バランスは英語ではbalance。ラテン語のbilancが語源になっている。意味は「ふたつのお皿」「天秤」です。現在の英語では、安静・安定という意味もある。
地球は少し傾いて自転し、磁力を発生させているので、太陽風の有害物質をまともに受けないで済んでいる。太陽風をまともに受ければ、生物は地上に生きることはできない。それでも、有害物質は入ってきているので、一日中太陽の光を素肌に受けるのは止めた方がいい。ある学者によれば、一日数十分で十分。という。我々は、危険と恩恵のバランスの中で生きている。
人間の世界はバランスとは無縁の世界のように感じる。いつもどこかに傾いている。
人間以外の生物の世界は弱肉強食の厳しい食物連鎖の循環の中にあり、食うか食われるかの残酷な世界にいると勘違いしそうになるが、絶妙なバランスで保たれている。しかし、自然界の中でも思いがけずバランスを崩すことはあるが、多くの場合は、人間がこのバランスをくずしている。
人間は、いろんな場面において、バランスの中で生きている。命に係わる食事についても、いくら栄養の多い食物を食べても、食べすぎたら健康を害する。自分にとってきらいな食べ物も我慢して食べたら健康になる場合がある。簡単に言えば偏食はだめということ。
嫌いだと思っていた人と話をしてみたら仲良くなることもある。自分にないものを持っている人と付き合えば、自分の可能性が広がることがある。食べ物も人間も、嫌だから避けたら、著しくバランスを欠くことになる。
ところで、東京都議選の選挙応援演説で「安倍、やめろ!」などのヤジに対して「こんな人たちに負けない。」と発言したというニュースが頭から離れない。「お前らはこっちと違う人間たちだ。」という発言のように私には思えたからだ。本当にびっくりした。
自然の生存競争とは異なり、人間は思想で対立し、殺しあう。動物もよそ者を排他的に攻撃し、縄張りを守るが、これは、生き残り、種を保存するという「進化の原理」であって、気にくわないからという理由で絶滅させてやろうとは思わない。人間は、稲を育て備蓄するようになってから、急速に文化が発展すると同時に、集落の単位で対立し、相手の土地や資源を奪い合い、殺し合うようになった。
そして、集団虐殺も行われるようになる。調べてみると、私が生まれてからも、世界では20ほどの集団虐殺がある。動物の遺伝を受け継いでいるが、その規模と残虐さは目を覆いたくなる。
「Us VS Them」「我々対彼ら」という意識。
これはダイヤモンド博士(ジャレド・メイスン・ダイアモンド:アメリカの進化生物学者、生物学者、生物地理学者、ノンフィクション作家。現在、カリフォルニア大学ロサンジェルス校社会科学部地理学科の教授。)が言った言葉だ。これが我々の遺伝子の中に組み込まれていると言うのだ。
確かに思い出す。小学生の頃だ。私が住んでいた町の小学校は、お城を中心に東西南北にあった。城西(じょうせい)、城北(じょうほく)というように4つあった。誰に教えられたわけでもないが、校区という境界線あたりで衝突が起きるのだ。「こいつらは、俺たちと違う!」という考えが頭に浮かぶのだ。今、こうやって思い出すと、身震いするほど「なんてことを思って行動していたのだろうか!」と怖くなる。集団で他校まで押しかけたこともある。やはり遺伝子に組み込まれているのだ。アメリカの映画にウエストサイド物語がある。あれもそんな内容だった。社会規律を学ぶ以前には遺伝子による行動が優先されたのだ。いや、学んだ後も一国の首相になっても消えないのだ。
人間は、生物の絶妙なバランスから抜け出し、やりたい放題。生物界には時にバランスが崩れ、ある種が絶滅することもあるが、人間は、象牙や毛皮を手に入れるために、あるいは環境を破壊したりして、地球上の多くの種を絶滅に追いやっている。完全にバランスが崩れている。
人間の歴史はどうだろうか?歴史と言えば「歴史は繰り返す。」という言葉を思い出す。振り子のようにあっち行ったりこっち行ったりするが、本質的には同じ排斥、殺戮を繰り返す。違う体制側の人間だ。民族が違う。思想が違う。宗教が違う。と言いながら結局同じ争いをしている。「あいつらとこっち。」の区別だ。「こっちが正しい。」のだ。
「そっちでもこっちでもない。」中間派はいつも批判される。日和見主義とかいい加減とか言われ、つぶされる。バランスを重要視する人が増えていき、どちらかに属することを強要する人が減っていけば、もしかしたら、争いはなくなっていくかもしれない。
バランスは何より大切だ。人間の体は適度なバランスで保たれている驚くべき機能を持っている。体の臓器や筋肉や骨や脳や色んな機関がお互いにバランスを保ちながら機能させている。「こっちとあいつら」は存在しない。バランスがあるから二足歩行で歩ける。顔も手も足もバランスがある。脳の左脳と右脳もそれぞれの役割でうまくやっている。この体のバランスは、ホルモンの調整によるところも多いが、それぞれの体の機関が出しゃばりすぎず、怠けずに役割を果たしているからだ。人間の体中の化学物質が絶妙なバランスの中で働いている。
なかなか経済発展しない国の多くは治安が悪い。しかし、資本主義を徹底すれば貧富の差が拡大し、治安が悪くなる。社会主義・共産主義も結局は、独裁者が支配し、貧富の差が拡大する。毎日ノルマを課され、毎年そのノルマが高くなれば、セールスマンは疲弊する。会社はいつも高い目標を掲げる。しかし、会社が傾いたら従業員は路頭に迷うことになる。会社を安定させるためには利益を生まなければいけないが、ゆとりある安定した働き方で会社も安定した活動ができないものか。働き方改革とは、会社経営の改革でもある。両者がバランスよく改革せねばうまくいかない。
バランスを保つことは、いつも軽視されバカにされる。そして、極端がいつも世界を動かし、破壊している。
最近、よく思う。人の体や神経がバランスを崩している。バランスを崩すと安定しない。安定しなければ何が起きるか。天秤が一方に傾きすぎると、天秤は壊れる。もう天秤でなくなる。バランスを重要視する世界が一刻も早く訪れることを念願してやまない。