(前日からの続き)
我々の生命だって、ずっと生き通しだと
いうのは観念論じゃないんです。
本当にずっと我々は抱かれてゆくんですけど、
それはこの神様というふるさとをもってれば
こそね、我々はそういうものを実感する
ことができる。
あたたかいんですよね。
とてもあたたかい。
ちょうど私の母の絶対の信頼のようなね、
そういうあたたかさですね。
それがあるから、それを自分の体の中に貫いて
見ちゃったから、私は本当の私に出会っ
ちゃったから、だから、私はあなた方に
自信をもってね、間違いのない世界が神様
という世界があって、大きな愛があって、
それによって我々が生きているんだという
ことを語りつぐことができる。
これは間違いのない事実ですね。
それは五井昌久だけにあるんじゃない。
皆の中にあるんですよね。
そういう信仰は、五井先生だけで五井先生
ならではだと皆言うけれど、そうではない。
奈良とか京都じゃないんです。
皆が同じふるさとをもっていて、そして、
そのふるさとが絶えることがなく我々の中に
あり、我々が帰ろうと思えば、そこへ
いつでも帰ることができる。
そこを思えばね、我々のエネルギーも
何もかも新たにされていくということ
ですよね。
そこを忘れてというか、忙しくなっちゃうと
皆この世の中だけになっちゃうけど、その
ふるさとへ帰ろうと思えば祈ればいいん
ですからね。
祈って、そして、神様の名を呼んでね、
守護霊さん守護神さんの名を呼んでねえ、
やってる時にはあなた方はもうふるさと人
ですよね。
ふるさとへ帰ってる訳ですよ。
いつでも帰れる。
いつでも癒してもらえる。
そういうものを我々は皆もってるんですね。
だから、この我々の宝というもの、
朽ちることのないふるさと、神様という
ものを大事にして呼びかけて、そして、
皆が神様の愛を受けた子どもなんだ
ということを覚えてね、毎日毎日が
過ごせてゆけるように、どうぞ精進なすって
下さい。
昭和63年8月26日
我々の生命だって、ずっと生き通しだと
いうのは観念論じゃないんです。
本当にずっと我々は抱かれてゆくんですけど、
それはこの神様というふるさとをもってれば
こそね、我々はそういうものを実感する
ことができる。
あたたかいんですよね。
とてもあたたかい。
ちょうど私の母の絶対の信頼のようなね、
そういうあたたかさですね。
それがあるから、それを自分の体の中に貫いて
見ちゃったから、私は本当の私に出会っ
ちゃったから、だから、私はあなた方に
自信をもってね、間違いのない世界が神様
という世界があって、大きな愛があって、
それによって我々が生きているんだという
ことを語りつぐことができる。
これは間違いのない事実ですね。
それは五井昌久だけにあるんじゃない。
皆の中にあるんですよね。
そういう信仰は、五井先生だけで五井先生
ならではだと皆言うけれど、そうではない。
奈良とか京都じゃないんです。
皆が同じふるさとをもっていて、そして、
そのふるさとが絶えることがなく我々の中に
あり、我々が帰ろうと思えば、そこへ
いつでも帰ることができる。
そこを思えばね、我々のエネルギーも
何もかも新たにされていくということ
ですよね。
そこを忘れてというか、忙しくなっちゃうと
皆この世の中だけになっちゃうけど、その
ふるさとへ帰ろうと思えば祈ればいいん
ですからね。
祈って、そして、神様の名を呼んでね、
守護霊さん守護神さんの名を呼んでねえ、
やってる時にはあなた方はもうふるさと人
ですよね。
ふるさとへ帰ってる訳ですよ。
いつでも帰れる。
いつでも癒してもらえる。
そういうものを我々は皆もってるんですね。
だから、この我々の宝というもの、
朽ちることのないふるさと、神様という
ものを大事にして呼びかけて、そして、
皆が神様の愛を受けた子どもなんだ
ということを覚えてね、毎日毎日が
過ごせてゆけるように、どうぞ精進なすって
下さい。
昭和63年8月26日