昭和40年2月16日、私は初産で男子を儲けました。
当時名古屋市内で結婚生活を営んでおりましたが、両親は東京在住でしたので、初産でもあることだしと、東京の親元で産むことになりました。
出産予定の2か月前には親元に里帰りして、大事な体だからとばかり、オヒイサマのような扱いを受けて、のうのうとお世話になっておりました。
そして、信じられないような可愛らしい男の子のママになれたのでした。
難産で予後が悪かったので、産んだ後も永らく親元でオヒイサマやっていました。
そして2か月が経過すると、両親はそろそろ名古屋に帰りなさいと促しました。
そんな・・酷い事言わないで・・と母親に言いましたら、少しは旦那様のことを考えなさい・・貴女はもう○○さんの妻なのだから・・と険しい顔で言いました。
親との別れが辛くて、飛行機で迎えに来た夫と、泣き泣き名古屋へと赤ちゃんと3人で帰ったのでした。
それから僅か3年後にその夫と死別して、息子と二人で東京に舞い戻ることになるなんて、神も仏も知る由もなかったでしょう・・
普通科の高校卒・・特技何もナシ・人より少しだけ歌が上手・誰とでもすぐに仲良しになれる・ほんの少し可愛い・・
たったそれだけの、28歳の女が、幼児を抱えて生きていかなければならなくなった現実を戸惑うだけでした。
幸い、息子が二十歳になるくらいまでの年数は、保険金やらなにやらで、賄えるほどのお金が入ってきました。
ですから経済的な心配はさほどなかったのですが、遊んで暮らすのも嫌でしたので、ある資金を元手に、何かお店を開いて働こう!と28歳女は一大決心をしたのでした・・
さて、私と息子の第二の人生が開始したのでした・・
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