映画、見る前には不安で不安で。
一般に、原作好きを満足させる映像作品を作り上げるのは、相当に難しいことだと思う。
正直今回のこれは、低予算でそこそこの作品を作り、とりあえず劇場にかけちゃおう程度の
姿勢であろうと決めつけていた。
(また題材的に、いかにもそれにぴったりな小粒な作品なんだもの)
そしたらねー。驚くほどにいい映画でした。文句はない。
映画としてはものすごく地味だけど。しかし丁寧に作った。
原作の着実さをうまく写し取っている。少しずつ積み重ねて、最終的に美しい色の絵を描き出す。
映画も同じことが出来ていた。映画でやるには色々と難しい方法だと思うのに。
こんなに忠実に作って、なおかつ映画になっているのは実は珍しいことなのではないか。
ここまでやるとは全く思わなかったよ。
これを実現するには、よほど原作を愛するか、あるいはかなり利口に分析しないと無理だと思う。
どちらなんだ。どちらもなのか?
脚本・監督の長崎俊一。おおっと、奥さんも脚本家として加わっているのか。
……奥さんの手柄かなあ。女性の気配を感じる気がする。
美術関連が非常に良かった。えらいぞ、美術監督・矢内京子!
わたしが一番嬉しく見たのはティーポット。2人暮らしの生活には不自然なほどどっしりした、
いかにもイギリスっぽい(少し時代色のついた)大きなティーポット。
トレイと並んで、選択の上手さに感心した。これがメリオールなんか使われた日には
(そこまでいかなくてもアフタヌーンティーなんかだったりすれば)
作品世界がガタガタになっていたところだ。(ミントンあたりならぎりぎり赦せるかも)
他にはクッションも、布団も。お母さんの部屋は赤毛のアンの部屋を思い出した。
家そのものも、衣装も、家具も、全部。文句はない。和洋折衷のバランスが絶妙。
そしてこれらを、微かな違和感を抱かせるほどにじっくりと映す。
これは撮影監督の手柄なのかな。自然と小物の映し方は素晴らしかった。
それから、たった1ショットのためにおじいちゃんの部屋を作ったのはほんとに偉かった。
が、実は、人間を映す部分はだいぶ不満があったけどね。
なんか間が抜けているっていうか。冒頭の親娘3世代がテーブルについているところとか、
お父さんが遊びに来ているところとか、あの辺はもう少し上手く撮れるんじゃないかなあと思ったよ。
役者的にも難しい部分はあった。
何しろ主役を子供の新人がやるのは。この作品の主人公はただ動いていればいいわけじゃなく、
内面の演技が必要とされるからね。荷が重かったのは確か。
主役の子は時々とてもいい部分はあったし、イメージも遠からずではあったけど、
ベストとは言い難い。かといって他の誰なら出来るってもんでもないから、努力賞はあげられるが。
サチ・パーカー。
シャーリー・マクレーンの娘がなんでこんな日本映画に出る?と狐につままれた思いだったが、
パンフレットを読んで「へえ~」だった。
シャーリー・マクレーンって自分の娘にサチコとつけるほどに日本びいきだったのか。
そして本人は12歳まで日本で育ったとか。へーへーへー。
いや、これは人を得たねえ。こういう役者がいなければ映画化は無理だったかもしれない。
いい「おばあちゃん」だった。登場シーン、体を横に揺らすような、いかにもおぼつかない
足取りを見た瞬間、おばあちゃん子だったわたしは涙が出てしまった。
彼女はそれでも実年齢は50歳そこそこらしい。実際の風貌も見てみたかったな。
(そして実際の風貌……(^_^;))
http://www.asahi.com/komimi/TKY200802280248.html
木村祐一の登場シーンは気に食わなかった。粗野にしすぎて棒と感じた。
それに比してラストシーンは良かったけどね。彼は「花よりもなほ」で良かったので、
役柄によってはいい味の役者なのだと思うが。
役者と役者のつながりが、いつも上手く撮れていたわけではなかったので、
高橋克実の巧者ぶりが目立った。彼が画面にいるだけで統一感を感じた。
たしか原作にあの人は出てこないと思うけど、いい創作をしましたね。
「じゃあ今度みんなでぱーっと……配達しよう!」は、狙い通り笑わされた。
原作のギンリョウソウは印象的な小道具で、それが無くなったのは残念だったけど、
でもキュウリソウ一つにしぼったのは良かった。
原作を読んだ時も、2つに分散させるのは痛しかゆしだなあと思ったので。
ところでこの作品はタイトルで損をしているんじゃないかなあ。
インパクトのあるタイトルではあるんだけど、こういう話を本来読みたい層って、
このタイトルでは読んでみる気を起こさないのではないか。
読む前から誰かが死ぬとわかっている話は、好き嫌い分かれるんじゃないかね。
一般に、原作好きを満足させる映像作品を作り上げるのは、相当に難しいことだと思う。
正直今回のこれは、低予算でそこそこの作品を作り、とりあえず劇場にかけちゃおう程度の
姿勢であろうと決めつけていた。
(また題材的に、いかにもそれにぴったりな小粒な作品なんだもの)
そしたらねー。驚くほどにいい映画でした。文句はない。
映画としてはものすごく地味だけど。しかし丁寧に作った。
原作の着実さをうまく写し取っている。少しずつ積み重ねて、最終的に美しい色の絵を描き出す。
映画も同じことが出来ていた。映画でやるには色々と難しい方法だと思うのに。
こんなに忠実に作って、なおかつ映画になっているのは実は珍しいことなのではないか。
ここまでやるとは全く思わなかったよ。
これを実現するには、よほど原作を愛するか、あるいはかなり利口に分析しないと無理だと思う。
どちらなんだ。どちらもなのか?
