私は日本基督教団に籍を置いているが、日本ホーリネス教団には敬意を抱いてきた。第2次世界大戦中の6部9部といわれた時代に、国家から弾圧を受けたが屈しなかった歴史があるからだ。
20代前半の頃夜間神学校に入るため、キリスト教主義病院で働くようになったのだが、その礼拝室の書庫にあった「ホーリネスバンドの軌跡」という本に魅せられ最後まで読んでしまった記憶がある。そこに記されていた弾圧の歴史に考えさせられるものがあった。
神学校に入学して、同級生で一番仲良くしてくれた「やつ」はホーリネス教団上野教会で長く牧会されていた先生の6人の息子の1人であった。卒業後彼も私も牧師になったが親しくしている。
神学校時代通っていた、紅葉坂教会の岸本羊一牧師は、日本基督教団の中の旧ホーリネスグループに対して、戦争中他の教派が、弾圧を受けていた6部9部を見捨てていたことを謝罪する会の開催の先頭に立っていた方である。岸本先生は、未受洗者への陪餐という急進的なことをしていた方であるが、説教においては旧6部9部の話を良くされていた。召天後に出された「葬りを越えて」という説教集の中に詳しい。岸本先生は、6部9部の話をされる時、しばしば泣いた、というより嗚咽をしていた。なぜそうなのかはわからない。何か体験があったのかもしれない。
卒業後に赴任した三重県の教会ではとなりの教会が旧ホーリネスで、難波良助牧師にはお世話になった。難波先生は弾圧の体験者である。ご夫人の愛子さんのご葬儀では奏楽をさせていただいた事を懐かしく思い出す。
そういうわけで私は、歴史の中のホーリネスに対する弾圧ということに敬意をはらってきた。
ところがである。日本ホーリネス教団信徒の根田祥一氏が昨日、FBでその歴史とはま逆なことを言っていた「ようなのだ」。
私が言論においてクリスチャントゥデイ異端カルト捏造を追求している中で、昨日たまたまあまりにもコメントがうるさかったので一つのウェブを閉めたところ、私が記事を書き間違っていたから閉めたのだと勘違いをされたようで、それを書いていた「ようだ」。だが、それを見ていたアバコにある新聞社の人が、「もはや懲戒の対象では」と言った「ようなのだ」。
言論のなかで起こったことに「懲戒」などと言ってる新聞記者が、そもそもおかしいのだが、やはり新聞記者である根田氏はそれに対して上記のように、「うちの教団ならとっくに戒規の対象」と呼応しているのである。
私はこのキャプチャを見たとき、講壇で嗚咽していた岸本羊一牧師の姿が頭の中をかけめぐった。日本ホーリネス教団は、弾圧に抗してきた崇高な歴史を持つ教団では無かったのか?私のように言論で事をしている者がいるなら戒規の対象にするような、主体的弾圧教団になってしまったのか?そうならばはなはだ残念ではある。
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2020-05-05 09:53:49
個人ブログの記事を消したら懲戒はまさか無いだろう。しかもペンで勝負するべき新聞記者が。>>
私が「うちの教団ならすでに戒規の対象」と書いたのは、臼田氏が「個人ブログの記事を消したから」ではありません。FB投稿を部分的に切り取り、発言の文脈を無視して自分の議論の中に無理やり当てはめれば、何でも言えてしまいます。それでは「原理講論」がやっている事と同じです。
私が臼田氏の言動を「うちの教団ならすでに戒規の対象」と書いたのは、私を批判したり攻撃したりするからでもありません。言論には言論で対抗すべしというのが私の信条であり、自分の都合の悪いブログを裁判に訴えて閉鎖に追い込むような手法は言論人として厳に慎むべき恥ずかしいことです。それは教会戒規でも同じこと。
臼田氏がもはや戒規に値する理由、それは坂井氏に対する執拗な個人攻撃、誹謗中傷が、社会人としてあまりに非常識、ましてや日本基督教団牧師にあるまじき暴挙だからです。
https://blog.goo.ne.jp/uccjkc/e/54d42cb3b7ca0c34fb96c4503619508d?fm=entry_awc
この記事は一例にすぎません。臼田氏は2月29日、私のFBタイムラインで坂井氏をさんざんバカにし、挑発した挙句に「規範意識のおかしい無法者の居宅はこのあたりか」という捨て台詞とともに、全く関係ないお宅のストリートビューを貼り付けるという暴挙に及びました。この行為は明らかに個人情報保護法、ストーカー防止法に抵触するような不法行為であり、牧師してはもとより社会人としてアウトです。
かくのごとき不法行為をもし私が所属する日本ホーリネス教団教職が行ったら、当然、戒規の対象として調査委員会が立ち上げられるでしょう。これはキリスト教弾圧や教会・牧師への迫害という問題とは全く異質の問題です。ホーリネス弾圧の歴史に関心を寄せてくださることには敬意を評しますが、関係のない二つの問題をごちゃ混ぜにして奇怪な持論に利用するのは不当行為であり迷惑千万です。
ちなみに私は1997年から、そのホーリネス弾圧事件に絡んで日本ホーリネス教団総会で決議した「戦争責任告白」をフォローする「福音による和解委員会」の委員を発足当初から現在まで続けています。その戦争責任告白に基づいて韓国のと日本の聖潔(ホーリネス)教団が十数年来続けている日韓共同歴史研究会のメンバーでもあります。さらに言うならば、日本ホーリネス教団の中で起こったセクシュアル・ハラスメント、パワー・ハラスメントなどの人権侵害を是正する取り組みをするため2005年に設置された「人権対策室」のメンバーも発足以来現在まで続けています。
たとえ「カルト」であろうと「異端」であろうと、個々人の信教の自由をはじめとした基本的人権は守られなければなりません。何を信じるか信じないかは当然の権利です。臼田さんはそこを勘違いし続けていて、根田があたかも「あいのひかり」(正式名称:オリベットアッセンブリー=通称:共同体)の方々の信仰を迫害しているかのような誹謗中傷を繰り返してきました。しかし私が問題にしているのはそうではなく、共同体が虚偽によってキリスト教界を欺き、メンバーの人権を侵害していることに対する批判です。それは日本基督教団原理問題連絡会(現・カルト問題連絡会)が大切にしてきた基本姿勢ではないですか?
勘違い、決めつけ、お粗末な誤認、曲解は即刻、深く反省して改めていただきたい。私が臼田さんに要求するのはこの事です。理にかなった批判は大いに結構。言論には言論をもって受けて立ちます。
それでは、根田さんが「あいのひかり教団の方々は、イエス・キリストを救い主とする、正統なクリスチャンととらえてる」ということでよろしいのですね。
「異端」であろうと「カルト」であろうと信教の自由をはじめとする基本的人権は守られなければならない、これが私の確信です。聖書からの逸脱、解釈の間違いについて批判することは「信仰の迫害」ではありません。キリストの教会が2000年にわたって真剣に取り組んできた正当な論戦です。その論戦は、互いに自分が信じている信仰の内容を正直に嘘偽りなく表す時にのみ成り立ちます。もしそこが覆い隠される隠蔽されるなら、まずその事実を明らかにしなければ、信仰内容の聖書的な是非について論議にはなりません。
では、あいのひかりの人たちは「異端だからそれでも信教の自由が守られなければならない」ということですか?
問題があるならば、坂井氏が訴訟をおこすなりすれば良い話で、根田氏にそれを何か言われる筋合いはありません。