。この料金所は手前を別荘地へ入ればパスできるらしいが、次に来るのは何年先になるか分からないので道探しはやめた。

 10時20分、「鬼押し出し園」に到着。
 どこへ止めようか迷ってしまうほどガランとした駐車場に車を止めると、入園料を支払って中へ入った。「鬼押し出し園」へは何年か前に軽井沢へ来たときにチャレンジしたことがあるが、大渋滞に巻き込まれてたどり着けなかった情けない記憶がある。

 まず表参道から園内をブラブラと散策し始めた。園内は天明3年(1783年)の浅間山大噴火の溶岩で埋め尽くされている。当時の人々が「鬼が暴れて灼熱の岩を押し出した」と形容したのが納得だ。二百数十年を経て、そんな溶岩の間からは松や高山植物などがたくましく育っている。ここでも大自然の息吹を感じさせられる。

 ブラブラ歩いて朱も鮮やかな観音堂までやってきた。ここから奥の院をグルリと回ると1200mもあるので疲れそうなのでやめにして、高山植物観察コース(700m)をゆるゆると歩いて見て回った。



 1時間ほど園内を見て回り、11時少し過ぎに帰路につく。
 「鬼押し出し園」を出て鬼押しハイウェイを「峰の茶屋」まで走り、国道146号へ。中軽井沢交差点を国道18号線へ右折、「中部小入口」交差点を左折して「鳥井南」を左折で軽井沢バイパス(18号線)へ。途中の蕎麦屋「いち松」さんで昼食を摂ると、碓氷軽井沢ICから上信越自動車道へ入り、藤岡JCTから関越自動車道へと乗り入れた。

 帰りの関越道も順調に流れに乗って、軽井沢から三芳SAまで1時間半ほどで帰ってこれた。そして環八を少しトロトロして、午後2時30分、用賀から東名に乗り、草津へ向かうときの逆ルートで自宅へと戻ってきた。

再び浜松へ

2015年04月03日 | ドライヴ
1998.12.28~29
 午前5時。前日に仕掛けておいた目覚ましのブザーに驚いてモゾモゾと起きだし、ザッとシャワーを浴びた。今年は記録的に年間平均気温が高かったそうだが、さすがに12月も終わりの朝は冷え込んでいる。
「なぜそんなに早起きしたのか」って?
そう、今日はワイフと二人、1泊2日の「格安バスツアー」で浜松へ出かける朝なのだ。

 年末のバスツアーは今年で4回目。最初の年は今回とほとんど同じルートの浜松ツアーで、2日目に焼津の魚センターに寄っての正月用魚介類の買出しだった。その次の年の年末は仙台~松島~塩釜漁港へのバスツアー、そして去年は木曽路へバスツアーと、この時期ならではのお一人様1万円を切る料金での「格安バスツアー」なのだ。

 定刻の午前8時。我々ツアー客1行46名を乗せた近畿日本ツーリストの観光バスはJR横浜駅西口の天理ビル前を発車。次の乗車場所であるJR町田駅前を目指して走り始めた。今回のツアーの乗車場所は2ヶ所。横浜と町田になっている。

 バスは首都高の横浜西口から首都高速狩場線、南保土ヶ谷バイパスと経由して国道16号線へ入り、東名入り口を右折して町田街道へと入って行く。40分ほどでJR町田駅前に到着。「出発時刻は9時20分」との案内を確かめて、私とワイフは目の前にあった喫茶店「ルノアール」へ入りモーニングをオーダーした。

 やがて予定の出発時刻となり、バスは一路最初の目的地「可睡斎(かすいさい)」を目指して出発した。東名横浜町田ICから東名高速へ入り、ひたすら袋井ICを目指す。最近は「帰省ラッシュ」と言う言葉は死語になりつつあるのか、数年前まで帰省の車で大渋滞していた道路はガラガラ。適度な振動と、ウラウラと差し込む日の光に睡魔が襲う。それを破るかのように良くしゃべるガイド。でも、ついに眠気が勝って意識が遠のく。と、突然のガタガタと響くワダチの振動で「フッ」と我に返る。何度かそんなことを繰り返して、愛鷹PAでトイレ休憩となった。

 約15分の休憩の後、再び走り出したバスは東名を快調に飛ばし、予定通り袋井ICで一般道に降りた。

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萬松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい)
 遠州三山の一つに数えられる可睡斎(かすいさい)とは寺名で、山号を萬松山(ばんしょうざん)といい、応永8年(1401年)恕仲天閣禅師(じょちゅうてんぎんぜんし)により開山。曹洞宗屈指の古刹である。
 11代住職仙麟等膳和尚は、幼い家康とその父を戦乱から救い出した事があり、その後、浜松城主となった家康公は旧恩を感謝し、和尚を浜松城へと招いた。そして夜っぴいての昔話のその席上で、コックリと居眠りを始めた和尚を見て家康公は笑顔で喜び、『和尚我を見ること愛児のごとし。故に安心して睡る。我その親密の情を喜ぶ、和尚睡る可し』と言って、それ以来『可睡和尚』と愛称し後に寺号も東陽軒から『可睡斎』と改めたそうである。
 可睡斎に奉祀する秋葉総本殿は、明治6年に神仏合体から三尺坊大権現さまのご本躰が秋葉山より御還座された事から、火妨霊場として秋葉総本殿三尺坊大権現鎮座道場と呼ばれるようになり、名実ともに東海における禅の大道場として知られているということだ。



