吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

正義の像に思う

2014年04月24日 | 思うこと

せまるーショッカー

JASRACが来ると面倒だからここまでっ。
そう、仮面ライダーです。

最近、一番最初の仮面ライダーの初めのあたりを観たのですが、うーん良かった。
すっごいチープな映像なんだけど、作り手の情熱が感じられて。

知らない方へちょっと説明すると、優秀な大学生にしてバイクのレーサーである本郷猛(ルビはふらん)は悪の秘密結社ショッカーに拉致されて改造人間にされてしまう、脳改造直前にショッカーのメンバーであった恩師の緑川教授の手引きで脱走し、ショッカーと戦う仮面ライダーになるのです。

しばらくすると黄金のワンパターン時代に入るのだけど、最初の頃の緊張感はなかなかのものです。
自分をショッカーに推薦したのが恩師であると知ったとき、元には戻れないと知った時の苦悩、何気なく水道の蛇口をひねったら壊してしまって変わってしまった自分自身に恐怖するところとか、藤岡弘、(当時は「、」無し)氏の濃ゆーい演技がたまりません。
巨大な悪にひとり徒手空拳で立ち向かうというのはやっぱりカッコ良いです。

悪の手によって未来を奪われた主人公が復讐心を昇華させて正義の味方になるというのは、原作の石ノ森章太郎(当時は石森)ヒーローの基本形のひとつです。
彼の正義のアイデンティティは悪の存在によって裏付けられているのが特徴です。
正義の力、あるいは力による正義というのは悪の力に対抗してのみ存在すべきもので、日常的に存在すべきものではないというのが前提になっています。
これをもって石ノ森氏が正義を悪とは独立した概念として定義出来ていないという評論を見たことがありますが、それは違う。

多分、その系譜は川内康範氏の月光仮面あたりにあると思われます。
正義の味方、正義の助っ人というポジションです。
正義を求めるのはあくまで普通の人々であり、ヒーローはそれを助けるだけの存在だということです。正義の執行者でも主体でもないのです。
自由な世界というのは、悪の暴力も正義の力も無い世界という理想です。
正義であれ悪であれ、強い力は力であり、共に存在しない方が良いのです。
これが日本のヒーローの根底にある概念でしょう。

ちなみに、アメリカのヒーローは日常生活の中でも正義を主張します。それはつまり政治です。
よってヒーロー同士が思想、正義の違いで対立したり連帯したりとまあ複雑です。

写真は昔解体した蔵から出てきたソフビ人形、ざっと洗っただけです。

時には、これを見ながら正義や悪について考えを巡らせます。
見えて来るのは、僕らはなんとまあ善悪から遠いのだろうということ。
まず浮かぶのは、利害、損得だもんね。
大人ってのは、あきれるほどに幼稚なもんです。


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