今日は息子の中学の卒業式でした。
3年って、年をとった今となっては本当についこの前ですが、子供にとってはものすごい時間です
ね。
改めてそれを感じました。
親と子の間には色々なギャップがあるわけですが、この恐らくは年齢差による時間感覚の違いは
大きいでしょうね。
一日の長さの感じ方も違うのだろう、一時間の感じ方も違うのだろうか?一分は?
僕が中学を卒業するときはどうだったっけ。
ヘロヘロだった!
年が明けて受験の直前で肺炎になって、2週間あまり40度の高熱が続いたのでした。
ようやく熱が下がっても、全身はエネルギー不足からか筋肉痛が酷く、めまい、息切れ、倦怠感が
2ヶ月以上続いたのでした。
高校受験もその状態で臨んだのですが、何とか志望校に合格出来たのでした。
で、卒業式の時は気も緩み、体力も尽きてヘロヘロだったのです。
ふたクラス合わせても46人、その多くは保育園から一緒なのです。
そりゃあ付き合い長いし思い出も多いよね。うちは中学からなのですが。
そんな長い時をともに過ごして来た子たちの別れの場面はなかなかに切ないものがありました。
多く耳にした言葉は「優しさ」「暖かさ」、まあ寒かったし、先生の最後の言葉は約すれば
「簡単なことではないけれど、幸せになってください」
でした。
重いなあ。
優しさや暖かさを与えられる機会が少ないのだろうか?
少なくても、自分の中にそれを持つことは難しいことじゃないと思う。
幸せってそんなに遠いものなんだろうか?
コツがいるのは確かだけど、それは、純粋にそれをだけを手にしようと思ったら意外と簡単に手に
入ると思うのだけど。
僕には世界の一員という自覚は薄いけれど、それは間違いなくそうで、その僕らが作っている世界
では、優しさや暖かさや幸せが稀少価値を持っているのだ。
おっさんも頑張らねば。フツーに幸せな世界のためにね。
という言葉を送りたいですね。
早春の雑木林で、コツバメ見つけただけで、
あたしの場合、かなり幸せになってしまいます。
競争に勝って、年収の多い暮らしをすることが幸せではない…ってことに、せめて311以降、先生も気が付いて欲しかったなぁ……。
息子は今、漬物になる前の最後ののどかな日々にあります。
もうじき勉強漬けになるのです。
高校ではマンツーマンいやツーマンセル以上で先生が付いて勉強することになるようです。
自分が自発的に何かを求めるタイプではなく、外部からの力が必要なタイプであるとは自覚してい
るようです。
まあ、夜空に星が輝くように、窮屈な環境に置かれることで自由を見つけられるかも知れません。
さて、どうなることやら。