 「約10万坪の境内では、ぼたん苑や放生池、本堂をはじめ、70にもおよぶ大小の建造物があり、中でも総檜造りの瑞龍閣(ずいりゅうかく)は、安土桃山式書院造りを形どり、大広間には壮麗な天井画が描かれております。」と案内にある。



ツアーの最初の観光場所はこの「可睡斎」。前回来た時にはただ勝手に見て回っただけであったが、今回は現在この寺で修行をしているというお坊さんが説明してくれた。
「オンピラピラケンピラケンノンソワカ」
これが火防の真言(しんごん)だそうだ。この真言を何度か繰り返して唱えると火防のご利益があるのだそうだ。

 次に訪れたのが、小高い丘陵の上に立つ法多山尊永寺。「可睡斎」からそう遠くない。
 『ここは「はったさん」と呼ばれ、多くの人に親しまれています。神亀2年(725)聖武天皇の勅令により高僧行基上人が、この地に正観音菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。本尊正観音菩薩は浅草観音とともに由緒ある厄除(やくよけ)観音として知られています。天空にそびえ立つ本堂は鎌倉様式を現代技術で力強く再現した独特の風格が漂います。仁王門(国指定重文)は桃山時代の様式を伝え、非常に雄大豪壮であります。
 初詣は、東海一円から人がおし寄せ、県下では一、二位を競う賑わいぶりです。桜の名所としても人気が高く「遠州祭りばやし大会」などのイベントも開催され、華やぎを見せてくれます。』
と、案内にある。
 ふもとの駐車場から土産物を売っている店の並びを抜けて山門(仁王門)をくぐると杉の木立の中を通って参道が続いている。



 しかし我々は2回目でもあり、参拝は失礼して前回食べそびれた「厄除けだんご」を求めて参道の途中にある売店へ一目算に行ってみた。が、しかし、今年もやっぱりダメだった。年末のせいらしく店が開いていないのだ。もう元旦の準備に入っているのだろう。ガラス戸には白いカーテンが掛かっていて、中を覗くこともできない。しかも「厄除けだんご」はここの売店にしか置いていないのだ。帰りに門前の店屋さんを探してみたが、やはりどこにもなかった。

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 そろそろシートに座り疲れた一行を乗せて、バスは初日の行程を終え今夜の宿泊地「グランドホテル浜松」へ向かって走り始めた。

 我々にとって今回のツアーの最大の楽しみは、実は今夜にあるのだ。それは趣味で始めたスクーバダイビングに関連したメーリングリスト(インターネットを介した電子メール友達の輪)で知り合ったUさんが静岡の地酒でおいしい料理を楽しめる店を案内してくれることになっているのだ。で、直前のメールでUさんが仕事で遅れるのでYさんと飲んで待っていることになっているのだ。しかも、UさんともYさんともメールを交換しただけで初対面ときている。チョット「わくわく」してしまう。

 浜松駅界隈の渋滞を抜け、バスは「グランドホテル浜松」に到着した。我々は早速荷物をほどき(と言っても洗面道具を出した位のものだが)、ホテルからタクシーで待ちあわせ場所の「浜松駅新幹線改札口」へと出かけた。
 約束の午後6時になって、若い女性から声を掛けられた。
「あのぅ。痛さんさんですか?」
「そうですけど…」「もしかしてMさん?」と、私。実はもう一人「都合がつけば来る」と言っていた女性がいたのだ。それがMさんだった。
「女の子が来てくれて良かったァ」とワイフ。
お互いの紹介が済んだ頃にYさんがやって来た。YさんとUさんはインターネットのホームページに写真が載っていたので印刷して持って来たのだが、その写真と印象がチョット違う。話しているYさんは大柄な体躯とは不釣り合いな、やんちゃで優しい雰囲気を発散させていた。

 無事に会えて、「さて、どこへ行こうか?」という段になって、我々が3年前に浜松に来た時に飛び込んだ飲み屋を探してみよう、ということになり、ウロ覚えの道をウロツクことになった。
 大体の場所は見当がついていたので、駅前のロータリーを左の方へとブラブラと歩いていった。そしてネオンのきらめく繁華街の通りを歩きながら(何となく見覚えがあるゾ)という裏通りに目をやっていると、何本目かの小道でワイフが突然「あっ! あそこ!」と声を上げた。
「えェ? そうかァ? 道がキレイすぎる気がするけどなァ」
と、半信半疑でその小道を奥へ行ってみると、まさしく見覚えのある店の前に出た。
「あった! ここだ!」
「良く解ったね」
「3年の間に道がキレイになったんだァ」

 その店は「出世」という屋号の居酒屋で場所的には静岡銀行の裏手になるそうだ。「出世」という屋号は浜松城を別名「出世城」と呼ぶことから付けたのかも知れない。
 まだ6時を過ぎた頃だというのに店はかなり混んでいた。3年前に来た時は二人でカウンターに陣取ったのだが、今日は5人になることでテーブル席を陣地と決めた。「先ずはビールで乾杯」と思って店のお姉さんにビールを注文したら、Yさんが「アルコールはやらない」と言うのでビールの他にウーロン茶をオーダーした。
「つまみは何にしよう」と言ったら
「この店に来たらやっぱり"ワニ"でしょう」ということでワニ肉の焼き物と、
「カエルとダチョウも注文しよう」と、Mさんのリクエストでそれを頼んで、その他に野菜サラダとかをオーダーした。

