うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

危機と好感度

2021年04月26日 | ことばを巡る色色
渡辺あや脚本「今ここにある危機とぼくの好感度について」1回目を見た。
内部告発者のセリフ。「権力を持ってる人たちって見下してる人間に対して想像力ないよね。見下すのは勝手だけど、見くびるのはやめたほうがいいよ」
思っていたが言語化できていなかったものがズバリと語られていて、深く心に刻もうと思った。
この言葉には(権力を持ってる人)(見下す)(見下してる人間に想像力がない)(見くびる)という状態が出ているのだけど、権力を持つと人を見下してしまいがち、というところに問題の発端があるが、そこから逃れることのできる人は多くない。権力を持つことはその全人格の優秀さを必要としないのに、権力を持つと人は(他者の上にいる自分)と錯覚してしまう。故に(見下す)ことをしがちである。(見下される人)は権力を持つ人が全てにおいて優秀ではないことを勿論知っている。たまたま今、力があるだけでしょ、って知っている。力のある人の言動の善悪を無言で判決している。そんなことを権力のある人は想像しない。多分、想像したくないのだろう。自分より力の無いものは自分より劣っていると見くびる方が面倒なことを考えず楽だからだ。力あるものが(見下し)(見下したものへの想像力をなくす)社会は澱んでいく。既得権益と見くびられたサイレントマジョリティ。
閉塞感とか、逃げどころのない社会が汚れて澱んで新しい流れがやって来ないって、そんな中で呼吸をするには、難儀なことだ。そう、好感度なんてものは蹴飛ばすしかないのか。

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