風薫る五月とは季節の決まり文句になっていますが、たしかにこの時季に新緑の若葉の中を吹き渡ってくる風はことに爽やかで微かな香りを運んでくるように思います。そんな“五月の風”というフレーズが繰り返しでてくるのがこの歌。長い間、詩・曲ともに高石ともやさんだと思い込んでいました。あらためて昔のレコードを引っ張り出してみると作詞は浅水優子さんという方でした。どういう方なのか記憶にありません。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければ幸いです。
ちょっとだけ恋人
浅水優子 作詞
高石ともや 作曲
やさしくて さびしげで
ちょっと強気で 一本気
かたいりんごのように
ちょっとだけ わがままな人
※そのままでそのままで
五月の風のようなあなた
そのままでそのままで
私のそばにいて
のびやかで まっすぐで
草いきれする大地
若い柳のように
ちょっとだけ 孤独なひと
※ (くりかえし)
あわてずに ていねいに
ゆったりと あなたのそばで
目を閉じれば 夢のように
ちょとだけ 恋人
※ (くりかえし)
この詩に使われていることばのひとつひとつがとっても好きです。「ちょっとだけ・・・」「そのままで」「草いきれ」もちろん「五月の風」も。
これは恋心を唄ったものですが、「あわてずに ていねいに ゆったりと」という部分は、どんなことにでもあてはまるフレーズだと思っています。このことば、いつもお尻のポケットに入れています。
ちょっとだけ恋人
浅水優子 作詞
高石ともや 作曲
やさしくて さびしげで
ちょっと強気で 一本気
かたいりんごのように
ちょっとだけ わがままな人
※そのままでそのままで
五月の風のようなあなた
そのままでそのままで
私のそばにいて
のびやかで まっすぐで
草いきれする大地
若い柳のように
ちょっとだけ 孤独なひと
※ (くりかえし)
あわてずに ていねいに
ゆったりと あなたのそばで
目を閉じれば 夢のように
ちょとだけ 恋人
※ (くりかえし)
この詩に使われていることばのひとつひとつがとっても好きです。「ちょっとだけ・・・」「そのままで」「草いきれ」もちろん「五月の風」も。
これは恋心を唄ったものですが、「あわてずに ていねいに ゆったりと」という部分は、どんなことにでもあてはまるフレーズだと思っています。このことば、いつもお尻のポケットに入れています。
浅水さんは私の母くらいの年代の方でしたので今は70を超えてらっしゃるでしょうか。若いころはモデルや飲食業などをしていたそうで、きれいな娘さんが確か3人おられたような。
何年か前に、浅水さんのオフィスがあったビルの前を通ったんですが、建て替えられていました。かなり古いビルだったので阪神大震災のあと壊されたのかもしれません。
現在は連絡先が分からず、時折、どうされているのかなあ、お会いしたいなあと懐かしく思い出しています。
浅水さんとお知り合いだったんですか。
コピーライターをしておられたんですね。
ことばの選び方や使い方がとても素敵です。
きっと素敵な方なんでしょうね。
高石さんはこの詞に心地よい三拍子の曲をつけています。↓
http://www.youtube.com/watch?v=sajqSKjsl8w
nobさんへ
母の名前で検索していて nobさんのブログに辿り着きました。
nobさん、母の書いた詞を大切に想っていてくださってありがとうございます。
母は「強気で一本気、かたすぎるりんごのように かなり わがままな人」でした。
波乱の人生を駆け抜け、親孝行もさせてくれず今年の夏、70歳で去っていきました。
最後までわがままな人でしたが、良き人間でした。
nobさん、本当にありがとうございます。
浅水優子の娘より
>「強気で一本気、かたすぎるりんごのように かなり わがままな人」でした
そのお言葉で浅水さんのお人柄が偲べるようです。
この曲は1982年にナターシャ・セブンがリリースした「ヒットエンドラン」というアルバムに収められています。30年経った今も口ずさみ続けています。
昨夏、お亡くなりになったんですね。遅ればせながらお悔やみ申し上げます。浅水さんが逝かれても、「ちょとだけ恋人」は私の心のなかで生き続けています。素敵な詩を残してくださいました。感謝です。
ゆかりさんにいただいたコメント↑にある
>きれいな娘さんが確か3人おられたような
というのは貴女ですね。優子さんの他の詩も聞いてみたいと思います。よかったら教えていただければ幸いです。
コメント、本当にありがとうございました。素晴らしい年明けになりました。
この詩の対象者です、初めてコメントします。
1981年春は彼女が38か39でコピーライター、私22で東京の大学卒業、大阪で新入社員の時で、半年ほどでしたが、つきあっていました。北浜の事務所で過ごしたり、毎日飲み歩いたり。お世話になりました。
高校生の貴方の写真を彼女はいつも持っており、何度も見せてもらいました(確か一人娘だった?)
彼女は20歳そこそこの若さで結婚し(世間知らずと自分では言っていた)数年で離婚されたとの過去の話もよく聞きました。
この詩が偶々高石ともやさんの目に止まり、歌にしてもらい、2人で行ったコンサートでは舞台のうえからともやさんが客席の浅水さん(私の隣)を紹介するとの場面が印象的でした。
急なコメントで申し訳ありません、一旦これで失礼します。
コメントありがとうございます。
高石さんがご逝去されました。寂しくなりましたが、ともやさんはそれぞれにそれぞれの思い出をのこしてくださいました。
このブログでの御縁もそうかもしれません。
「ちょとだけ恋人」が生まれた背景をまたひとつ知ることができて、ますますこの詩に愛着がわきました。