 飲みながらの話題はもっぱらスクーバダイビングの話しで、お互い潜ったポイントの話しとかで初対面ということをすっかり忘れて盛り上がっていった。Mさんはチョット丸顔で長い耳をつけたらニックネームの通りのウサちゃんになりそうな雰囲気の女の子。リゾートダイバーで国内はまだ潜っていないという。Yさんはダイビング歴2年で200本近く潜っているという猛者(もさ)。大きな体で我々酔っ払い相手にウーロン茶で付き合ってくれている。

 8時頃になってようやくUさんが登場した。Uさんはインターネットの写真と同じ顔で
「まだ仕事中なので、"食事に行ってくる"と言って出てきました」と笑って言った。
(仕事があるのに付き合わせちゃって悪いことしたなァ…)と思いながら、全員揃った所で改めて乾杯する。
 この頃には我々はビールから既にお酒に変えていて、メニューにある静岡の地酒を順番に味わっていた。「磯自慢」「初亀」はフルーティな薫り高い銘酒で、女性受けする日本酒であった。前に来た時には「おんな泣かせ」という、これもおいしい地酒があったのだが、今はメニューに載っていない。

 ダイビングの話しを肴に結構盛り上がって、9時半頃にお開きになった。Mさんは途中で帰ったので、Uさんと店の前で別れ、我々夫婦はYさんの後について駅へと向かった。そして何とYさんの駐車場までブラブラと歩いてくると「ホテルまで送ります」と言ってくれる。Yさんは初めからそのつもりでいて呉れたようで、遠慮を知らない我々はお言葉に甘えてホテルまで送ってもらってしまった。

 こうして浜松の夜は更けた。

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 翌朝は9時に「グランドホテル浜松」を出発。袋井ICから東名に入り静岡ICで一般道に降りた。途中お茶の製造工場を見学して「日本平」へと向かう。このルートは3年前のツアーとまったく同じだ。

 やがて「日本平」へバスは到着した。ここで約2時間、昼食と見学の時間となった。他のツアー客の多くは久能山へケーブルで渡って久能山東照宮を見学に行ったようだが、我々は以前に行っているので、別行動で展望台へ登ってみた。バスの駐車場から少し坂道を登った所が展望台になっているのだが、北風が強くて寒くって暇つぶしはできそうも無い。ただ、見晴らしはすごく良い。遠くに富士が浮かんでいる。



 30分ほどブラブラして昼食にした。ケーブル乗り場のある建物に入っているレストランに入り、定食の食券を買う。ワイフはエビフライカレーにした。そして見晴らしの良い一番奥のテーブルにつくと隣でビールを飲んでいる。
「こっちもビール飲もうかなァ」
「飲めば」
「チョット食券買ってくるワ」
と、ビールの食券を買いに席を立つ。

 小1時間かけて昼食を済ますと後は何もすることが無い。レストランの窓越しに見る駿河湾は陽光を反射してキラキラしている。外に出ると北風におもわずダウンのホックを掛け直して肩をすぼめる。

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 見学時間が終わり全員が集合すると、バスは一気に「日本平」を降りてツアー最後の目的地「清水魚センター」へと走り始めた。30分ほどで到着した「清水魚センター」は魚専門のスーパーって感じだった。これまで何回か「魚センター」という場所へ行ったが、もっと規模の大きい場外市場みたいな場所だったので、チョット感じが違う。それでも割と広い駐車場は車で溢れていて、近隣からの買い物客が多いことをうかがわせる。
 我々も早速センターに入り、色々と物色した。正月用の伊達巻を買った。紅白の蒲鉾も買った。そして今夜のつまみ用にとマグロのカマを買った。



 やがて出発の時刻となり、思い思いの買い物を済ませた人達がバスへ戻ってきた。

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 こうしてバスは正月用の魚介類と疲れて眠っている一行を乗せて、清水ICから再び東名へ入り、一路横浜を目指して走り始めた。

伊香保温泉

2015年04月02日 | ドライヴ
 1998年6月2日、ワイフの休みに合わせてワイフと二人、久々の遠出に出た。
 目的地は群馬県にある伊香保温泉郷、どこへ行こうか散々に迷って、ほんの2、3日前に決めた場所である。

 午前9時半、愛車シビックのエンジンをスタートさせる。
今日のルートは自宅→第三京浜→環八(環状8号線)→関越自動車道と走って高崎へ、その後一般道を通って「榛名湖」へ登り、伊香保温泉郷へと進む予定だ。

 先ずは第三京浜の港北ICを目指して出発する。今日の天気は朝から曇り、関東地方も平年より一週間早く昨日から梅雨入りしたとかで今夜遅くから明日にかけては雨の予報が出ている。(日頃の行いと天気の関係ってやっぱりあるのかなァ…)そんなことを考えながらも、平日の朝の通勤ラッシュの時間帯を過ぎた道路は実に走りやすい。

