近くにイスラムの女子学校があった。休み時間でしょうか5,6人の女性徒が談笑しています。14,5歳かしら?全身黒いコスチュームで顔だけ出しています。その顔の美しい事!カメラに収めたい。しかしNOでした。何処から来たの?、日本は大きな地震があったでしょう?あなたの国の医師団が最初に来て助けてくれたのよ、有難う。などの会話をした後、雰囲気はとてもフレンドリー、もう一度、写真を撮らせてと頼みましたが、やはりNOでした。仕方なしに遠方から…。
岩のドームの上部には美しいブルーのタイルが貼ってある。オスマン朝時代、ペルシャで焼かれたタイルです。雲ひとつない青空に金色のドームは耀き、タイルのブルーが青空をますます青くし、静謐な空気に満ちています。
中には巨大な岩があるそうです。それはアブラハムが息子を犠牲として奉げようとした祭場であり、復活したイエスの足跡や天界へ旅立った時の預言者ムハンマドの足跡が残されているそうです。現在はムスリムでなければ入場できない。しかしアラビア語で神霊節句を言えれば入場でき、人前で三回唱えるとイスラム教に改宗したことになるとガイドは言っている。
この壮麗な黄金色の丸天井を抱く八角形の大モスクは691年に完成し初期ムスリム時代を代表する建物です。手前に見えるアーチは重要な意味があるそうです。かつてヘロデの神殿が建っていた頃、異邦人や女性との庭を分けていた垣根の名残りでムスリムは”秤”(マワージーン)と言い最後の審判の日に此処に秤がかけられ、人間の行ってきた行為の善悪が裁かれたと伝えられているのです。ドームを覆う黄金は金箔が貼られている。
正装の若い男性と嘆きの壁の外で出会いました。早速声をかけました。”Sure" 。 喜んで写真を撮らせてくださいましたよ。正装の彼等、無職で国家の保護のもと生活費を支給されているとガイドは言っています。戒律により、もみあげを切ってはならない、長くなった人は三つ編みにしています。黒ずくめで格好がいい!なんていうと叱られるでしょうね。
パラソルが広げられ何かお祭りをしています。13歳の少年の成人式”バルミツバ”が行われています。少年はこれからユダヤ人社会の正式メンバーになり、戒律を順守する義務が生じるそうです。親族の立会いのもとと言いますが女性は立ち入れないので、仕切りの所の椅子に乗って飴を撒いて賑やかに何か言っている。空いた椅子に乗って覗いてみた。チベット仏教のマ二クルマに似た物を振りかざしています。少女が私に飴を一つ手渡してくれた。
最も興味のあった所です。この巨大な石壁はユダヤ王ヘロデ大王が築いたもの。帝政ローマの圧政に苦しめられ難民となったユダヤ人は壁の前にたたずんで往時を偲び、祖国を懐かしんでは嘆き悲しみ、祖国回復を祈るようになった事から、特に残っていた西壁が崇敬の場となったそうです。ユダヤ人にとって西壁は嘆きの象徴ではなく、絶望のなかから民族の未来の希望を見出し、生き抜いてきた拠り所とも…。壁の下層の巨大な石組みはオリジナルで地上七層までがヘロデ時代のものだそうです。半分に仕切られ向かって左が男性、右が女性の場所です。涙を流して祈っている若い女性がいた。
新しい立派な電車が走っています。数回お目にかかった。まだ試運転だそうです。何か不具合があって試運転、試運転を繰り返し、一向に市民が利用する段階に入らないとガイドは言っています。慎重な国民性なのかなあ?