アッカンベー その6
姫の毎日はあわただしく動いていた。父王は、そのまた父から王位を受け取っただけののんきな人だったので、自分が「フツウ」の人になってしまうということがよくわかっていなかった。元王ということで、領地が落ち着くまでの間、城の高い塔の中ほどに幽閉されることになった。
姫は、多くのメールを受け取った。
受信「姫(失礼しました、つい慣れているもので。もう姫でいらっしゃるわけではありませんでしたね)お洋服のご注文が宙ぶらりんになっております。どうなさいますか。もちろん代金さえお支払いただければ、いつでもつくらせていただきます」
受信「姫(ほかにどのようにお呼びしたらいいのかわからず、こうお呼びすることをお許しください)先月のお支払が滞っております。お支払いただけないようですと、恐れながら、訴訟ということになってしまいます。どうぞ、お急ぎ、お支払ください」
受信「姫、わたしは領地の住人です。わたしたちは王の治世で貧しいながらも穏やかに暮らしておりました。これからは、新しい王がいらっしゃるようですが、不安です。なぜ、このようなことになってしまったのでしょう。住民の不安を姫はどう考えていらっしゃいますか」
受信「姫、あんたたちがのんびり過ごしている間に、この国は敵対勢力に目をつけられてしまった。いったいこの国は、この先どうなるんだ。領民はみんな脱出の準備をしている。この責任、どう取ってくれるんだ。」
「hime」あてに来るメールもあった。
受信「hime、お城では大変なことになってしまっているようですね。himeは無事ですか。でも、王さまも、王一族も、敵対勢力を考えもしなかったのだから、この国がこうなってしまったのも、しようのないことかもしれません。himeも、お城なんて出て、城下にいらっしゃいよ」
姫は、これだけは自分のものとしてもよいだろうという、わずかばかりの本と服と身の回りのものをトランクに詰めていた。
「わたくしは、何にも知らなかった。知っていると思ったもの、持っていると思ったものは、幻だったのかもしれない。わたくしが本当に考え深かったなら、この国を違う方向に持っていけたかもしれないのに。」トマトのようだった唇は強くかみ締めすぎて、ひび割れていた。けして泣くまいと思ったのに、トランクの中に一粒涙がこぼれた。
「姫、はじめまして」
その聞き覚えのない声に、姫は涙を気取られぬよう注意しながら振り返った。
「はじめまして、姫。わたしがこれからこの国を治めるhokanです。おや、ご旅行ですか。まあ、姫にとってもあわただしい日々でしたでしょうから、短い旅などもよいかもしれませんね。しかし、必ず、またここに帰ってきてくださいよ。『城』に『姫』は付き物です。お待ちしておりますよ。」
青年は、姫に城に居ろという、その意味は何だろう、それより、なぜ、この年若い人がこの国の新王となることができたのだろう。疑問はたくさんたくさんわいてきた。この国は、これから彼の思うままなのだ。何かを「姫」として言わなければならないと思いながらも、何をどう聞いていいのか姫には思いつかなかった。青年は、akanと同じ白い上着を着ていた。同じ国からきたのだろうか、と姫はぼんやり考えていた。
「新しき王hokanさん、はじめまして。わたくしが、この国の『姫』です。よろしくお願いいたします。私は父同様、城を追われるべきものです。ですから、城に居ても、私にはもう、何の役目もないはずです。どうぞ、あなたの思惑をお聞かせください。」
「姫、僕は王でも王子でもありませんよ。僕は単にこの国を買っただけです。貧しさの中でも懸命に働く住民たちを先ほど見せていただきました。いい買い物、安い買い物をしたと満足しています。いくつかの商いをしてきましたが、いつかは『国』を手に入れたいと思っていましたから、それが実現し、しかも、『姫』まで付いてきた。買おうとしなかった他の奴らは馬鹿ですよ。あなたは、『姫』をやってくださればいい。それで、国にも箔がつくってものです。僕はこれからいくつもの国を手に入れる。これはほんの一歩目です。手に入れた城で、あなたがまた『姫』として領民の前で手を振ってください。きっと領民は国が買収されたなどということは忘れ、美しい姫の民であることに熱狂するでしょう。そう、僕は経営者で、姫はビジネスパートナーってことですよ。」
青年はうれしそうに笑った。きっと、前にはだかる者があるのなら、躊躇せず切り捨てていくのだろうなと思わせる冷たい眼をしていた。そうして、自らが斬りつけた者の下敷きになったスミレを、そっと起こしてやるのだろうなと思わせるような、悲しい眼をしていた。
冷たい眼と悲しい眼を一緒に持っている人を、姫ははじめて見た。