 自宅から30分ほどで第三京浜に入ると、皆さん結構飛ばして走ってる。今の車ってちょっとアクセルを踏んでやると簡単にスピードが出てしまうんで、かなり自制しないとヤバイ。そんな時、高速を走る時のクセで、いつものようにチラチラとルームミラーを見ていると後方に赤い点滅が見えた。
(あれ? パトカーかな?)
と思っていると、アッという間に追いつかれ、追い越し車線をスーッと抜いて行った。
ふとそのパトカーの前方を見ると、元気良くカッ飛んで行くのがいる。
(あの人ヤバイなァ)
と思って見ていると、やっぱり路側帯に誘導されて止めさせられた。
横に乗っているワイフも捕まった車を見て、思わず「気の毒にねェ…」。

 第三京浜から環八に入ると、とたんに流れが悪くなった。うちのシビック、マニュアル車なんでトロトロされるのが一番イヤなんだよなァ。それに環八はたまにしか通らないから、流れの良いレーンが解らないんだよなァ。チョット流れの良い方にレーン変更すると裏目に出たりして、こういう時ってジッとしてるのが一番良いのかも知れない。

 なんだかんだで、最近開通したトンネルまでやってきて、またハマッてしまった。ここは昔は踏み切りを渡るんで最悪の場所だったのが、トンネルを掘って地下を通るようになってから渋滞が緩和されたって聞いていたのだが、ピタっと止まってしまった。
 トロトロとトンネルに入ると中で何やらアナウンスの声が聞こえる。
「トンネル内に故障車が止まっています。十分に注意してお通り下さい」
流れていればどうってコトないトンネルなんだけど、その故障車の所へ差し掛かるとパトカーの前を故障車を手で押して移動させている人たちが居た。制服の感じからトンネル施設の管理職員かとも思ったが定かではない。しかし、この排気ガスの中、ご苦労様です。それにしてもトンネル内で故障とは。トホホの世界だナ。

 そうこうして午前11時15分、関越道の起点、練馬ICから関越に乗り入れた。各車渋滞から開放されて、とたんに元気良く走り始める。目指すは「高崎」。でも、その前に三芳(みよし)のSAでトイレに行きた~い!

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 三芳のSAでワイフへと運転を交代する。ここから高崎ICまではそんなに遠くない。一本道だ。ギヤを5速に入れてしまえば後はオートマ車と変わらない。オートマ車といえば、ただ車を走らせるだけならばオートマで十分だと思うけど、道路コンディション×走行速度×天候×自己満足の組み合わせで考えると、好みから言うとやはりマニュアル車の方が好きだ。

 走り屋ワイフの運転で時々120キロ出しながら、前の集団に追いつき追い越し、予定通り高崎ICで関越を下りた。練馬から高崎までだと1時間とかからない。

 時計はすでに12時をまわっている。ついでにお腹も空いてきて目も回りそう。「どこか適当な所で昼食にしよう」とレストランを探しながらトロトロと走っているのだが、高崎ICを下りて県道28号線を高崎の市街方面に向かっているが、28号線沿いには小さなラーメン屋さんとか焼肉屋さんとかはあるが、ファミレスとか定食屋のような店が見当たらない。
 まもなく高崎の市街を抜けようか、といった所にようやく「COCO’S」と書かれた看板を見つけた。外観からしてファミレスのようだ。駐車場も割と広いし、ためらわずに昼食はここに決めた。平日の昼で客が少ないせいかもしれないが、店内はデニーズだのスカイラークだのに比べて静かで落ち着いた感じ。そして、ワイフは「鴨南蛮うどん」、こっちは「日替わりランチ」をオーダーして空腹を満たした。
■ココス高崎店、027-320-1533、高崎市請地町11-62

 午後1時15分、注文した料理がなかなか出てこなかったこともあって「ココス」でかなりのんびりと過ごしてから最初の目的地「群馬酒蔵」へとスタートした。ここからはまた私がハンドルを握る。県道28号線から国道18号線へ入り西へ約5キロ、進行方向右側のトヨタの販売店の裏に目的の「群馬酒蔵」はあった。ここは以前にも職場のバス旅行で来たことがあるのだが、あれから7~8年は経っているだろうか、敷地の中に地ビールの飲めるレストランができていたりして、様子がかなり変わっている。
(知っていれば昼食はここでも良かったナ)
などと思いながら広い駐車場の真ん中に車を止めた。

 今日は火曜日。週の初めで観光客なんか誰も居ないと思って来たのだが、マイクロバスが1台、その他、自家用車が2、3台駐車している。ここへ来た目的は「日本酒の試飲」、さっそく記憶をたどって試飲場所でもある売店の方へ歩いていった。



 売店には手持ちぶさた風の女の子が一人。我々の姿を見るや何本かの一升瓶を並べて、すかさず試飲の準備を始めている。このコーナーのある平屋の建物の中には他に人影はない。
「こちらで試飲ができますのでどうぞ」
「運転手だから飲んだらまずいよなァ」
などと、女の子の声にうながされて早速飲んでみる。
「運転手は味見だけで飲んだらだめョ」
とワイフに言われたが、(そんな、せっしょうな)口に含んでしまった「ふくよかな」香りの液体は飲み込まずにいられるハズもない。
 最初に原酒を飲んだ、いや、味わった。
「うま~い!」
 次に本醸造を飲んだ、いやいや、味見だけ。
「うん、まずまずかナ」
 もう一本のも飲んでみた。
「これは普通の酒だ」
 ワイフもあれこれ試飲しては能書きをのたまわっている。うちら夫婦は二人して日本酒大好きなので、こういう場所はたまらなく嬉しい。

