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吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

スパゲティ・ナポリタンを作る

2020年07月20日 | 

食べたくなってしまったのだ。とても。

今回目指すは喫茶店のスパゲティ・ナポリタン。

具はタマネギ、ピーマン、ベーコン(安いの)、ウインナー(安いの)。
ソースはトマトケチャップとソースのブレンド。
バター多めはちょっとしたゼイタク。

麺は本当は2mm以上のスパゲットーニにしたかったところだけれど、在庫の1.6mmスパゲッティーニ。
茹で時間は規定より長め、デロデロ麺を目指すッ。

麺を茹でている間に具材、ソースを用意します。
ソースは予め煮詰めて水分を飛ばします。トマトケチャップは水分量が多いので。

トマトケチャップも複数ブレンドした方が良いらしいが、ケチャップを複数買う気はないッ。
デルモンテケチャップと金蝶ソース、オタフクソース。

おお!期せずして我がスパゲッティソースにアメリカとナガサキとヒロシマが!
それでナポリタンとはこれ如何に?

そして完成。

実はこの3倍はあったのだ。家庭料理あるあるだな、作りすぎてしまった。
ちなみに2番目は冷めたままのお弁当仕様で。これはこれでなんか良い。
3番目は再加熱と味強化で頂きました。時間が経つと麺がよりデロってそれもまた良し。

粉チーズ(残念ながら今回の在庫はパルミジャーノだったが、本来は謎粉チーズが良い)とタバスコ必須!
タバスコはイタリア流ではない。アメリカに於けるメキシコ系の文化の影響か?
なぜか日本のピザ、パスタにはタバスコということになっている。

タバスコで思い出すのは、昔中国で知り合った彼の話。
その後、メキシコへ旅した彼は現地の女性とねんごろになり、日本に付いていきたいと迫る彼女に対し、ピザにタバスコの強力なのをひと瓶丸ごと振りかけ、

「これを食べ切ったら日本行きの航空券をあげる」

とのたまったそうだ。
彼女は泣く泣く諦めたという。

当時80年代優柔不断男であった僕は「この鬼畜め」と思ったものだが、彼は正しかったのかも知れない。
取れぬ責任は抱え込まない、しっかり切る、そのためには悪にでもなる。
それが最も傷を小さく済ませる事だったのかも知れない。

さらに元来イタリア料理であるスパゲッティに非イタリアのタバスコの組み合わせで思い出した。

2000年のアメリカはペンシルベニア州フィラデルフィア日本人会の新年会でのことだ。
準備の話し合いの時、アメリカ住みが長い年配の方々が曰く

「お正月はやっぱりハッピを着なきゃねー」
「「「そうよねー」」」

初売りの店員じゃあるまいし、普通の人は法被なんか着ねーよと思った。
あと、ジャパニーズ・カドウの先生の作品の写真を拝見したのだが、それは華道ではなくフラワーアレンジメントであった。

つまり文化の記憶の変容は一世代でも起こりうるのだ。
外部情報から隔絶された場合、記憶というのは実に脆弱で曖昧なものなのだ。
日本人のアイデンティティを強く意識しながらもリアル日本人とはかけ離れた存在になっていたのだった。

フィラデルフィアのイタリア人街(ロッキー!)にも行ったけど、彼らはイタリア系というアイデンティティを持っていたけれど本国とは異質な存在になっていた。(イタリアは行ったことがないけれど)

皆アメリカンだった。

そしてタバスコ!君はどこに属するのだ?イタリアじゃない。メキシコ?アメリカ?
酢と唐辛子のソースは色々使えると思うのだが、ピザやスパゲティにしか使ってはいけないような気がする。
それはマインド・コントロールか?思考の牢獄か!?
ありもしない枠がオレを囚えているのか?

などど考えつつ、ナポリとは関係のないスパゲティ・ナポリタンを食べるのであった。からい~。
美味しゅうございました。

……次は太麺を用意しよう。


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2 コメント

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Unknown (Silbermann)
2020-07-20 16:23:37
>食べたくなってしまったのだ。とても。

わかります。どうしてだかあのケチャップ味のがね。僕は粉チーズのみかける派。

学生の頃友達が本物と称してトマトソースから煮て、ドライトマトとかズキーニとかパプリカなんぞをオリーブ油で炒めたり煮たりし大変に凝って作ってくれたのは気の毒にも無参に不味かったのでした。

ところでアメリカ人に嫁いだ母の従姉妹が作っていたのはいわゆるミートソースをスパゲティと完全に絡めてオーブンで焼くキャセロールスタイルだったのですがナポリタンの原型はこの付け合わせのキャセロールタイプのスパゲティだったという説明をしてたTV番組がありました。本当かどうかわかりませんが。
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ムダの美学 (吉倉オルガン)
2020-07-23 22:31:46
Silbermannさん、ようこそ!

あります。そういう本格的なのを目指して上手くいかないこと。
でも素材と手順がそれなりならばなかなか不味いとまではいかないものなので、それは貴重な経験でしたね。

素材や手間にコストをかける料理は「男の料理」と女性陣からは言われたものです。
これは半分強は蔑称で「普段料理しないくせにたまに凝ったことをやって偉そうにするな」という意味があります。

記事にも書きましたが近々「ほていの焼き鳥缶を使った熱々焼き鳥冷製ジュレ掛け」をやります。
ムダの極みのような料理(?)ですが、文化には少なからずそういう側面があると思います。
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