僕は高校の1年生の時、柔道部にいた。
結構強い柔道部で、その年の3年生は兵庫大会で優勝し、インターハイに出場した。
まず最初に礼儀から仕込まれた。
先輩に出会った時は、帽子を取って大声で「コンチワ❗」と挨拶しなければならない。
その練習もさせられた。
先輩が運動場の300メートルくらい向こう側にいて、大声で「コンチワ❗」と叫ばなければならない。
聞こえたら先輩が拍子木を打ってOK。
声が小さな友達は何度「コンチワ❗」と叫んでも拍子木は鳴らして貰えなかった。
僕が食堂で先輩に会ったので「コンチワ❗」と叫んだら、前でトレイにうどんを載せていた女の子がビックリしてトレイを落とした。
女の子はプンプン怒っていた。
こういった下らない決まりが沢山あった。
もう殆んど忘れたけど。
2、3年生になると、僕らの高校にも、学生運動の影響が及んで来た。
僕はすぐにかぶれ、いっぱしの闘士になった。
まず制服の自由化に取り組んだ。
それは上手くいき、生徒集会で服装の自由化を勝ち取った。
次に取り組んだのは生徒手帳の廃止。
要するに色んな不合理な校則を撤廃させ、我々で民主的な生徒憲章を制定した。
我々は尼北デモクラシーと呼んだ。
僕は今、母校の近くに住んでいるが、我々が闘った55年前の精神は今でも健在みたいだ。
宝塚歌劇は110年間、こうした時代の波から無縁だったようだ。
世界チャンピオンも絶えず出ているくらいですから。
うちも次男は小さい頃柔道クラブに通っていました。
まだ小さいので、毎週私も送って行って、練習を眺めて 楽しいひと時でしたね。
畳に上がる前は、きちんとお辞儀をし。ハジメ、ソレマデなどなど…技以外にも全て日本語でした。大きい子が小さい子の面倒を見たり、いろんなことを身につけることできたと思います。
昔の話ですが、先輩、後輩の関係はたった1年でも、うるさかったですね。体育会は。今でもかな。
そのシーラカンスが宝塚では生きているのですね。何も変わらずに!