 売店の陳列棚にはここで醸造した日本酒が何種類か並んでいる。その中に関東の何とか大会で2位になった「福達磨の大吟醸」というのがあったので、それ(4合ビン、¥3,500)を1本購入する。ここ「群馬酒蔵」のレーベルキャラクターは高崎名産の達磨(だるま)なのだ。それともう1本、最初に試飲した原酒を注文した。すると、ここでは2本買う客は珍しいのか、
「2本ともお買い上げですか?」
と、さっきの女の子に驚かれてしまったのはご愛嬌(あいきょう)。

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 造り酒屋に長居して酒気帯び運転になってしまってもイケナイので、40分ほど居て次の目的地「榛名湖」へとドライブを再開した。国道18号線「板鼻陸橋」から右折して県道10号線へ、しばらく行った「沖町東」の交差点を左折、県道26号線(高崎安中渋川線)に入って一路「榛名湖」を目指す。

 5キロほど走って「西明屋箕郷小」交差点を右折、道なりにゆるゆると登って行き、「東明屋」交差点を左折で県道28号線(高崎榛名吾妻線)へと入った。県道28号線は初めのうちはセンターラインが引かれているほどの道幅だったが、しばらく行くとすれ違いも難しいほどの道幅となり、うねうねと結構な登りが続く。
 道の両サイドは眩しいほどの新緑でおおわれ、ワイフの提案でそれまでつけていたエアコンを切って窓を開けて走行する。外の空気がひんやりと柔らかく気持ちが良い。ついて来る車も無ければすれ違う車もほとんど無い。車に乗ったままで森林浴をしている気分だ。
 右に左にと小刻みにカーブを繰り返し、ようやく峠を越すと今まで木々に遮られていた空が急に広くなった。道はやや下りになり、窓の外からはウグイスの澄んだ声が聞こえて来る。 しばらく下った所に小さなグラウンドと隣接するパーキングがあった。グラウンドでは課外授業なのかキャンプにでもやって来たのか中学生がソフトボールに興じていた。この辺りも新緑が素晴らしい。



 小休止の後、我がシビックは榛名湖畔の県営駐車場へ。ワイフは榛名湖ははるか以前に来たことがあると言っているが、私はバス旅行で湖畔を通過しただけで、ここに立つのは初めてだ。湖はさほど大きくはないが、榛名富士を背景に静かなたたずまいを見せている。竹久夢二がここにアトリエを構えたというのも何となく納得してしまう。
 数人の観光客を乗せて「トテ馬車」がカパポコと軽快なヒズメの音を響かせてやってくる。その後ろを抜くに抜けない車が数台続く。



 しばし湖畔を散策して、いよいよ今夜の宿泊地「伊香保温泉郷」へと出発した。地図を見れば一目瞭然だが、榛名湖と伊香保温泉とはほんのひとっ走りの距離しかない。ガラ空きの県道33号線(渋川松井田線)を10キロほど走って伊香保の町へ入った。

 伊香保に入って最初に車を止めたのは町営の無料駐車場。ワイフが地図を見ていて「伊香保の石段街に行くならここが近い!」と騒いだのだ。当初の計画では、まず宿に落ち着いて、それから石段街を散策しようと思っていたのだが、地図を覗くとここから歩いた方がまるで近いことがわかる。
 車を降りて勾配のきつい坂道を登ること約15分。伊香保温泉の源泉地にやってきた。源泉地には町営の露天風呂もあるので、うまく計画してここでひとっ風呂浴びて行くのも格別かもしれない。我々は残念ながら何も用意しないでここまで来てしまったので、露天風呂の入り口だけ覗いて帰ることにする。

 また、露天風呂のすぐ手前には伊香保の温泉が飲める「飲泉所」があった。細い鉄管から湯が流れ落ちているのを備え付けのコップで飲むのだが、なぜか昔懐かしいアルマイトのコップが置いてあって、こいつで飲んでみたらヒドイ味がした。昔の話しなので今の若い人には解らないかもしれないが、アルマイトの器にお湯をそそぐと一種独特の匂いと味がするのだが、これに温泉臭をミックスさせたような、とにかく舌に味が残ってしまってこれには参った。できれば陶器のコップでも置いてあれば、また違った味がしたのかも知れない。
 飲泉の効能に「痛風」が入っていたので、心当たりのある人は自前で湯呑みを持参してここで浴びるほど飲んで帰ると少しは良くなるのかも知れない。



 源泉地からの帰り道は石段街を通ってきた。でも残念なことに古びた石段をイメージしていたのだが、ごく最近化粧直しをしたようで、とても近代的な石段に生まれ変わっていた。
 ここの石段は360段あるのだそうだ。しかも石段の1段が高いので下から登ってくるのは大変そうだ。ワイフも「下りに選んで良かった」。

