20年くらい前に平泉関係の本を相当読んだ。
それ以降出版された本をある程度つぶそうと思ってリストアップしたなかの一冊。
入間田さんは平泉が専門の歴史学者。
この本は歴春ふくしま文庫というシリーズとして編まれたらしい。
歴史春秋社という会津にある出版社が出してるんですね。
こういう地方出版社あるあるだが、地元の細かいテーマを拾う本を出してくれる。
この本自体は2007年出版、その時点で101巻で完結しているみたい。
民俗・歴史・植生・生物相・地理などの多様な観点のシリーズ。
だから――というわけでもないだろうが、けっこう書き方が雑な感じですね。
でもそのラフさが吉と出ていて、サクサク読めて読みやすい。
根が学者だからそんなに適当なことは言ってない(と思われる)し。
関連論文もかなり挙げてくれているし、これを頼りに拾って行って、
図書館から借りてくることも出来る。
この本で意外だった内容は2点。
会津は奥州平泉の勢力範囲ではなかったらしい。むしろ越後の城氏との関係が深かったそうだ。
城氏の遺構の何とかっていう遺跡(←陣ケ峯遺跡)の規模がでかい。
恵日寺との関係も城氏の方が深い。へー。知らなかった。
あといわきあたりの領主もそこまで平泉との関係が深くない。
わたしは白水阿弥陀堂があり、秀衡の妹が嫁入ったという話もあるから
緊密な関係だと思っていたが、むしろ緊密じゃないからこその嫁入り。という線もありそう。
そもそも「白河以北」という言い方は近代の言い方で、浜通りが白河の関で
区切れるわけないのだ。もちろん勿来の関の存在は大きいだろうけど。
あ、あともう一点。
奥州合戦の時の阿津志山防衛線は、地形的に実に納得出来るんだけど、
いわき、会津あたりまでが勢力範囲外だったなら、
佐藤庄司一族が石那坂で防衛線を張った意味や状況は、今まで思っていたのと
ちょっと変わってくる。
まあ福島県中央部は少なくとも平泉の範囲内としても。
思っていたよりはるかに心細い状況で、最前線のさらに外で戦ったことになるから。
飯坂の地が本拠地だから、本拠地を捨てて阿津志山まで退くほどの背水感は
なかった気がするが、ここまでは来ないだろうと楽観視出来たほどの地の利じゃない気がする。
あ、もう一つあった。
「人々給絹日記」は、わたしはてっきり家来たちに渡す被け物としての装束だと
なんの疑問もなく思い込んでいたけど、身内へのプレゼントだとは思ってなかった。
思い出すのは「源氏物語」の元旦の装束配り。たしかにあれは被け物ではないよなあ。
ああいうノリなんだろうか。
装束を被け物にするのもないわけじゃなかったはずだけど、事前に配っておいて
大宴会の見た目を整える、お仕着せ、というのもありうるなあ。
他者の論文についての言及も多数で、文句を言ってるところも素直に受け入れてるところも
あってオモシロイ。こういうのに書いたことも相手の目に触れるんですかねえ。
せっかくだから、面白そうなのを控えておいてそのうち読もうか。
この本は気軽に読める良い本でした。
それ以降出版された本をある程度つぶそうと思ってリストアップしたなかの一冊。
入間田さんは平泉が専門の歴史学者。
この本は歴春ふくしま文庫というシリーズとして編まれたらしい。
歴史春秋社という会津にある出版社が出してるんですね。
こういう地方出版社あるあるだが、地元の細かいテーマを拾う本を出してくれる。
この本自体は2007年出版、その時点で101巻で完結しているみたい。
民俗・歴史・植生・生物相・地理などの多様な観点のシリーズ。
だから――というわけでもないだろうが、けっこう書き方が雑な感じですね。
でもそのラフさが吉と出ていて、サクサク読めて読みやすい。
根が学者だからそんなに適当なことは言ってない(と思われる)し。
関連論文もかなり挙げてくれているし、これを頼りに拾って行って、
図書館から借りてくることも出来る。
この本で意外だった内容は2点。
会津は奥州平泉の勢力範囲ではなかったらしい。むしろ越後の城氏との関係が深かったそうだ。
城氏の遺構の何とかっていう遺跡(←陣ケ峯遺跡)の規模がでかい。
恵日寺との関係も城氏の方が深い。へー。知らなかった。
あといわきあたりの領主もそこまで平泉との関係が深くない。
わたしは白水阿弥陀堂があり、秀衡の妹が嫁入ったという話もあるから
緊密な関係だと思っていたが、むしろ緊密じゃないからこその嫁入り。という線もありそう。
そもそも「白河以北」という言い方は近代の言い方で、浜通りが白河の関で
区切れるわけないのだ。もちろん勿来の関の存在は大きいだろうけど。
あ、あともう一点。
奥州合戦の時の阿津志山防衛線は、地形的に実に納得出来るんだけど、
いわき、会津あたりまでが勢力範囲外だったなら、
佐藤庄司一族が石那坂で防衛線を張った意味や状況は、今まで思っていたのと
ちょっと変わってくる。
まあ福島県中央部は少なくとも平泉の範囲内としても。
思っていたよりはるかに心細い状況で、最前線のさらに外で戦ったことになるから。
飯坂の地が本拠地だから、本拠地を捨てて阿津志山まで退くほどの背水感は
なかった気がするが、ここまでは来ないだろうと楽観視出来たほどの地の利じゃない気がする。
あ、もう一つあった。
「人々給絹日記」は、わたしはてっきり家来たちに渡す被け物としての装束だと
なんの疑問もなく思い込んでいたけど、身内へのプレゼントだとは思ってなかった。
思い出すのは「源氏物語」の元旦の装束配り。たしかにあれは被け物ではないよなあ。
ああいうノリなんだろうか。
装束を被け物にするのもないわけじゃなかったはずだけど、事前に配っておいて
大宴会の見た目を整える、お仕着せ、というのもありうるなあ。
他者の論文についての言及も多数で、文句を言ってるところも素直に受け入れてるところも
あってオモシロイ。こういうのに書いたことも相手の目に触れるんですかねえ。
せっかくだから、面白そうなのを控えておいてそのうち読もうか。
この本は気軽に読める良い本でした。
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