わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

いのり

2010-09-11 10:16:59 | 癒し
 いのりというのはどういうものかというのは、考えれば考える程

わからなくなる。まじめな信者さんである程そういう質問をよく

受けます。

 そういう人ほど良心的で考え込んでしまって、自分が出来て

いないのに人に薦める訳にはいかないとか、共に祈るような資格は

私にはないんじゃないとか。そうなるとちょっとノイローゼに

近い位に悩み込んでしまっている。


 祈りというものは、神様と私の対話なのです。と同時に、

世界人類と私の祈りでもあります。

 この場合の世界人類というのは、地球の世界人類だけではなくて、

宇宙全体の宇宙の星の兄弟たちとの一人一人との、その交信も

含みますね。ですから、真に広い幅になる訳です。

 そこまで考えていくと、私共の世界人類が平和でありますように

という祈りというのは、非常に大きいし深い。そして、自分が

出来るか出来ないかということではなくて、もう向こうの方で

抱きとってもらってる訳なんですね。

 ですから、何も考えずに祈るというのが一番いい訳なのです。

 四の五の言ってる間は理屈なんです。祈りというのは理屈を

超えたものなんです。


 そんなこと言ったって祈れませんという時は、祈れなくて

いいのです。集会に行きたくないのに無理に集会に行ったり、

何か行事があるから絶対に人数がいるからといって集めたって、

それはどうにもならないんです。

 その人の気持ちがどうにも向かないという時に、無理に

薦めたってそれは萎びるだけなんです。

 本体と肉体は違う訳だから、本体は行きたければ、さっさと

霊体が行っちゃってる訳です。自分の肉体がどうであれ、霊体は

行って統一会に出たりなどしている訳ですから、そこまで我々の

肉体人間が神経質になることはないんです。


 ですから、真面目な人ほど色々色々考えるけれども、しかし、

そうじゃなくて、もう一回、子供みたいに無邪気になって、

世界人類が平和でありますようにという風に祈る。祈って任せる。

 そこからでないと我々の道というのは開いていかない。

 そういう風に思います。



この肉体だけの

いのちだと思わない

ことです

病気は辛いけれど

それだけ

自分が浄まってるんです

私もしょっちゅう

痛みにおそわれるけれど

でも

神様は悪いようには

なさらないと

おもうと

呑気になりますね



傷を負った人は

それだけ人にやさしくなります

痛みがわかるということが

一番大事なのです



やさしさが

なくなったら

人間は

ひからびちゃいます

やさしくなりましょう

五井先生はずっと

この修行をしてきたんです



私は

純朴な

人を

愛する

神の前に

まっすぐに

立つたましいを

愛する



純なこころの

尊さ

愛することの

深さ

神にまさる者は

いない