 駐車場まで戻り、今夜の宿「旅館さくらい」さんへと向かう。
 「旅館さくらい」さんは伊香保温泉街の中心が石段街だとすると、そこよりチョットはずれた所に建つピンク色の外装の宿である。15台ほどの専用駐車場に車を置きフロントロビーに入ると「いらっしゃいませ」という明るい声が出迎えてくれた。
 チェックインは午後4時半だった。

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 翌朝、9時半にチェックアウトして今日の最初の訪問地「竹久夢二記念館」へ向かった。天気予報の通り今日は朝から雨。「竹久夢二記念館」のある大正ロマンの森の駐車場から傘をさして本館入り口へ。ここで入館料¥1,500を支払って中へ入る。
 初めに約15分の夢二に関するビデオを見た。竹久夢二ってあの独特のタッチの美人画で有名なのかと思っていたが、とっても多才な人物だったって事がビデオを見て良くわかった。絵本の挿し絵はもとより、「宵待ち草」の作詞もしていたなんて…。そんな前提知識を持って彼の作品を見てまわると、とっても身近な作品に見えてくるから不思議だ。
 撮影禁止って札があったけど失礼して1枚だけ隠し撮りさせてもらった。



 次に行ったのは水沢観音。
 県道33号線から「水沢観音入り口」と書かれた大きな立てカンバンのある信号を右折して県道15号線(前橋伊香保線)へと入って約5分。道路の右側に広い駐車場があるのですぐにわかった。
 ここの正式名は「坂東十六番札所 五徳山 水沢観世音」。縁起によると、千三百有余年の昔、推古天皇、持統天皇の勅願により、高麗の高僧恵灌僧上の開基である。御本尊は十一面千手観世音菩薩であり、霊験あらたかなること特に七難即滅七福即生のご利益顕著である、となっている。降りしきる雨の中、境内をそぞろ歩いて本堂を拝観させてもらう。
 しばし、静寂な一時を楽しんで次の目的地へと出発した。
 水沢観音の近くには名物の「水沢うどん」を食べさせてくれる店がたくさん並んでいたが、まだ11時前、お腹も空いていないので横目に見て通り過ぎる。

 県道15号線をさらに走って向かった先は、「ハルナグラス」というガラス製品を作っている工場。ここも以前に職場の旅行で寄ったことがあるので勝手は分かっている。県道15号線を前橋方面に走り、「上州森のビール入り口」と書かれたカンバンを右折する。ここの右折は信号がないので気をつけてないと通過してしまいそうだ。

 やって来た「ハルナグラス」では順路に従ってまず工場を見学する。今日は梅雨冷(つゆざむ)なのかメチャメチャ寒くって気温が17℃くらいしか無いらしい。長袖を着てないと寒くて居られない。
 しかし、外の寒さに反して工場の中はオレンジ色に輝く炉の光の熱でムンムンしている。ガラス作りの職人さん達はこの熱気の中で毎日仕事しているのは大変だ。参観路は建物の2階部分に作られていて全体工程を上から見るようになっているのだが、一番人気が高いのが入って直ぐのところ、長い管の先に溶けたガラスをつけて吹いてふくらましているアレ。この工程のところは人がたまってしまって思うように進めない。事前に予約しておけば、実際に吹いてガラス器を作る体験もできるのだそうだ。
■ハルナグラス、0279-54-8877



 工場の参観路を出るとお決まりの即売所へ行くようになっている。でも、ここのガラス製品即売所は確かに安い。原価では無いのは当然として、ここから各地へ輸送コストだの人件費だのが上乗せされて発送され、デパートその他に陳列されるわけだから、気に入ったのがあれば製造元で手に入れてしまうのがお上手な旅人でしょう。

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 今回の旅行の最後の目的地に選んだのは「耳飾り館」。「美しい謎を秘めて縄文の耳飾りと世界の耳飾りが出会う」と、パンフレットに書かれているように、この辺りなのだろう「茅野(かやの)遺跡」から発掘された縄文の耳飾り(国の重要文化財に指定)と世界から集めた古今の耳飾り約1,000点を展示しているユニークというか珍しい資料館である。
 中に入ると集められたイアリングの写真と実物が展示され、なかでも紀元前後の耳飾りのデザインの意外な新しさに驚いてしまう。
 ここは建物の真新しさからして最近オープンしたようで、古いガイドブックには載ってないかも知れないが興味があれば行ってみると面白いと思う。なお、入館料は¥500だった。

 ひととおり耳飾りを見てまわり、時計を見るとお昼だった。

 パンフレットで見つけた古い民家を改造した店へ行ってみた。なるほど店のつくりは古い農家を移築して古さと、それなりの雰囲気を作っていたが、店のお勧めの釜飯は普通の味で少々ガッカリ。とりあえず昼食を済ませ、同じ敷地にある「田舎んち」という風変わりな屋号の店へ行ってみた。なんだか種々雑多が並んでいる、という感じの店だが産直の野菜がムチャクチャ安くてお勧めだ。(なにもここまで来て)と思わずいられなかったがワイフはそれほど広くない店の中をウロウロとして色々と野菜をカゴに集めている。「ベニバナの花束が安い」と言って花までカゴに入れている。伊香保へ行ったついでに地の大根やキャベツと言った野菜が欲しくなったなら、この店で買い物をするのも面白いかな。

