平和を創り出す宮古ネット通信

宮古島の平和を願う3人の市民が始めたブログ。平和を阻む政治状況とたたかう市民の行動を載せる。美しい自然、環境問題も。

石垣では休養、宮古では観光?

2013-06-27 12:32:04 | インポート

ミサイル艇2隻 宮古島に入港

2013年6月27日 沖縄タイムス
Misairutei 平良港に入港した海上自衛隊佐世保地方隊第3ミサイル艇隊の「しらたか」(手前)と「おおたか」=26日、宮古島市平良

 【宮古島】石垣港に寄港していた海上自衛隊佐世保地方隊第3ミサイル艇隊の「しらたか」「おおたか」の2艇が26日、乗員の休養と食料補給の目的で宮古島市の平良港に入港した。同船関係者によると、宮古島への同ミサイル艇隊の入港は約10年ぶり。

 乗員は計41人。先島近海で通常訓練、26日朝に石垣を出て同日午前11時に平良港に入港。27日午前9時に宮古島を出港するという。

 26日午後、第3ミサイル艇隊司令の國分一郎2等海佐ら2艇の関係者が、港湾管理者の下地敏彦宮古島市長を訪問。入港目的や滞在期間について説明した。

 下地市長は、ミサイル艇隊の港湾使用について「国防上、沖縄近海で万が一に備えての寄港。一定理解できる」と容認する考えを示した。

 市内の平和運動グループ、宮古平和運動連絡協議会の清水早子事務局長は「島しょ防衛など先島地域の軍事基地化の地ならしであり、入港には断固反対だ」と述べた。

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*下地敏彦宮古島市長は「(司令官)に島の魅力などをアピールした上で、『宮古島を見て、楽しんでほしいと述べた』」とだけ宮古毎日新聞は報じ、反対意見は一切触れていない。のどから手の出る欲しい下地島もあるし、魅力いっぱいであることは間違いない。(普)


映画「ひまわり」を観て

2013-06-27 11:31:32 | インポート

 2009年の暮れ、ちょうど宮古に引っ越す前だった。大阪・大正区であった集会で、宮森小学校「仲良し地蔵」の演劇のビデオを観、米軍機墜落事件当時の教師と、その教え子でその時点では宮森小学校に校長として帰ってこられたお二人の証言を聴く機会があった。今回、その事件を題材にした映画「ひまわり」を火曜、25日に友人たちと観てきた。

 じっさいに事件を経験した当事者、関係者からは「あんなものではなかった」という声が聞かれるかもしれない。軍用機の爆音がすると「戦(いくさ)が来るから逃げろ」と子どもたちに叫んで回るオバアの場面があるが、それは墜落時の炎の中で子どもたちが叫んだ言葉でもあり、事件の当事者には忘れたくても忘れられないものだ。

 しかしあの集会で聴いた生々しい証言を、そのまま映像にするのは無理だし、それが目的ではないだろう。映画での米軍機墜落後の静かな教室は、原爆が爆裂し爆風や建物の倒壊が終わったあとに訪れた底知れない静寂と同じものを感じた。丸木位里・俊両氏のよる「原爆の図」でも、あまりに凄惨な事実をただ一人に託して、あとは美しい女性の姿にとどめたと聞いている。鎮魂の思いからである。

 映画にもあったけれど、主人公である若者たちが置かれている情況は厳しい。沖縄に寄り添うといいながら、基地負担を押し付けてくる日本やアメリカだけでなく、自分たちの事業の儲けのためには、自分が生まれた島やその海を、平気で売り飛ばそうとする人々や国会議員までいるのだから。

 54年前、宮森小学校で起きた、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、 重軽傷者210人を出した大惨事。その事件を風化させないという願いでつくられた「ひまわり」だが、沖縄だけの問題でなく、オスプレイに限らず、米軍や自衛隊に起因する事件事故は絶えない中、否応なく、この現実と向き合わなければならない。

 6月30日はその墜落事件があった日である。(普)