序文
五井 昌久
神は等しき人間のふるさとである。それは、
単に心のふるさとというばかりではない。
我々本心本体を照らすふるさとなのである。
人間というものは、光一元であり、肉体は
光を受け、つなぎ、ふりまく器であるのである。
そして、この光は、宇宙神のみふところ
深くから放射される愛にほかならない。
神は愛なりという言葉はこの真理を
あらわした言葉であって、千古を照らす
宇宙の万法なのである。
だから、神をおもい、神に回帰することは、
永遠の生命につながることであるといっても
よい。
永遠の生命は、神のみふところに流れ込む
人間の本来の相(すがた)であり、私どもは、
神をふるさととして、この地上に光をむすぶ
役割を、一人一人与えられているのである。
昭和61年9月29日
神は
どんな時でも
私達を
ふところ深く抱いて
愛の光を
送りつづけている
このことをおもうと
私の胸は
感謝のなみだで
いっぱいになるのだ
神は
父であり
母であり
私達の生命を
一つ一つ
いつくしんで
生ましめて下さった
ふるさとである
私達は
神の愛を
からだにまとって生きて
いる
ふるさとである
神とともに
この地上の一瞬一瞬を
生きているのだ
感謝とよろこびの涙は
かわくひまなく
私の目から流れてゆく
そうして
あかるく
朗らかな
神の光を
送りつづけている
私なのだ
昭和61年10月1日
五井 昌久
神は等しき人間のふるさとである。それは、
単に心のふるさとというばかりではない。
我々本心本体を照らすふるさとなのである。
人間というものは、光一元であり、肉体は
光を受け、つなぎ、ふりまく器であるのである。
そして、この光は、宇宙神のみふところ
深くから放射される愛にほかならない。
神は愛なりという言葉はこの真理を
あらわした言葉であって、千古を照らす
宇宙の万法なのである。
だから、神をおもい、神に回帰することは、
永遠の生命につながることであるといっても
よい。
永遠の生命は、神のみふところに流れ込む
人間の本来の相(すがた)であり、私どもは、
神をふるさととして、この地上に光をむすぶ
役割を、一人一人与えられているのである。
昭和61年9月29日
神は
どんな時でも
私達を
ふところ深く抱いて
愛の光を
送りつづけている
このことをおもうと
私の胸は
感謝のなみだで
いっぱいになるのだ
神は
父であり
母であり
私達の生命を
一つ一つ
いつくしんで
生ましめて下さった
ふるさとである
私達は
神の愛を
からだにまとって生きて
いる
ふるさとである
神とともに
この地上の一瞬一瞬を
生きているのだ
感謝とよろこびの涙は
かわくひまなく
私の目から流れてゆく
そうして
あかるく
朗らかな
神の光を
送りつづけている
私なのだ
昭和61年10月1日