このところ朝6時頃からちょっと自転車に乗っています。
わずかな距離ではありますが、坂には恵まれている土地柄ゆえ、良いトレーニングになります。標高もありますし。
始めの頃は、瀕死でしたが、だいぶ楽になってきました。
それでもまだまだですが、あせらず行きましょう。
楽しいのが一番ですから。
トレーニングしてどうしたいかというと、これです。
参照Wikipedia
さて、パスハンティングなるものについて少し語りましょう。
この言葉の範囲内にもいろいろなスタイルがあるわけですが、僕の場合。
自転車でわざわざ山に行くわけですが、廃道、古道を見つけ出して越えるのが至高の旅です。
山中の廃道を探すためには、地図を読む力だけでなく、歴史の調査、民俗学の知識なども必要です。そちらの趣味と兼ねている方もいらっしゃいます。
東日本の地名の由来には古日本語やアイヌ語起源があって興味深いです。
例えば…、
布~という地名は「ノノ」から来ていて、これは古代の日本語で聖なるものを示し、そこが祭祀や信仰の場であったことを示唆することがあります。いにしえの日本を想像するときは、漢字は外来のものであることを忘れてはなりません、字の意味よりも音に注目します。万葉仮名のようなものです。
乙女~という地名は近世(江戸時代)そこが藩の狩場であったと推測します。
「オトメ」は「お止め」で、そこに一般庶民が立ち入った場合、処刑されることもあったはずで、その地にはそれなりのエピソードがあるものです。
郷土史家の自費出版の本には山間部の廃村の歴史や通り道のことが書いてあったりしますが、すでに手に入らないものも多いので同好の士の旅日記などが参考になります。
それさえも手に入りにくいのですけどね。
山間部の人々の交通の歴史は昭和初期、遅くは昭和30年代くらいまでは、江戸時代と大差ないのです。
自動車の普及と社会の変化で、長い歴史を持つ小さな村は廃れ、道路の流れは変わりました。
昭和まで存続していた、かつて数千、数万の軍勢が通った道も現在は特定出来ないほどに寂れていたりします。
僕らは山の中にウィルダネスを求めるのではなく、人の痕跡を求めるのです。
今ではとても道とは呼べないような山の中に傾いた馬頭観音の像なんかを見つけたときなど、遠い昔に思いを馳せるのです。
そこはかつて馬が通うような道でその場所で馬が死んでいるかも知れない。
馬を失った馬喰はその時どうしたろう?
そもそも仕事の途中で死んでしまうような弱った馬を使っているということは小規模、個人経営の運送業だろうから、その後大変だったかも知れない…。
現在では軽自動車がやっと擦違える程度の道もかつては荷を運ぶ牛馬で賑わい渋滞していたという歴史があったりします。
今ではおよそ人の気配のない山の中でそこにあったであろう人の営みを思うのです。
歴史文化愛好型の山岳自転車乗りと言えるでしょう。
次回は相棒としての自転車について語りましょう。
わずかな距離ではありますが、坂には恵まれている土地柄ゆえ、良いトレーニングになります。標高もありますし。
始めの頃は、瀕死でしたが、だいぶ楽になってきました。
それでもまだまだですが、あせらず行きましょう。
楽しいのが一番ですから。
トレーニングしてどうしたいかというと、これです。
参照Wikipedia
さて、パスハンティングなるものについて少し語りましょう。
この言葉の範囲内にもいろいろなスタイルがあるわけですが、僕の場合。
自転車でわざわざ山に行くわけですが、廃道、古道を見つけ出して越えるのが至高の旅です。
山中の廃道を探すためには、地図を読む力だけでなく、歴史の調査、民俗学の知識なども必要です。そちらの趣味と兼ねている方もいらっしゃいます。
東日本の地名の由来には古日本語やアイヌ語起源があって興味深いです。
例えば…、
布~という地名は「ノノ」から来ていて、これは古代の日本語で聖なるものを示し、そこが祭祀や信仰の場であったことを示唆することがあります。いにしえの日本を想像するときは、漢字は外来のものであることを忘れてはなりません、字の意味よりも音に注目します。万葉仮名のようなものです。
乙女~という地名は近世(江戸時代)そこが藩の狩場であったと推測します。
「オトメ」は「お止め」で、そこに一般庶民が立ち入った場合、処刑されることもあったはずで、その地にはそれなりのエピソードがあるものです。
郷土史家の自費出版の本には山間部の廃村の歴史や通り道のことが書いてあったりしますが、すでに手に入らないものも多いので同好の士の旅日記などが参考になります。
それさえも手に入りにくいのですけどね。
山間部の人々の交通の歴史は昭和初期、遅くは昭和30年代くらいまでは、江戸時代と大差ないのです。
自動車の普及と社会の変化で、長い歴史を持つ小さな村は廃れ、道路の流れは変わりました。
昭和まで存続していた、かつて数千、数万の軍勢が通った道も現在は特定出来ないほどに寂れていたりします。
僕らは山の中にウィルダネスを求めるのではなく、人の痕跡を求めるのです。
今ではとても道とは呼べないような山の中に傾いた馬頭観音の像なんかを見つけたときなど、遠い昔に思いを馳せるのです。
そこはかつて馬が通うような道でその場所で馬が死んでいるかも知れない。
馬を失った馬喰はその時どうしたろう?
そもそも仕事の途中で死んでしまうような弱った馬を使っているということは小規模、個人経営の運送業だろうから、その後大変だったかも知れない…。
現在では軽自動車がやっと擦違える程度の道もかつては荷を運ぶ牛馬で賑わい渋滞していたという歴史があったりします。
今ではおよそ人の気配のない山の中でそこにあったであろう人の営みを思うのです。
歴史文化愛好型の山岳自転車乗りと言えるでしょう。
次回は相棒としての自転車について語りましょう。
いまじゃ、すっかり億劫に(笑)。
そうですね、坂にはほんとに不自由しないところですからね。
僕も柳生さんのところまで、止まらずに登ったり、ダッシュと休憩を繰り返したりと変化をつけてやっています。
いやあ、まだ道は遠いです。