もともと音楽にさしたる興味が無かった僕がなぜ楽器作りなんぞをしているのか、不思議といえば不思議です。
基本的に人間が好きでない僕は、人との関わりを最小にして生きていける仕事としての職人を望んでいたのです。
一時期、自動演奏オルガンに傾倒したのも、同じ理由からです。
演奏者、人間という最も厄介な存在を介することなく僕の理想通りの能力を発揮出来る楽器、それを望んでいたのです。
人間が嫌いというのはつまり自分自身が嫌いということです。
その後、自分自身と何とか和解出来て、人間ってのもまあ悪くないと思えるようになってくると、人間が演奏するということが面白いことだと感じるようになりました。
僕が命を与えた楽器、製作や修復をした楽器が僕の意図、イメージと違ったパフォーマンスを示すこと、それは良いことも悪いこともあるのですが、それが面白いのです。
理想という言葉には、その人のその時のキャパシティが反映されます。それはつまり枠であり境界です。
だから、理想が壊れるというのは、痛みを伴うけれども自分を縛る枠が壊れることでもあるので、必ずしも悪いものではありません。
自分のことで言えば、自分の理想的な演奏を実現する自動演奏という考えからひとまず離れて、不確定性に満ちた他人に演奏を委ねるということを認めることで、僕は僕を閉じ込めていた枠から開放されたのです。
そうして得た視点から自動演奏を考えるとまた楽しいのです。
人間関係というのは、自己完結して固定化しようとする自己に対して不確定要素を取り込んで破壊と再生、成長をもたらすものです。
だから心地よさとともに痛みもあって当たり前です。
人が演奏する楽器というのは、不確定性に満ちていて面白いです。
たとえ歴史的名器だってりーちゃんが弾けば殺人的音波兵器となります。
逆に、普通以下の楽器でもそれなりの人が真剣に取り組めば、感動の演奏となるでしょう。
よって、楽器を作る僕は、演奏者がその楽器を見た時、触れた瞬間から「ソノ気」になるものを目指すのです。
人を「ソノ気」にさせるものというのは、愛されるものとほぼ(この「ほぼ」は大事)同義です。
かくして僕は、愛の構造を知るべく日々研鑚を積んでいるのです。
いや~、具体的に何をやっているかは秘密よ!
基本的に人間が好きでない僕は、人との関わりを最小にして生きていける仕事としての職人を望んでいたのです。
一時期、自動演奏オルガンに傾倒したのも、同じ理由からです。
演奏者、人間という最も厄介な存在を介することなく僕の理想通りの能力を発揮出来る楽器、それを望んでいたのです。
人間が嫌いというのはつまり自分自身が嫌いということです。
その後、自分自身と何とか和解出来て、人間ってのもまあ悪くないと思えるようになってくると、人間が演奏するということが面白いことだと感じるようになりました。
僕が命を与えた楽器、製作や修復をした楽器が僕の意図、イメージと違ったパフォーマンスを示すこと、それは良いことも悪いこともあるのですが、それが面白いのです。
理想という言葉には、その人のその時のキャパシティが反映されます。それはつまり枠であり境界です。
だから、理想が壊れるというのは、痛みを伴うけれども自分を縛る枠が壊れることでもあるので、必ずしも悪いものではありません。
自分のことで言えば、自分の理想的な演奏を実現する自動演奏という考えからひとまず離れて、不確定性に満ちた他人に演奏を委ねるということを認めることで、僕は僕を閉じ込めていた枠から開放されたのです。
そうして得た視点から自動演奏を考えるとまた楽しいのです。
人間関係というのは、自己完結して固定化しようとする自己に対して不確定要素を取り込んで破壊と再生、成長をもたらすものです。
だから心地よさとともに痛みもあって当たり前です。
人が演奏する楽器というのは、不確定性に満ちていて面白いです。
たとえ歴史的名器だってりーちゃんが弾けば殺人的音波兵器となります。
逆に、普通以下の楽器でもそれなりの人が真剣に取り組めば、感動の演奏となるでしょう。
よって、楽器を作る僕は、演奏者がその楽器を見た時、触れた瞬間から「ソノ気」になるものを目指すのです。
人を「ソノ気」にさせるものというのは、愛されるものとほぼ(この「ほぼ」は大事)同義です。
かくして僕は、愛の構造を知るべく日々研鑚を積んでいるのです。
いや~、具体的に何をやっているかは秘密よ!
3回読みました(笑)
え?それで言ってることが理解できたかって?
ふむぅ・・・なんとなくね!謙虚でしょ
で、愛の構造・・・?
これまた ややこしいですね(笑)
秘密よ!だなんて
もう!ひろにゃんさんたら お茶目なんだから
「教えて~」なんて野暮なことは言いません
しまりす大人の女性ですから
教えてちょ(笑)
そりゃあ、もう、読む人のことをすっとばして圧縮して書いてありますから、理解困難はやむをえないところです。
でも、僕の基本的な哲学なので、後半生を通して語られることでしょう。
秘密って、秘密なのよ。どこが秘密かというと、自分でもよく分からないくらいにね!
というわけで、You Tubeでも見よっと。
これも研究のうちよ。
ではまた来年!