オーディオから昔懐かしい日本の歌を流して聞いている。
ふと、昔々、父親が私に語った父の若かりし頃の想いで話が頭を過っていた。
そんな時の父は口元を緩めて、大きな眼は遠くに何かを探すような、
そんな表情を漂わせていた。
決して豊とは言えない家庭環境の中で生まれ育った父であった。
新潟は雪深い山里・・・
農家の次男坊であったが、村では真次は神童とうたわれたと言う。
(父の姉の証言)
上の学校に進学するなど夢にも持てないのは承知していたらしいが、
医者になりたい夢は捨てきれず、義兄が開業医であったので書生兼6人の幼子の子守として使ってもらい、その代償としてその年が来たら医大へ行かせてもらう、そんな約束のもと、住み込みんだというが・・・
人の世話をしても世話になるのを嫌う父であったから、
義兄の気難しい人柄に仕えるのは一方ならぬ苦労があったのではないかと、
想像に難くない。
そのあたりの事には詳しくふれなかったが、数年で義兄の家を出て、
単身東京に向かい、苦学の末、大学は出た。
しかし、希望する医大には経済的に無理だったので、法律を学んだ。
父は努力の人であった。
でも家庭に於いては、そんな苦労は微塵も見せずに、冗談ばかり言って
子供三人を溺愛した。
私の事は殊の外、可愛がってくれた。
要領が良く人の間を上手く立ち回るれる私の性分を評価してくれたのかも知れない。
父親への想いは年を取るごとに深くなる。
母への厳しい対応だけが、唯一父への嫌悪感とするところである。
娘と言えども、夫婦間の事は、霧の中である。
天国へ逝ったら、真っ先に父に聞いてみたいと思う。