昨年は、高野山、吉野、熊野中辺路、大雲取越、小雲取越と熊野古道を歩いた。
大峰奥駈道は、女人禁制なので現時点では行けない。
ある雑誌?だったか、今後、「女人禁制も解かれるだろう」というコメントが載っていた。
もし、女人禁制が解かれたら是非行ってみたい。
アセンションに向けて徐々にエネルギーが変わってきている。
世の中の動きもどんどんスピートが増し混沌としてきて・・今までの常識が無くなってきている。
流されないように、しっかりと感度を高めグランディングしている事が大事。
この変わり目の時を体験する事は物凄く貴重な事かもしれない。
そして、この時期に生を受けてここにいると言う事も。
パートナーの協力を得てオーリングを試す。
しばらくお世話になっていた機関に関わる気持ちが無くなっている事は自覚していたがオーリングで明確になる。
色々な意味で卒業した事を実感。
お世話になった事に感謝し、さあ出発。
それぞれ人は自己像を持っている。
その中にある自己パターンはマインドも理解しているし無意識で動くことが出来るのでそれを繰り返している事は楽である。
今まで自分には無いと思っていたもの、自分には出来ないと思っていたものを始めようとする時、
抵抗が起きる。
失敗する事を想像しやすいが「やれる事」を知らない(想像しにくい)。
記憶の中にないので・・・どう進めばいいのかが分からない。
あとは、「絶対、やる」「絶対、到達する」という強い意思と継続の問題だ。
そういえば、知り合いに「私はスタートは0ではなくマイナス地点にいるが、努力する自信はあるのでその内に皆に追いつく」と言い切る人がいる。
その人は、目標を目指して日々努力し着実に実力をつけやれることから始めている。
自分の感覚から・・の声に従っている。
が・・・その内容が現実のものとなるかどうかの保証は無い。
保証の無いものを信じるのは冒険であり、懸けかもしれない。
保証は人間が作り出したもの。
自然は保証など無いのに。
人生は冒険と懸けかもしれない。
TVのコマーシャルで、木村カエラが携帯の呼び出し音(メロディ)を歌っている場面がある。
軽やかにリズミカルで木村カエラ自身が一つの楽器のように思えてくる。
彼女の資質(才能)なのだろう。
持っていないものを追い続けるより、持っているもの(資質・才能)を努力して開花させていくと素敵な花が咲く。
それは、外にあるものではなくそれぞれの中にあるが、それぞれが認めないと種があっても花は咲かない。
鎧は、硬くて強い・・という思い込みがある。
柔らかい・・・柔軟性のある鎧があってもいいんだね。
昨日は自己探求仲間の勉強会。
長年自己探求をし、そして自己探求は一生ものだと思っている人たちの集まり。
「気づき力」もあり、しっかり答えを自らの中から引き出していく。
うーん。そう進むか??と、意外な展開を目にし・・人間の持つ自己探求・啓発力に改めて感動。
掘り下げて何が出てきて何が起こるやら・・・楽しみ!!
生きている内にどこまで発掘できるのだろう!!
自分が何を欲しているか・・素直に認めた方がいい。
認めないと・・・それを得るための努力が出来ないし、チャンスも逃してしまう。
大人になると、簡単なようで素直でいる事はかなり難しいのかもしれない。
23日(日)は「自然と気づきのワーク in 鐘ヶ岳」の予定。
数日前までの天気予報は、曇り だったのが、昨日から 曇りのち雨
なんとかお天気が持ってくれるといいのだが。
なんと意味の深いことわざだろう。
逆だと・・
「天国への道は悪意がしきつめられている」になる?
一つの療法をじっくりと読みなおしてみる。
分かっているつもりになっていたが、まだまだ奥が深い事に気づく。
その内容がしっかりと読み取れるようになるまでどのくらいかかるのだろう。
深さが分かっただけでも進歩??かな。
シンプルには色々な意味がある。
物質的なシンプル。
精神的なシンプル。
いずれにしろ余分なものに惑わされず、自分の大事なものを中心にシンプルに生きたい。
最初に食べた料理の味でその料理に対する印象が決まる。
さまざまな療法も、ファシリテーターの料理(腕・人間性)によって味が決まってくる。
以前、魅力を感じなかった療法も、ファシリテーター(料理人)が違う事で深い味わいを持っている事に気づく。
療法は素材、ファシリテーターは料理人なのかもしれない。
変わりたいと言う・・。
何故変われないのかと問う。
今の状況を手放したくないからだと。
問題(文句)だらけの現状にも、その人にとっては意味がある。
その意味に気づき、手放す決心をしなければ変化は起きない。
変化を希望しても、変化を受け入れるのは難しい時もある。
「人生のあらゆる側面で、人は何よりも変化を怖がる。」キャロライン・メイス「チャクラで生きる」より。