この聖人は旅人の守護神。河渡しの仕事を終えた時、一人の幼子が河を渡して欲しいと言って来た。仕方なしに担いで河を渡り始めるとだんだん重くなって、見るとその子供は地球を背負っていた。その子は取りも直さずイエス・キリストだったと伝えられているそうです。1470年頃マイスターによって造られた彫像。しっかり拝んで来ました。
1360年頃ケルンのフランシスコ会修道女聖クララのために作られ1811年に此処に納められました。両翼がたためるようになっており、その翼にはキリストの人生の24の情景を見る事が出来る。ケルンの祭壇建築藝術の主要作品の一つだそうです。
10世紀後半にゲロ大司教が寄贈した高さ2mあるオーク材の大十字架。死の瞬間のキリストがリアリスティックに表現され、当時の人々は驚いたそうです。木像ですから乾燥してひびが入った事があり、ミサの時拝受されるホスチア(聖体…薄いおせんべいのような物)を割れ目に入れたら塞がったと言う話を現地ガイドは奇跡のように話していました。そうでしょう…ホスチアは水溶きのでんぷんを焼いただけだそうですから。
1164年ミラノから東方三博士の遺骨がケルンにもたらされた。その後1190年から30年かけて著名な金細工師によって金や宝石に飾られた美しい棺が造られた。台形の正面板は取り外す事が出来1月6日の聖三賢者の祭日には後ろに金の冠が置かれた三つの頭蓋を見られるそうです。イスラエルに行って学んだが、こうした話はちょっぴりの史実を大きく膨らめた物語なのですね。(叱られるかなあ)
この旅の一番の目的、ケルンの大聖堂のファサードです。1248年に始まった建設工事が16世紀半ばに中断され(経済的理由)300年近くも未完の姿で晒されていた。1814年工事は再開され1880年完成、600年余りを経てこのゴシック様式の大聖堂は完成しました。双塔の高さは157m、ウルムの大聖堂に次いで世界二位。正式名はザンクト・ペーター・クント・マリア大聖堂と言うそうです。