ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

韓国旅行(24)ファソン市チェアム里

2007年04月15日 | 韓国&中国旅行
久々の韓国旅行記 今日で京畿道(キョンギド)はおしまいにします。もう残るのは忠清道(チュンチョンド)だけだ。あっ、まだ行った事ない済州道(チェジュド)にも行って報告したいですね。

今日4月15日はいわゆるチェアム里事件のあった日です。1919年4月15日に、京畿道のこの地の教会に集められた人々が虐殺された事件です。2月28日の朝日新聞に当時の朝鮮軍司令官・宇都宮太郎の日記発見のニュースが載りましたが、その中に次のような記事がありました。



私はここには2度行っています。何度か建て直された教会と、併設された資料館があります。



資料館に展示されている絵です。



外にある墓碑。



「観光コースにない韓国」という本に載っていたところですが、最近は少々観光コース化されているきらいがあります。地図で場所を調べて、自分で行ってみると面白いかもしれません。韓国の田舎を見る事も出来ます。
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韓国旅行(23)板門店(パンムンジョム)

2007年02月26日 | 韓国&中国旅行
韓国旅行シリーズ、京畿道を巡っています。今回は北朝鮮との唯一の接点箇所、板門店。



パックツアーで韓国行ったことないけど、ここには個人では行けないので、その目的の一行に入って行った。韓国人は自由に行けないのだが、外国人は大丈夫であるらしい。旅行社のバスで行くのだが、周りは旅行会社の名札つけた、日本人のおじちゃんおばちゃんばかり。どうも自分の足で行ったのでない所の事はよく覚えてないなあ。

UNの検問所を通り、



どこかでバスを降り、「ここから先では何があっても責任を問いません」という紙にサインさせられる。

共同警備区域(JSA)



北の兵士が向き合って立っているところが軍事境界線。向こう側は北の建物。観光客は中国からの人が多いようだ。北朝鮮軍兵士と韓国軍兵士では、体格が違いすぎるところが悲しい。

建物の中には境界線は存在しない。中立の場所なのか?それとも真ん中が境界なのか?いずれにしても軍事境界線以北に足を踏み入れた。この2年後に北朝鮮に行く事になるのだが、すでにこの時に北に行ったという事なのかも・・・。

緊張感もあまり味わえないし、がっかりもののツアーでした。融和時代を象徴しているという事かも知れませんが・・・。ただ、こんなところで外国人相手に金儲けするな!とかは言いたくなります。確か一人一万円くらい払うのです。
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中国旅行⑯敦化

2007年02月09日 | 韓国&中国旅行
久しぶりの中国旅行記。もうあと数回分しかネタがないので出し惜しみ。前回は図門に行った事を書いたのでした。

その図門1日紀行も含めて延吉には4泊しました。2004年8月7日の夕方着いて、11日の朝まででしたから、8・9・10と正味3日間の滞在でしたね。いよいよお別れです。バスで敦化(ピンインはdun1 hua4)という街に向かい、お昼過ぎに到着しました。



敦化は小さな街でした。ぐるっと一巡りしましたが、特別なものはありませんでした。敦化駅で瀋陽(沈阳と書く)行き夜行列車の切符を買いました。何で瀋陽行きを買ったかは記憶がありません。延吉と図門は行きたいと考えていましたが、後はもうどこでも良かったのです。この後はまったくの放浪旅です。



地図をUPしておきますので位置的な確認をしてみてください。クリックすると大きな地図になります。瀋陽(沈阳)は左端のほうですね。延吉・図門は右端、その左上方向に敦化があります。黄色の線は高速道路ですが、それとだいたい並行して鉄道があります。



敦化ではこの後、駅前のお店で夕ご飯を食べました。

ところでキップに「硬座快速」の文字があります。以前にも書きましたが、長距離列車の等級は4段階で、硬座は一番下のクラスです。どういうのかというと、要するに硬いボックスシートです。窓際だけに小さなテーブルがあります。



