わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

心と本心(6)

2023-03-21 10:46:33 | 癒し
   (前日からの続き)
神様というものが我々のためにいて
下すってね、神様というものから我々は
分かれてきた分生命、分霊で、そうして、
我々が我々の分に応じて、あるいはそれ
以上の働きを、神様の力によって愛念
によってさせていただくんだということね。
本心と心というものは分かれてるものじゃ
ないんですよ。
本心からずっと光明が出ましてね、
我々の肉体も想いも、想いを出してる心も
浄めていくんです。
祈りがそれを浄めていくんですよ。
だから、世界平和の祈りの中に、あるいは、
南無阿弥陀仏の中に、いろんな祈りの中に
溶け込んで、そうして最後には、自分自身が
役に立つも立たないも、とにかく神様の光
になって無になって動いていく時に、この
世の中というのは光明波動になって
いく訳ですね。
だから、役に立たない生命なんていうのは
この世の中に一つもないんです。
無駄というものも一つもないんです。
           (つづく)

心と本心(5)

2023-03-20 10:33:02 | 癒し
      (前日からの続き)      
もう何十回も言ったことだけども、我々の
心の奥底ずっと降りていくと、やっぱり本心
というものがある。
そして、先程申しましたけどね、毎日毎日の
生活の中でいろいろな座がある。
その座に座らせていただいている。
喜びごとがある時には喜びの座に座ってるんです。
悲しみのときには悲しみの座に座ってるんです。
あるいは、孤独の座にも座るんです。
そうして、そういうところへ座らせて
いただきながら、私たちは、神様の大きな愛の座、
本心の座、光の座、神様の座に招かれて、そこへ
進んでゆく訳ですね。
それは何も向こうへ行って修行しなくったって、
毎日毎日がそうなんですよ。
この世と向こうは続いているんだからね。
この常住坐臥の毎日毎瞬が、あなた方が
意識しようとしまいとね、その座が進んで
ゆくかどうか、転落するかしないか、毎日
毎日の想いが修行の場なんです。
霊界だって想いでみんなつくられているでしょ。
だから、物欲の強い人が向こうへ行ったら、
そりゃあもう物欲かたまりの世界ができますよね。
無欲の人が行ったら、何だか小鳥が啼いて
というような清浄な空気のところを歩くと。
みんなイメージなんです。
イメージだけれども、じゃあ霊界がないか
というとそうじゃない。
真実の生命につらなっていく。
そういうものというのは確固としてある。
だから、その本心というものをたずねて
祈ってね、できる限りの消えてゆく姿を
やって、その座が進んでいくように、
そうして、進むも進まないも、もうひとつ
いけば、神様に任せます、いいように
なすって下さいというふうに言えるように
もっていくのが信仰ですねえ。

そして、それを助けるのが五井先生ですね。
世界平和の祈りですね。
決してあなた方だけの力で絶対そんなことは
できませんよ。
だけど、あなた方の祈り心が一人になり
二人になり十人になり三十人にとやって
いけば、それはもう光明波動なんですからね、
人間というのは光なんですから、そりゃあ
すごい力を発揮するんです。
目には見えないけれども、その光がサーッと
全世界にうずまいて、全宇宙に広がってね、
そうして、光明があたりを浄めていくんですね。
そのことを忘れたらいけません。
そのことを忘れて祈りをしたら、これは
ただ単なるご利益の祈りになっちゃう。
そうじゃないんですよ。
南無阿弥陀仏にしても南無妙法蓮華経にしても、
世界平和の祈りにしても主の祈りにしたって、
本当の真実の祈りの奥底にあるものは、何か、
こうして下さい、ああして下さい、運が
よくなりますように、そりゃあ大事ですよ、
みんな生き生きといかなきゃいけないんだから、
やっぱりそういうものはなきゃ困る。
でも本当に目指すものは何かというと、
神様と一体になる我々は生命なんだという、
その喜びに至る。
そこが大事なんです。
それを忘れた祈りはないんです。
   (つづく)

心と本心(4)

2023-03-19 08:27:34 | 癒し
     (前日からの続き)
いつも申しますように、信仰というのは、
例えば、キリスト教なら礼拝堂へ行き、
あるいはお寺に行って、神様とか仏様に
祈って、その祈る姿だけが信仰じゃない。
芸術家は芸術家で、音楽家は音楽家で、
大工さんは大工さんで、一所懸命に何か
一つのことに打ち込んで、無になって
一つのことを成し遂げる。
その中に神様がいらっしゃる。
その中で神様が働くんです。
自分をなくした時に神様というものが
現われてくる。
愛念というものは現われてくる。
その愛念というものが現出して、そうして、
本当に今度は神様の愛に洗われる。
我々の生命というものは、毎日毎日
毎瞬毎瞬新しくなってゆくんですね。
そういうことが本当は生きるということ
なんです。