脚本・監督の長崎俊一。おおっと、奥さんも脚本家として加わっているのか。
……奥さんの手柄かなあ。女性の気配を感じる気がする。
美術関連が非常に良かった。えらいぞ、美術監督・矢内京子!
わたしが一番嬉しく見たのはティーポット。2人暮らしの生活には不自然なほどどっしりした、
いかにもイギリスっぽい(少し時代色のついた)大きなティーポット。
トレイと並んで、選択の上手さに感心した。これがメリオールなんか使われた日には
(そこまでいかなくてもアフタヌーンティーなんかだったりすれば)
作品世界がガタガタになっていたところだ。(ミントンあたりならぎりぎり赦せるかも)
他にはクッションも、布団も。お母さんの部屋は赤毛のアンの部屋を思い出した。
家そのものも、衣装も、家具も、全部。文句はない。和洋折衷のバランスが絶妙。
そしてこれらを、微かな違和感を抱かせるほどにじっくりと映す。
これは撮影監督の手柄なのかな。自然と小物の映し方は素晴らしかった。
それから、たった1ショットのためにおじいちゃんの部屋を作ったのはほんとに偉かった。
が、実は、人間を映す部分はだいぶ不満があったけどね。
なんか間が抜けているっていうか。冒頭の親娘3世代がテーブルについているところとか、
お父さんが遊びに来ているところとか、あの辺はもう少し上手く撮れるんじゃないかなあと思ったよ。
役者的にも難しい部分はあった。
何しろ主役を子供の新人がやるのは。この作品の主人公はただ動いていればいいわけじゃなく、
内面の演技が必要とされるからね。荷が重かったのは確か。
主役の子は時々とてもいい部分はあったし、イメージも遠からずではあったけど、
ベストとは言い難い。かといって他の誰なら出来るってもんでもないから、努力賞はあげられるが。
サチ・パーカー。
シャーリー・マクレーンの娘がなんでこんな日本映画に出る?と狐につままれた思いだったが、
パンフレットを読んで「へえ~」だった。
シャーリー・マクレーンって自分の娘にサチコとつけるほどに日本びいきだったのか。
そして本人は12歳まで日本で育ったとか。へーへーへー。
いや、これは人を得たねえ。こういう役者がいなければ映画化は無理だったかもしれない。
いい「おばあちゃん」だった。登場シーン、体を横に揺らすような、いかにもおぼつかない
足取りを見た瞬間、おばあちゃん子だったわたしは涙が出てしまった。
彼女はそれでも実年齢は50歳そこそこらしい。実際の風貌も見てみたかったな。
(そして実際の風貌……(^_^;))
http://www.asahi.com/komimi/TKY200802280248.html
木村祐一の登場シーンは気に食わなかった。粗野にしすぎて棒と感じた。
それに比してラストシーンは良かったけどね。彼は「花よりもなほ」で良かったので、
役柄によってはいい味の役者なのだと思うが。
役者と役者のつながりが、いつも上手く撮れていたわけではなかったので、
高橋克実の巧者ぶりが目立った。彼が画面にいるだけで統一感を感じた。
たしか原作にあの人は出てこないと思うけど、いい創作をしましたね。
「じゃあ今度みんなでぱーっと……配達しよう!」は、狙い通り笑わされた。
原作のギンリョウソウは印象的な小道具で、それが無くなったのは残念だったけど、
でもキュウリソウ一つにしぼったのは良かった。
原作を読んだ時も、2つに分散させるのは痛しかゆしだなあと思ったので。
ところでこの作品はタイトルで損をしているんじゃないかなあ。
インパクトのあるタイトルではあるんだけど、こういう話を本来読みたい層って、
このタイトルでは読んでみる気を起こさないのではないか。
読む前から誰かが死ぬとわかっている話は、好き嫌い分かれるんじゃないかね。
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