猫と共に余生を穏やかに過ごす

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『健全な精神は、健全な肉体に宿る』を真だと取る方は、お読みにならない方が良いです:2/7朝~2/7午前(姿勢矯正、腰と背中その12)

2022-02-07 09:26:31 | 健康

遅い起床でした。体各部の硬さの確認ですが、一番酷いのは肩、肩甲骨周りでした。衣服を整え、日常ストレッチ開始です。裸足のまま、頭には2枚のタオル、帯も締めます。井戸水バケツで、とても良い感じに伸びます。水って重くていいですね。

 

日常ストレッチをしていると、突然、昔っから、私が大嫌いな言葉を思い浮かべました。

「健全な精神は、健全な肉体に宿る」です。

この言葉を真と取るか、偽と取るか、保留するかで、その人間の底部に流れる思想が透けて見えてきます。

1/17朝の時点で、私の肉体は、完全に救急搬送案件であり、健全とは言い難いものでした。今も健全には遠いです。では、私の精神がしてきた事は不健全だったのでしょうか。救急車を呼ばないと判断し、国保に余計な出費を強いず、自力でお風呂に這って行き、十二日かけてどうにか鍼灸院に行けるまで回復し、ヨガにも行って良い効果を得られました。

元の言葉を集合論的に捉え直すと、「健全な精神は、まあ、大抵は健全な肉体に宿るが、健全な肉体に不健全な精神が宿ることはあるといえばある。つまり、健全な肉体は、健全な精神の必要条件であって、十分条件とは言えない。逆は必ずしも真でなく、健全な肉体だからと言って、必ずしも健全な精神が宿るとは限らない。元の言葉の対偶を取ると、不健全な肉体には、不健全な精神が宿る」となります。高校1・2年生レベルの話です。学習指導要領の変遷に伴い、世代により時期が異なります。

話を戻します。元の言葉を真だと認めると、集合論的に言って、元の命題の真偽と対偶命題の真偽は一致しますので、対偶命題も真となります。よって、元の言葉を真と認めるわけには参りません。はっきりと偽だと断言します。

私だけではありません。様々な事情で肉体的に何かを抱えて居る人はたくさん居ます。むしろ、その人たちの方が、多数派でしょう。特に高齢になると、誰でもそうなります。

恐らくですが、現在、この言葉は各放送局、各新聞社におけるNGワードに自主的に規制されているはずです。私と同じ考察をした者くらい、それなりの地位の者が各社には居ます。過去に居た、でも十分です。引き継がれますから。放送業界に知人が居るので、また会った時にでも聴きたいと思います。わざわざラインで訊くほどのレベルの話ではありません。雑魚です。

 

これくらいの分量の方が投稿に良いのかもしれません。校正が楽なのが大きいです。

即座に投稿します。日常ストレッチは良好です。



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