そう、ここで一夜を明かすわけです。しかも・・・・・、座席に座れればまだ良いのです。

つづく
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韓国旅行(22)パジュ市・オサン里祈祷院

2007年01月31日 | 韓国&中国旅行
実際には「オサルリ・キドウォン」と発音されると思います。

6年ちょっと前、当時頭の中の異常に重く暗い状態に苦しんでいた私は、それから解放されようとしてありとあらゆる事をやっていました。その年佐渡に住んでいたため、一日中海を見ていたり、温泉につかったり、スポーツジムに通ったり、何とかしてこの状態から脱したいと考えていろいろな事をしてみました。しかしどれも効果がありませんでした。

その11月、協議会に出席するため韓国に行く機会を得ました。そこで出席者に自分の今の状態を話して、韓国にどこかいいところはないかと聞いたところ、「それなら祈祷院に行ったらいい」と言われ、ある牧師さんに引き合わせてくださいました。

その方が連れて行ってくださったのが、38度線に近いキョンギ道パジュ市オサン里にあるこの祈祷院だったわけです。祈祷院というからにはなんか山の中に小さな建物があって、そこでひっそりとお祈りをしているのかと思ったのですが、行ってみてびっくりしました。大学のキャンパスぐらいある大きな施設です。


(HPより)

おいおいわかった事ですが、写真の左下の建物が礼拝堂です。真ん中上の屋上が緑の建物が宿舎、右側の筒状の建物が食堂です。食事は大変質素で、一食200円ぐらいでした。

たくさんの人が寝泊りしていました。そしてこの祈祷院のプログラムは、朝6時、11時、午後3時、7時と、1日4回の礼拝です。この礼拝に出ていろいろな意味で安らぎを得るために、みんなここに寝泊りしているのです。

といったって、すごい人です。礼拝堂の中はこんな感じです。ざっと見渡しただけでも何千人は入れる建物です。そこにいっぱいの人です。



それから、ここでは一日中好きなようにお祈りができます。望むならば、庭の土手のところに作られた、「キュル」といわれる個室に入って祈っていたっていいわけです。



韓国では声を出してお祈りする習慣がありますからね。夜中までこの中から祈る(というかさけんでる)声が聞こえていました。

さて、礼拝の前に30分間、賛美歌を歌う時間がありました。大体10曲歌います。だから一日40曲です。とにかく人目をはばからず、大声で歌う事ができます。っていうかみんな手拍子をしたり、手こぶしを振りながら腹のそこから歌っています。伴奏だってすごいです。キーボードの伴奏が大きなスピーカーから流れます。

実はこれが私には効いたんですねえ。何やってもだめだった頭の中の重苦しさが、この事によってのみ解放されたんです。そしてこの時を境にして、私の病は快方に向かっていきました。

結局10日間ここに滞在したので、400曲ぐらい歌ったという事でしょうか。思い出深い経験です。
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韓国旅行(21)延世(ヨンセ)大学

2007年01月13日 | 韓国&中国旅行
ソウル市の新村(シンチョン)にある大学です。高麗(コリョ)大学とペアにして、日本の早慶に例えられるという客観的事実があります。ここには何回か行っています。キャンパスの雰囲気が良くてホッとするという事がありますね。

詩人ユン・ドンジュの、韓国人であれば誰でも知っているといわれる、「序詞(ソシ)」の詩碑があります(写真)。

    序詩

  死ぬ日まで天を仰ぎ見て
  一点の恥もないことを

  木の葉を吹きちらす風にも
  私は心を痛めた

  星をうたう心で
  すべての死んでゆくものを愛さなくては
  そして私に与えられた道を
  歩んでいかなくては

  今宵も星が風に吹きさらされている

  
  (原文です)

この大学には併設の語学堂があり、日本人をはじめとする人たちがここで韓国語を学んでいます。

ところで、この大学行こうとして行けなかった事が一度ありました。なんかのデモをやっていて、機動隊が催涙ガスまいていたのです。目が辛いっていうかそういう感じでした。10年ぐらい前の事ですけれど。オリンピック前に比べればずいぶん変わったのでしょうけれど、まだまだこんな事もあるんだなって思いました。
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