そんなこと言ってもね、五井先生、
やっぱり毎日死んでゆく人がある、重病の
床にふしてる人がある、事故にあって
困ってる人がある、そういう悲しみという
のはどうなるんですかと、皆思う
でしょうねえ。
確かにそれはそうなんですよ。
私だって、愛弟子を何人も失くしたり、
大けがをして入院させたり、ありますよ、
この世の中にいた時にはね。
だけども、心配してるけれども心配
しないんだよ。
高橋君に答えたことがあるけれども、
分かるかね、やっぱり心配してるけれども
心配しないんです。
心配してるというのは、この肉体の人間の
気持ちというものを味わってしまうと、
確かに心配なんです。
オロオロしますよ。
どうなるだろう。
手術が必要ならば早く手術が成功してと
思います。
それは人間の情というものなんです。
自然なんです。
そこでオロオロしたり、弱くなったり、
神様がいるんだろうかと思ったり、そういう
ことは私は否定しませんよ。
私はそういう気持ちを通り抜けてきてるんだから。
だけども、そこを通り抜けたところで、
神様というものは、もう一つ深いところでね、
人間を抱きとって、そうして、その人の天命が
真っすぐに明るく神様に向かって貫いて
行けるように、守護霊とか守護神が道を備えてね、
そして、あなたたちがこの世に生きていく糧も、
肉体を養ってゆくべきいろいろなものも、
悲しみも辛さもいつの間にか癒して
いくように、道をつけてゆく訳ですね。
そこへの信仰というものが、我々にとって
一番大事になっていく訳です。
            (つづく)

心と本心(3)

2023-03-18 10:31:45 | 癒し
    (前日からの続き)
向こうへ霊界移行するでしょう。
霊界移行したばかりの人たちというのはね、
やっぱりこっちの世の中の想いとかありますよね。
早く死んじゃって、(残してきた)子どもが
小さいのにとか、ありますでしょ。
そうすると、向こうは素直というのを貫いて
修行するんですよ。
さっき申しましたね。
神様の愛念というものは、生き死にを貫いて、
そういうものをとっ払っちゃってあなた方を
愛してるんだということを申しましたね。
だから、そこのところを深く信じる。
難しいけれども深く信じる。
任せてしまう。
それを向こうへ行ってもやるんです。
座禅したりね、いろいろありますよ。
いろんな修行の仕方があるけれども、
あなた方にもさせたけれどもね。
だけど、それは何のためか。
すっきり自分の生命が神様の方に
抱きとられているということを喜ぶための
修行なんですね。
そうでなきゃあ、苦しむための修行だったら
何もならない。
けれども、向こうへ移行したばかりの
霊(こっちへ来たての霊)たちというのは、
残してきた人のことがやっぱり気になるでしょ。
それはやっぱり、肉体の我といいますかね、
肉体の想いの座に転落しちゃうのね。
でまた、一からやり直す。
そりゃあ厳しいですよ。
この世の中で、子どものためにとか
孫のためにとかね、あるいは、この人の
ためにとかやってる方がよっぽどやりやすい。
そのくらい厳しい。
よく、ひとおもいに向こうへ行ったらと
想うけれども、そうもいかないんですね。

やはり、人間のこういう日々の営みの中で、
いろいろなおもいを経験して、そうしてそれを
乗り越えてね、叫んで呻いて怒って、そういう
いろんなところを通り過ぎて、祈りという
ところへ行くんでしょ。
ですから、その祈りというのはただ祈ればいい
というもんじゃない。
神様へ呼びかける。
こんな私ですけれどもといって呼びかける。
その時に、神様というのは、ああいいよ
といってあなた方に答えて下さる。
         (つづく)

心と本心(2)

2023-03-17 06:19:22 | 癒し
      (前日からの続き)
我々は、本当はいろいろな座にいるんです。
それは、特に統一しなくてもね。
日常の世界の中でもね。
例えば、遊びに行ったり食事をしたりとか、
そういう信仰のことを離れても、
その時その時いろんな座にいるんですね。
それはどういうことかというと、やっぱり
気持ちのいい人と会えば自然に心が和んでね、
言葉もやわらかになって、いろんな話も
弾みますでしょ。
そういう時には心が喜んでくるんですねえ。
そうして、いろいろな煩いを一時忘れて、
子どものように素直になって、その時には、
私たちは素直という座にいますね。
そういう自覚をもたなくても、そういう
ところへ導いて下さるのが守護霊さん
であり守護神さんですね。
我々の生命とか生き方とかいうものは、
もちろんこの世の中においても向こうに
行っても努力が必要ですが、しかし、
知らず知らずの間に守護霊さんとか守護神
さんが、きっちりと我々を行くべきところへ
導いて下すってる。
自分も気がつかない内に、いつの間にか、
悩みとか悲しみとかいうものを少なくして
下すってる。
その座というものは、あなた方のあるいは
我々の気持ちによって、上がったり下がったり
するんですよ。
        (つづく)