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 帰りは「渋川伊香保IC」から関越に乗った。昼食に飛び込んだ店から「渋川伊香保IC」まではほとんど一本道。うちらの前を観光バスが走っていたのでついて行ったら、案の定「渋川伊香保IC」へ連れていってくれた。
 帰りの関越も空いていた。が、時折降ってくる雨とトラックの跳ね上げるシブキとで視界が悪くなる。(ま、のんびり帰ろっ)と、ほぼ時速100キロを保って走りつづけた。練馬の料金所が近づくにつれて車の数も増えてきたが、それでも渋滞という感じは全然無く、順調に環八へ出てこれた。

木曽の宿場町

2015年04月01日 | ドライヴ
1997.12.28~29
 定刻の午前8時を5分遅れ、富士急行の観光バスは横浜駅東口にある「そごうデパート」駐車場を出発した。今年で3年目となるワイフと2人の「年末バス旅行」の出発だ。去年は仙台・塩釜港、一昨年は静岡県・焼津の魚センター、と正月用の「魚貝類買い出し」ツアーであったが、今年はなぜか「木曽路」の散策ツアーである。

 今回のツアーも近畿日本ツーリストの「ジャパネスク」、年末も本当に押し迫った28日~29日の1泊2日でお一人様¥16,800なりのバスツアーである。宿は長野県・飯田温泉、中山道の宿場町を散策することになっている。

 今年最後の日曜日の朝8時の横浜市内はすいていて、バスは首都高速から保土ヶ谷バイパス、町田街道と順調に走って40分ほどで町田駅前へ。このツアーは集合場所が横浜駅と町田駅の2ヶ所あって、どちらからでも参加ができるようになっている。
 町田駅前の集合時刻は午前9時20分、道路が空いていたせいでまだ8時40分、出発まで時間がありすぎる。

 やがて出発時刻となり、ツアー参加者40名を乗せたバスは中央高速・八王子インターを目指して走りはじめた。

 最初の休憩は中央高速の「談合坂SA」、何てったって12月28日の日曜日なんで帰省ラッシュの渋滞が心配だった中央高速は、信じられないほどのガラガラ状態。みんな賢くなって「大渋滞」にハマっての帰省はもう過去の話なのだろうか。

 バスは八ヶ岳を右に見ながら中央道を快調に飛ばす。



 そして12時15分、諏訪湖SAに到着。ここで各自昼食となった。天気は快晴、眼下に広がる諏訪湖が美しい。今年は暖冬傾向だそうで、ここまでの道中も「雪」を見ていない。途中、車窓から見た八ヶ岳の山頂もほとんど雪がない。

 午後1時、バスは再び走りはじめた。バスのツアーって目的地もあんまり調べないし、お互い見知らぬ同士が参加してる雰囲気がとっても不思議。

 30分ほど走って、飯田ICで中央高速を降り、今日の最初の目的地「水引工芸館」へ向かった。

 着いた所は飯田ICから30分ほどの所にある「せきじま」という水引の実演・展示・即売をしている観光工芸館。
 ここの水引職人「関島さん」はこのあたりで水引を広めた方だそうで、実演中の手先の動き、話術もさる事ながら、併設されている美術館に展示されている作品の精緻さと豪華さは活字で表現し尽くせないほど、みごとであった。(写真は実演中の関島さん)



 つぎに行ったのが「天竜川下り」、今回のツアーでは約30分の川下りに挑戦だ。どこでもそうだが、こんな暮れの押し迫った日に訪れる観光客などいなくって、ほとんど貸切り状態であちこち回ることになるのだが、ここの舟下りも例外ではなく、「弁天港」の割と立派な建物にいるのは我々のツアーの団体だけ…。もしかして今年最後の船になるかも知れない川下り用の船2槽の内の、後ろの船に乗り込んだ。



 夏の間と違って、今の時期は温室のように透明なアクリル板で囲まれた「船室」の中からの見物となる。まァ、直接しぶきがかからなくって良いのだが、その分迫力には欠けてしまうが仕方が無い。船頭さんは前と後ろに2人つく。後ろの船頭さんは時折ガイドをしながらの舵取り役なので、そうでもないが、大変なのは前の船頭さんだ。流れの穏やかな場所へ差し掛かるとギーコギーコと音をさせながら全体重をかけて櫓を漕ぐ。船を下り際にワイフから「暑い時と寒い時とどっちが大変ですか?」と聞かれて、前を担当したまだ若い船頭さんは「暑い時は立っているだけでもシンドイです」と答えていたが、確かにあまり楽な商売ではなさそうだ。

 30分の川下りで「時又港」といっても単なる岸壁に到着して、回送されてきたバスに乗り込み、今夜の宿である飯田温泉「よし乃亭」へ向かった。

 「よし乃亭」は5年前に改装されたそうで、まだ設備は新しく、全体にとってもきれい。お風呂はナトリウムを多く含むせいで、肌がツルツルになる温泉である。匂いはほとんど無い。旅館に4時に着いたので一風呂浴びて冷蔵庫から冷えたビールを取り出しキューッと飲み干す。

