フィクションを読もう!昔のSFなんかも良いぞ!
少し語ろうか。
この
元・東邦大学付属東邦高等学校科学部SF班班長にして部長
がな!
僕の出たの高校の名前って妙に長くって仰々しい感じが良いでしょ?
元・忍空隊一番隊隊長
みたいで。
まあ、しかし。
この肩書にときめく人はいないやね。
これが
元・ナントカ大学教授
とかだったらどうかな?信頼度は上がるかな?
今はコロナ禍で皆が不安で情報を求めているわけです。
希望に縋ったり、この機に乗じて自分の立場を高めようとするヤツらとかも色々出て来ています。
で、この事態に
元・東邦大学付属東邦高等学校科学部SF班班長にして部長
として語るのは
フィクションを読もう!昔のSFなんかも良いぞ!
ってことよ。
未来について考えるということは想像力を働かせるということです。
フィクション、空想っていうのは人間の大事な能力なのだけれど、どうもそれは軽く見られているように思います。
世界にIfを突きつけるわけです。でもそのIfが浅ければ人の心には届かない。
だから作家はIfの向こうへ踏み込んで行くわけです。
もし~だったら?~はどうだろう?
その背景、歴史は?その未来は?
そんなことを延々考えて空想なのにまるで実在するかのような血の通った世界を構築するわけです。
読者で受け手である僕らも同様な想像力を働かせることを繰り返すとある種の訓練になります。
空想の中の真実、現実ではなくて真実。
時代を越えた物語というものはそういうものです。
物語を読むような視点で現実を見るということは自分を世界を客観視するということ。
小説家や漫画家のような創作力者のように情報を集めて想像して。
はらたいらさんに3,000点じゃなくて自分で考える。
今、世の中で起こっていることも似たようなことはとても古い物語の中にすでに描かれていてわりとよくある話です。
小説だったら陳腐な駄作です。
じゃあここからどんな未来があるのか?
良いこと悪い事、様々なルートを思考停止しないで想像してみましょう。
こういう想像法に慣れていない人はしばしば、単純なな結論、極論に走りがちです。
結論を急ぐ社会ゆえでしょうか?
もっとねちっこく想像しましょう。
例えばよくある「日本オワタ」「破綻」「滅亡」ですが、じゃあ一体どう終わって滅亡するんでしょう?
って想像したことありますか?具体的に。
皆殺し?ナイでしょう。
奴隷?日本人の僕らは奴隷の概念に疎いです。
現代の一部会社員よりある時代の奴隷の方が待遇が良かったりします。
色々調べてみましょう。
あとね、未来予測の空想の場合、あまり最新情報は使えません。
科学ってのはね、大変な検証、確認の後に事実らしいと認められるのです。この「らしい」というのが大事!
科学は書き換えられるのです。
希望的観測はあまり入れないように。
絶望もしすぎないように。
それらはともに感情論です。感情を排除するのは重要なスキルです。
僕らは調べ物のし易さでは人類史上最高の位置にあります。
新しいキャッチーな情報はそこそこに、古い事実らしいという情報の方が良いです。
バカエティ、もといバラエティなんか見てるヒマはもったいない。
空想やフィクションにも筋道とかコツってものがあるのです。
それには訓練が必要なのです。そこで、
フィクションを読もう!昔のSFなんかも良いぞ!
明日突然、UFOが来て僕らの様々な問題を一気に解決!なんて空想はするだけムダ!
まあ、美少女が空から降りてくるのを期待しているオレだがな!
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