(前日からの続き)
神様というものが我々のためにいて
下すってね、神様というものから我々は
分かれてきた分生命、分霊で、そうして、
我々が我々の分に応じて、あるいはそれ
以上の働きを、神様の力によって愛念
によってさせていただくんだということね。
本心と心というものは分かれてるものじゃ
ないんですよ。
本心からずっと光明が出ましてね、
我々の肉体も想いも、想いを出してる心も
浄めていくんです。
祈りがそれを浄めていくんですよ。
だから、世界平和の祈りの中に、あるいは、
南無阿弥陀仏の中に、いろんな祈りの中に
溶け込んで、そうして最後には、自分自身が
役に立つも立たないも、とにかく神様の光
になって無になって動いていく時に、この
世の中というのは光明波動になって
いく訳ですね。
だから、役に立たない生命なんていうのは
この世の中に一つもないんです。
無駄というものも一つもないんです。
(つづく)
神様というものが我々のためにいて
下すってね、神様というものから我々は
分かれてきた分生命、分霊で、そうして、
我々が我々の分に応じて、あるいはそれ
以上の働きを、神様の力によって愛念
によってさせていただくんだということね。
本心と心というものは分かれてるものじゃ
ないんですよ。
本心からずっと光明が出ましてね、
我々の肉体も想いも、想いを出してる心も
浄めていくんです。
祈りがそれを浄めていくんですよ。
だから、世界平和の祈りの中に、あるいは、
南無阿弥陀仏の中に、いろんな祈りの中に
溶け込んで、そうして最後には、自分自身が
役に立つも立たないも、とにかく神様の光
になって無になって動いていく時に、この
世の中というのは光明波動になって
いく訳ですね。
だから、役に立たない生命なんていうのは
この世の中に一つもないんです。
無駄というものも一つもないんです。
(つづく)