 一夜空け、翌朝は一面真っ白な霜の朝。やはりここは信州の山の中、冷え込みは横浜の比ではないようだ。

 7時20分から朝食で、8時に出立というあわただしいスケジュールであったが、とにかく飯田温泉を後にした。今日の最初の目的地は「妻籠(つまご)」。国道153号線から256号線に入り、途中、漬物屋さんでお土産タイムの寄り道をして、9時半に妻籠に到着。

 妻籠の宿は慶長6年(1601年)、江戸幕府により「宿駅」が定められた折り、江戸から42番目の宿場として整備された中山道の宿駅で、昭和43年からの歴史的町並み保存事業により、往時の宿場の景観をよみがえらせ、51年には国の重要伝統的建造物群保存地区第1号に選定された。と、観光案内図に載っている。

 「妻籠の宿」は約500mの街道沿いに当時を彷彿とさせる建物が並び、思わずタイムスリップした…。と、思いきやアスファルト舗装された街道が妙に「現代」していてチョット残念。それでも一軒一軒は味わい深いたたずまいを良く残していて、澄んだ冬の青空の下で当時の雰囲気を伝えてくれている。



 1時間ほどブラブラと散策して、バスはつぎの目的地「寝覚の床」へと向かった。

 妻籠から木曽川に沿って国道19号線を北上。「寝覚(ねざめ)の床」には11時15分過ぎに着いてしまった。まだあまりお腹は空いていないけど、ここで昼食となった。



 龍宮城から帰ってきた浦島太郎は家の周りが知らない人ばかりなので旅に出て、たまたま木曽路の「寝覚の床」に来た時に付近の美しい風景がすっかり気に入り、この里に住むようになりました。そして毎日「寝覚の床」に出かけて好きな釣りを楽しんでいたある日、太郎は里の翁に昔の思い出話をしていて、話のついでに忘れていた玉手箱を取り出して開いて見ました。すると中から紫の煙が立ち昇り、太郎の顔にふれるやいなや太郎はたちまち三百歳の翁になってしまいました。
 太郎は、近くの池に姿を写してみてたいそう驚きました。それを見ていた人々も共に驚きました。それ以後この池を「姿見の池」と呼ぶようになったそうです。
 太郎はその後人々に霊薬を授けていましたが、いつのまにか、どこへともなく立ち去ってしまいました。
 里人が太郎の立ち去った跡へ行ってみると、弁才天の像が「寝覚の床」の岩の上に残されていました。これを祠に祀って寺を建立したのが、現在の臨川寺だということです。
 ここには現在でも姿見の池や浦島太郎の物だと伝えられている釣竿などが残されています。

 「寝覚の床」にはこんな浦島太郎の伝説の一つがあるそうだが、我々夫婦は食後の自由時間にたまたまこの伝説に出てくる臨川寺の境内へ足を踏み入れてしまった。

 そして、その境内にあった無料の宝物館で見たものは…。そこには伝説の浦島太郎の釣竿が展示されていた。

 「寝覚の床」を12時15分に出発し、バスは国道19号線をさらに北上、このツアー最後の見学場所「奈良井の宿」を目指して走りはじめた。「寝覚の床」から「奈良井の宿」までは約30分。

 奈良井宿は、文字どおり奈良井川に沿ってつづく宿場である。標高1300メートルの鳥居峠越の手前であるためか、「奈良井千軒」とうたわれ、宿場の町並みは、1.2キロもつづく。現在も宿場時代の姿をよく残しているので1978年(昭和53)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。



 ツアーの一行は木曽大橋と呼ばれる木造の太鼓橋でバスを降ろされ、ここから1時間自由行動となった。が、正月の準備なのであろう、この宿でも開けている店は少なく閑散としている。また残念ながら、ここの街道もアスファルト舗装されており、ひどいことに車の往来も結構ある。街道の両脇に並んでいる昔風の建物は、それでも「妻籠(つまご)」よりも当時の面影を良く残しているようだ。江戸の時代にここを通った多くの人々の面影が浮かぶような宿場町である。
 街道の途中に「大宝寺」という臨済宗のお寺があって、その中にマリヤ地蔵という隠れキリシタンの信仰の対象となった地蔵があるというので立ち寄ってみた。江戸時代はキリシタン禁制であったため、胸に抱いた子供に「クルス」を持たせた石像を作ったのだそうである。拝観料は100円であった。



 1時間の自由行動ではこの宿場町はすべてを見てまわるには時間が足りないが、ツアーでの団体行動であるので仕方がない。早々に切り上げてバスの待つ駐車場へと戻った。

 そして午後1時50分、ツアーで予定されていた場所をすべて見終わって、バスは一路横浜を目指して帰路についた。

 国道19号線の北上を続け、約30分で塩尻ICから長野自動車道へ入り、岡谷JCTから中央道へ入ったのが午後2時30分、そのままガラ空きの中央道を一気に飛ばして、談合坂SAに着いたのが午後4時であった。15分トイレ休憩の後、八王子ICを午後4時40分に出て、町田街道を通って町田駅に着いたのが午後5時40分。暮れの町田駅界隈は正月用の品を買いに来てるのか、大混雑であった。

 そして保土ヶ谷バイパスから首都高速経由で横浜駅西口に戻ってきたのが午後6時20分。これで今年の年末旅行の日程はすべて終了した