吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

初めて死を思ったこと

2007年11月23日 | 思うこと
もうずっと忘れていたのですが、古い歌謡曲を聞いていて思い出しました。
夜明けのスキャット

昭和44年、5歳の頃です。
東京の父方の祖父が亡くなって、その葬儀に上京したのでした。
多分初めて経験する葬儀だったと思います。
戸田橋の火葬場は当時は暗かった気がします。窯は耐火レンガをアーチ型に組んであって、厚い鉄の観音開きの扉(童話の本の挿絵の魔女の城のそれのようでした)を手で閉めて、かんぬきを掛けて、そのあともうひとつの扉を閉めたと思います。
煤けたレンガと、焼けた鉄の扉がとても怖かった。「焼く」という行為が圧倒的なリアリティを持ってそこにありました。
人が死んだらどうなるのか、自分が死んだらどうなるのか、火葬より土葬の方がよさそう、だとかしばらく考えたものです。もちろん、結論が出ることではありませんが。
その頃に流れていたのが「夜明けのスキャット」です。

いろいろ勉強もしたし、その近くまで何度か行った「死」ですが、やっぱりわかろうはずも無いです。
初期仏教(これは実践哲学というべきもので宗教とは少し違うと思います)では、お釈迦さんはやはりこの辺の問題から入っているのですが、結論は「わからない、知らない、考えたって仕方がない、教えないヨー」などです(無記)。
つまり、死ねばすべて終わりと考えれば、人は生に執着し却って生を誤り、死後の世界を信じれば、それに甘えてやはり現生を誤ってしまうのが人間だということです。だからそこには触れない。
死んだらどうなるかということを知る事と、今を生きることにはなんの関係もない。
信仰すれば救われるものではなく、信じないから救われないものでもない、神が存在しようがしまいがただその時を生きるだけ、アノ世なんざカンケーネーってなものです。
このあたりの考え方がしっくり来ました。

最近は、昔の日本人の死生観も好きです。ざっくり言うと、死んだら海の向こうや、山に昇って行ってやがてカミになるという考え方です。
何か理屈抜きで受け入れられるものがあります。

まあいつか間違いなく必ず来るものですからね。どうせその時わかることです。

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2 コメント

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Unknown (しまりす)
2007-11-24 17:13:55
日本で祖父母の葬儀 火葬
フランスでPさんの祖父の葬儀 土葬 
二つの異なる葬儀に出席し

私は土葬がいいなあと思いました
Pさんに聞いたら火葬がいいそうです
意見分かれました

息子が3歳のときに言ったこと

生まれてくる前ね 
お空からたくさんの女の人が見えたの
その中で一人だけお顔が見えてたのがママ
僕にとって一番いいことしてくれる人だと思って
下に降りていった...

輪廻転生を考えさせられました

というか母親としての責任を改めて感じました(笑)

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Unknown (ひろなん@風琴屋)
2007-11-24 23:11:32
しまりすさん、ようこそ!

この八ヶ岳では、まだ土葬があるようです。
高齢者は、寒い時期に逝かれることが多いのですが、そんな中で故人の同年輩の方が穴掘りをされて(高齢者の多い過疎地ですから)、それが元で後を追うことになってしまうことになった話があります。

子供の多くは出産以前の記憶を持っているけれども、出産時に母体が苦痛の低減のために出すホルモンの作用でその記憶をなくすという説があります。
よって、無痛分娩や帝王切開ではそのホルモンの分泌が少なく、子供の記憶が残る確率が高いそうです。

まあいずれにせよ、男というのは「血のつながり」の実感を持ち得ないわけで、愛情の根拠は最終的には自分の「心」と、関わり続けた「時間」にあります。
そこら辺が脆弱、希薄なオヤジ共が社会の舵を取ると、子供を大切にしない社会になってしまいます。
日本の産科、小児医療は劣化の一途を辿っています。
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