天気さえ良ければ……。
バイク使用のパーク アンド ライドは最高です。
しかしながら雨、それも土砂降りとなるとさすがに躊躇します。
遊びだったら良いのですけどね。
「雨など降るもをかし」ってな具合でね。
というわけで、電車でGOです。
高尾駅から京王線で新宿へ。始発駅に近いので大抵座れます。行きは良いのです。
電車でお台場の目的地へ行くのは初めてです。埼京線から直通が行っているのです
ね。
料金高っ。ゆりかもめはもっと高っ。
駅ではところどころのエスカレータが節電のために止まっていました。
重い荷物を持っての移動はキツいっ。
エレベータの数は少なく、遠かったので階段でGOよ。
かつてヨーロッパからの帰りでは130キロに及ぶ荷物を持って階段を越えて来たこの
ワタシに恐れるものはナシ!
東京の電車網は凄いのですが、それは立体的に交差しているわけで、階段が非常に
多いのは仕方の無いところです。
仕事を終えた頃、丁度帰宅ラッシュに当たってしまいました。
やはり節電のせいかエアコンの効きのアマい電車内はかなり蒸していました。
おまけに先方で車両故障とやらでなかなか動きません。やれやれ。
空間にはストレスが満ちて来ました。
東京人の忍耐力は電車で培われそして消費されるようです。
やっと着いた新宿駅で京王線に乗り換えですが、いつもながら人の多いこと!
なるほどねえ、この人工空間を支えているのは電気で、それを失うことはとても恐ろし
いのだろうね。
原発が日本の電力の3割を占めるというのは供給者側の都合と偏向で水増しされた
データだと思うのですが、まあそのまま信じるとして、その3割が無くなったとすると25
年前頃の電力量だといいます。
ネットの掲示板では、原発なしの社会は昭和40年あたりの生活を覚悟しなければ…
…なんて書き込みを見かけます。
いや、昭和60年代、平成直前でしょ。バブル真っ盛り。
高級ディスコには電飾バリバリで街も今(もちろん3.11以前)よりもずっとギラギラだっ
た。
80年代を3丁目の夕日(昭和30年代)のように思っている人が結構多いというのはワ
タシが年を取ったのだね。若者よ。
PCは無かったけど、その分外で遊んだものだし、テレビも今より消費電力が大きいも
のだったし見てる人も今より多かったのでは?
エアコンだってあったよ普通に。
電気の大口消費者の工場だって今ほど海外移転は進んで無かったんじゃないかな。
30そこそこの人達にとって25年前は思い出せない昔なのかな。
当時の現実をイメージ出来ないから、とんでもない昔のように思ってしまうのかね。
若者はクルマを持つのがステータスだったし、すごい消費社会だったのだけど。
その頃僕は学生で、ほぼ毎日飲み歩いていたっけ。友達と小銭をかき集めてまでも
飲みに行ったっけ、よく女の子に立て替えてもらっていたような気もする。
で、結構踏み倒したような気も。
いや、我慢とか節約なんてほとんど意識してなかった。
現在の電車の中の若者達のなんと地味で暗いことか。
まあ、明るくなれる要素もないのだけれど。
いろいろ考えていたら意外と楽に高尾へ到着。
コインパーキングの軽トラに戻って一息。この狭いキャビンが落ち着くのです。
それにしても雨の日の大荷物での電車移動はしんどいですね。どこかで混雑に巻き
込まれるし。
それに、たまに電車でたくさんの人を見るといろいろ考えて疲れてしまうのですね。
雨の日の東京の良い移動手段はないものでしょうか。
気付けばすでに誕生日を過ぎて47歳だって!疲れるわけだ、
47歳なんてすっかりジジイで人生終わっているもんだと思ってたよ、昔は。
ガキですね。まだまだ。
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