
おはようございます😊
先週の大人の休日の新聞広告。
東北のアチコチの風景が載ってて
「また行きたいなぁ」っと
思うような広告でした。
初めて東北エリアに行ったのは
中学生の修学旅行。
あんまり覚えてないけど
‘中尊寺’‘毛越寺’‘小岩井農場’etc
‘わんこそば’は覚えてます。
その後はスキーで
‘月山’‘蔵王’‘猪苗代’etc
行くようになりました。
そして
東日本大震災のあとからは
『東北応援旅』を
するようになりました。
応援といっても
小さな存在のキャロット🥕は
無力なので
ひたすらアチコチ行って
現地でお金を使うだけです。
でも『東北を知る旅』として
なんだか夏の行事になってます。
でもこれをきっかけに
なかなか、遠くて行く機会も
なかった東北エリアに沢山
足を運んでます。
コロナ禍でで昨年は
行けなかったけど、
また自由に旅ができる日が来たら
また行きたいなぁーって思います。
青森も秋田も岩手も山形も
宮城も福島もどこも美味しいものが
沢山あるし素敵な風景もあるし
アチコチ行きたいですね。
あれから10年ですね。
あの大地震と津波の恐ろしさは
本当に経験した人しか
わからないと思います。
先日、サンドの伊達君と富澤君が
あの時の音やにおいを思い出す。
とか
サイレンがなるとバクバクする
とか
言ってた。
それだけすごいもんなんだよね。
キャロット🥕の住んでる
神奈川は震度5だったけど
東北エリアとは
比較にならないかもしれない
けれど・・・それでも
キャロット🥕にとって
経験したことのない揺れ
でしたーー。
家がミシミシ音したから
屋外に飛び出したのは初めて。
あの日は
ひとりで家にいて
ひとりでTVをずっとつけて
余震に、びびってて
夜もひとりだったから
電気つけっぱなしで
TVもつけっぱなしで
こわくて眠れなかったな。
それが何日も続いて
だいぶ長い間睡眠するときは
TVつけながら寝てたなぁ。
その後、仕事…店は開けてたけど
なんとなく自粛ムードで
計画停電以外の時間も
商店街も灯りを消してたっけね。
店にくるのは一人暮らしの
女の子も多くて
「ひとりで怖いから店に来たー」
「街真っ暗でだから◯◯(店の名)が
明るくてホッとする」
っていう子達沢山来てたから
「怖かったらいつでもおいで」
なんて言ってた覚えがある。
実はみんなと同じで
自分もめちゃくちゃ怖くて
人のことを考える余裕は
ないはずなのに
‘キャロット🥕を頼れ!’
みたいな感じで気丈に
振る舞ってたっけ。
実は毎日、貴重品とか薬とか色々
避難パックばりに色んなもの
入れた通勤バック持って
通勤してたよ。
その後、お店では
『日替わり1品の金額を
そのまま義援金に!』ってやって
結構、オーダーしてくれたり
それとは別に寄付してくれたり
おつりそのまま寄付してくれたり。
義援金は、
石巻で津波被害にあった人達に
直接送りましたーー。
そんな日々から10年。
あっという間のような・・・
遠いことのような・・・
へんな気持ちでありますが
【絶対に忘れない】
…でいなきゃいけないよねー。
あらためてキャロット🥕も、
いろんな災害に備えて
身辺を見直さなきゃいけないな
っと思います。
今日はTVではどの局も
『東日本大震災』特番が
流れると思います。
震災の恐ろしさを再確認し
これからの備えと教訓として
生かすことが出来るように
観たいと思います。
・・・ってことで
今日も一日頑張っていきましょ❗
地球滅亡って思う程の
恐怖だったんだね。
昨日1日じゅう震災番組を
見てて、それだけでも
怖くなって涙が出まくってた
キャロット🥕でしたが
本当に経験した人たちの方が
比べられない程の恐怖だった
んだと思うね。
うーたんは心の支えだったんだね。
一緒にいてくれてよかったね。
いつかくるかもの災害に
あらためて備えなきゃなって
思います。
コメントありがとうございます。
あたたかい言葉に涙しちゃいました。
あの時は店の常連さんたちも
みなさん募金協力してくれたり、
復興ボランティアに行った人達
何人も、店でキャロット🥕や他の常連さんに現地状況の話をして
くれたりしてたんです。
ほんの気持ちだけど応援した人達が
今、どこかで元気にしてるかな?
とずっと思ってたんだけど
さくらさんのコメントが
被災者さん代表のコメントとして
受けとりたいと思います。
かならず東北旅はしますねっ!
ありがとうございました。
あの時は本当に地球滅亡するんだなって
思う位長い揺れで
それからずっと余震が止まらず
しばらくうーたんと家の中に
入れませんでしたね
電話も繋がりにくく
停電で信号機もつかず街中大混乱
仕事で隣の市花巻にいたタコスケが
帰ってきたのは暗くなってから
それまで真っ暗な下の部屋で
結婚式のキャンドルサービスで貰った
巨大キャンドルの灯りの中
うーたん抱えてじっとしてました
寒かったから
それから真っ暗な街の中を車で走り
実家や親友ママの安否確認
しました
10年経った今でも鮮明に思い出せます
あのときいろいろ応援してくれていたのですね、ありがとうございます。
あのときはいろいろなところから応援がきてくれて、本当に助けてもらったんです。
私の住むところは被害の大きな地域ではなかったのですが、他県からきてくれた「復興支援車両」に勇気づけられていたのです。
また東北に遊びに来て下さい。