姫の毎日はあわただしく動いていた。父王は、そのまた父から王位を受け取っただけののんきな人だったので、自分が「フツウ」の人になってしまうということがよくわかっていなかった。元王ということで、領地が落ち着くまでの間、城の高い塔の中ほどに幽閉されることになった。
姫は、多くのメールを受け取った。
受信「姫(失礼しました、つい慣れているもので。もう姫でいらっしゃるわけではありませんでしたね)お洋服のご注文が宙ぶらりんになっております。どうなさいますか。もちろん代金さえお支払いただければ、いつでもつくらせていただきます」
受信「姫(ほかにどのようにお呼びしたらいいのかわからず、こうお呼びすることをお許しください)先月のお支払が滞っております。お支払いただけないようですと、恐れながら、訴訟ということになってしまいます。どうぞ、お急ぎ、お支払ください」
受信「姫、わたしは領地の住人です。わたしたちは王の治世で貧しいながらも穏やかに暮らしておりました。これからは、新しい王がいらっしゃるようですが、不安です。なぜ、このようなことになってしまったのでしょう。住民の不安を姫はどう考えていらっしゃいますか」
受信「姫、あんたたちがのんびり過ごしている間に、この国は敵対勢力に目をつけられてしまった。いったいこの国は、この先どうなるんだ。領民はみんな脱出の準備をしている。この責任、どう取ってくれるんだ。」
「hime」あてに来るメールもあった。
受信「hime、お城では大変なことになってしまっているようですね。himeは無事ですか。でも、王さまも、王一族も、敵対勢力を考えもしなかったのだから、この国がこうなってしまったのも、しようのないことかもしれません。himeも、お城なんて出て、城下にいらっしゃいよ」
姫は、これだけは自分のものとしてもよいだろうという、わずかばかりの本と服と身の回りのものをトランクに詰めていた。
「わたくしは、何にも知らなかった。知っていると思ったもの、持っていると思ったものは、幻だったのかもしれない。わたくしが本当に考え深かったなら、この国を違う方向に持っていけたかもしれないのに。」トマトのようだった唇は強くかみ締めすぎて、ひび割れていた。けして泣くまいと思ったのに、トランクの中に一粒涙がこぼれた。
「姫、はじめまして」
その聞き覚えのない声に、姫は涙を気取られぬよう注意しながら振り返った。
「はじめまして、姫。わたしがこれからこの国を治めるhokanです。おや、ご旅行ですか。まあ、姫にとってもあわただしい日々でしたでしょうから、短い旅などもよいかもしれませんね。しかし、必ず、またここに帰ってきてくださいよ。『城』に『姫』は付き物です。お待ちしておりますよ。」
青年は、姫に城に居ろという、その意味は何だろう、それより、なぜ、この年若い人がこの国の新王となることができたのだろう。疑問はたくさんたくさんわいてきた。この国は、これから彼の思うままなのだ。何かを「姫」として言わなければならないと思いながらも、何をどう聞いていいのか姫には思いつかなかった。青年は、akanと同じ白い上着を着ていた。同じ国からきたのだろうか、と姫はぼんやり考えていた。
「新しき王hokanさん、はじめまして。わたくしが、この国の『姫』です。よろしくお願いいたします。私は父同様、城を追われるべきものです。ですから、城に居ても、私にはもう、何の役目もないはずです。どうぞ、あなたの思惑をお聞かせください。」
「姫、僕は王でも王子でもありませんよ。僕は単にこの国を買っただけです。貧しさの中でも懸命に働く住民たちを先ほど見せていただきました。いい買い物、安い買い物をしたと満足しています。いくつかの商いをしてきましたが、いつかは『国』を手に入れたいと思っていましたから、それが実現し、しかも、『姫』まで付いてきた。買おうとしなかった他の奴らは馬鹿ですよ。あなたは、『姫』をやってくださればいい。それで、国にも箔がつくってものです。僕はこれからいくつもの国を手に入れる。これはほんの一歩目です。手に入れた城で、あなたがまた『姫』として領民の前で手を振ってください。きっと領民は国が買収されたなどということは忘れ、美しい姫の民であることに熱狂するでしょう。そう、僕は経営者で、姫はビジネスパートナーってことですよ。」
青年はうれしそうに笑った。きっと、前にはだかる者があるのなら、躊躇せず切り捨てていくのだろうなと思わせる冷たい眼をしていた。そうして、自らが斬りつけた者の下敷きになったスミレを、そっと起こしてやるのだろうなと思わせるような、悲しい眼をしていた。
冷たい眼と悲しい眼を一緒に持っている人を、姫ははじめて見た。