吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

歯が抜けた!

2006年09月01日 | 思うこと
娘(6歳保育園児)の歯が初めて抜けた。

食事の時、すでにぐらぐらになっていた歯が食べ物を噛んだときに痛くて泣いていたのだが、ここで自ら抜く決意を固めたのでした。
まずは、タオルで滑らないようにつかんで引っ張ってみたのですが、やはり滑ってしまうので、家内が歯に糸を結びつけて引っ張ることにしました。
もちろん、自分で。

例えば、注射や傷の処置などで、その部分を見たくないタイプと、見ていないと不安なタイプがいますね、僕は後者です。自分の盲腸の手術のときも先生に頼んで術野を見せてもらったくらいです。
うちの家族も皆そのようです。

僕の場合、自分の身に起こっていることを、視覚情報から得ることで、心や、感覚の制御をしています。
傷の処置なども出来るだけ自分の手ですることで、力や、作用(薬をつける、傷を洗浄するなど)と痛みの間で一種のフィードバックを感じながらやはり心や、感覚を制御します。
よって、他人に処置されること、その様子が見られないことはとても不安なのです。

娘も、泣きながら、あるいは、気合いをいれながら、時には自分で自分をを笑わせて緊張をほぐしながら、必死に糸を引っ張ったのです。
僕も家内も上の子も、何も出来ず一緒に力むのでした。

そして、ついにすっと歯は抜けました。
その瞬間のカタルシスというか安堵感というかとにかく、緊張がほぐれて、皆、脱力したのでした。なぜかはぁはぁしたりして。
なんだか出産に立ち会ったときのようです。

う~ん、よくがんばった。
兄もがんばって出来たのだから、自分も負けられなかったという娘の表情には、達成感と充実感、自信があふれていました。
これはひとつの通過儀礼のようなものですね。
大きくなったら、ケーキ屋になりたい、だめだったらパンケーキ屋で、それもだめならパン屋、それもだめなら、無理かも知れないけどスイカの皮になりたい。などと言っている娘ですが、確実に成長しているんだなあと感じた次第です。

親子に限らず、結局大事なことは本人が乗り越えるしかないのだし、まわりは手助け程度しか出来なかったりするのですが、やっぱり心配だし、越えてくれればうれしい。
こんなことが続くのだろうなあ、形を変えながら、まるで変奏曲の様に。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
広くアジアで (ひろなん@風琴屋)
2006-09-03 21:31:46
ひぐちさん、ようこそ!



下の歯を上に、上の歯を下にというのは、それぞれの伸びる方向へやってやるということらしいですね。広くアジア地域にある習慣だそうです。



ウチは、記念に保存しておこうと思っています。

そのうち、専用保存容器を作ろうかと。

昔のキリスト教徒の聖遺物入れのような、金や宝石を使った入れ物がいいなあと思ってはいますが、材料の原価が高いのが悩み所です。
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歯抜け (ひぐちあきお)
2006-09-01 22:46:04
うちの娘も現在前歯なし。笑うとピアノの鍵盤みたいで可笑しい。

ぼくも子供の頃、糸を使ったことがありますが、意識的にキコキコ動かしているうちに、ぽろりととれるケースが多かったように記憶してます。

上の歯は軒下へ。下の歯は屋根へ。

でしたっけ?

いったい、あれはどういう意味の儀式だろ。

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