🙇♀️⇩自分のNoteからコピペです。
女はみんなに決められた事を文句も言わずに従えば幸せになるんだよという
押し付けの文化に抵抗したひとりの女の抵抗物語として見れば最高に良かった事です。
死ぬ間際にあそこまで言いきるなど……
相手は武器を持ってるのですからね?
人数だって相手の方が多い。
(ドラマでは、甘粕と1対1なのですが、部下はいるんですよ。
しかもあのおじさんに普通の男だったら、口答えさえ出来ないでしょう…)
もう、負けるに決まってるのだ。
その場であの魂からの叫びは、見ている者をドキドキさせる勇ましさを感じる。
もう、負けるに決まってるのだ。
その場であの魂からの叫びは、見ている者をドキドキさせる勇ましさを感じる。
実際に伊藤野枝は、内務大臣に「あなたは」「あなたは」と、直訴状に書き
罪の無い夫を返して下さいという無鉄砲な事をやっている
罪の無い夫を返して下さいという無鉄砲な事をやっている
↓という事は、記念館に残されている手紙で分かっている。
©️後藤新平記念館 所蔵品より
負けん気の強さ。
絶対に風の中、嵐の中で立ってやるという野枝の意気込みが画面から伝わってきた。
辻潤について
ところで…辻潤は…なにもしない男として…
ドラマで終わってしまった事は残念な事に思う。
辻潤は、極貧ゆえに中学に通えず中退をし
それでも尺八と語学を学び
学習能力が高かったのだろう。
一般的な学校には行かずに英語を習得し、
次いでフランス語、ドイツ語を学んだ。
そして日本では貴重な海外の本を次々と翻訳する。
辻潤は翻訳家としての仕事が本業だった。
英語が出来るので学校の教師や家庭教師はやっていましたが…
辻潤は、極貧ゆえに中学に通えず中退をし
それでも尺八と語学を学び
学習能力が高かったのだろう。
一般的な学校には行かずに英語を習得し、
次いでフランス語、ドイツ語を学んだ。
そして日本では貴重な海外の本を次々と翻訳する。
辻潤は翻訳家としての仕事が本業だった。
英語が出来るので学校の教師や家庭教師はやっていましたが…
これはうまくいかなかった。
❬辻潤年表 「ニヒリストー辻潤の思想と生涯」より❭
↑ 野枝は産まれたばかりの子供は連れて出ていった。
(しかし、里子に出している)
辻はよく、残された息子まことを連れて友人と飲みに行った。
後に、小島きよという女性と出会い同棲をする。最後の恋人は松尾とし子という女性。
そして辻潤は朝日、読売、雑誌数社に頼まれて随筆も書いている。
随筆は、世の中に迎合せず牽制するような茶化すような、更に自虐的な内容だった。
スティルナー的唯一論から老子の虚無、親鸞で更に思想を深める。
全国に辻潤ファンはいる。
大杉は正義のヒーローとして輝かしく生きてそしてあっさり死んでしまった。
ヒーローらしい生き方だ。
だが、辻潤の生き方は違った。
だが、だからといって大杉とは違い情けないやつだとは言えない反骨の物書きだったのだ。
戦争前に読売の特派員としてパリに行き仕事をしている。(Wikipediaではそのような説明が無かった)
そしてそこで日本の文化の良さに急に気がつき、
そういう意味で洋行して良かったと辻潤は言っている。
そして日本では、独裁者と組んで戦争をする愚かさを戦前から文筆で訴えている。
ヒーローらしい生き方だ。
だが、辻潤の生き方は違った。
だが、だからといって大杉とは違い情けないやつだとは言えない反骨の物書きだったのだ。
戦争前に読売の特派員としてパリに行き仕事をしている。(Wikipediaではそのような説明が無かった)
そしてそこで日本の文化の良さに急に気がつき、
そういう意味で洋行して良かったと辻潤は言っている。
そして日本では、独裁者と組んで戦争をする愚かさを戦前から文筆で訴えている。
また、ブルジョアを貶す一方、プロレタリアの事も非難していたりする。
そこが大杉達とは違う
辻潤の哀切さがある。
そこが大杉達とは違う
辻潤の哀切さがある。
*そんな辻潤も実は大杉栄のように
思想警察から尋問を何度もされているのだが
思想警察から尋問を何度もされているのだが
大杉のような真面目な応答など最初からするつもりは無く
「僕は〇〇主義だ」とふざけて「なんだこいつ、ただの〇〇か」
と思われ連行はされなかったそうだ。
→〇〇は、本を買って読めば分かる事です。
ドラマのあの辻潤像は、あまりにも可哀想だなと思いました。
と思われ連行はされなかったそうだ。
→〇〇は、本を買って読めば分かる事です。
ドラマのあの辻潤像は、あまりにも可哀想だなと思いました。
追記:ニヒリストというと、現在でいえばドラマの感じのイメージなのかと
思いますが、文章は世の中の人々がびっくりするほど辛辣だったりするのに
普段の辻潤はユーモラスで温厚だったそうだ。
←悪酔いしていない場合。
それに飲み友達は何人もいて、そういう人達に…
辻潤は酒を奢ってもらっていたそうです。
神近市子の家にもふらっと下着姿で訪れ
「変な人が来た!」
と子供達に囲まれ騒がれ、気づいた神近市子は子供を叱ったそうです。
で、何なのかと思ったら「酒をくれないか」という事で市子は
酒やつまみをあげたそうです。
そして市子は「心で涙を飲んで」と思いながら「辻潤は職業につこうとしなかった」「この不幸な(辻潤)」
とか最後まで決めつけて書いている。
そういうところが何か…
野枝に敗れた理由のような気がするが
大杉についていたら、市子のその後の安定した暮らしは無かったと思うので
良かったですね…ちなみに刑期が終わり結婚をして子供も何人かお産みに
なって議員さんにもなっている。
辻が愚行と書くような人生なのですが
一方でまた、辻は個人の形而上的自由は最も重要で
思想、宗教全てひとりひとりが好きに
唯一無二としてやって行けば良いという
おおらかな思想でもあるので、それはそれで良いのでしょう。
辻潤が虱に喰われ餓死した事のみがWikipediaに載っておりますが
当時日本は敗戦色が漂う戦時中
(九ヵ月後に戦争が終わる1944年11月24日)
ほとんどの人間が食うや食わずで生きていた。
餓死なんて日常的にある絶望の時代である。
(九ヵ月後に戦争が終わる1944年11月24日)
ほとんどの人間が食うや食わずで生きていた。
餓死なんて日常的にある絶望の時代である。
同棲をしたり、、恋人を作ったり、
して居たのですね、、
そして英語とフランス語だけ
でなくドイツ語も話せたんですか?
まあ、翻訳家でしたものね、、
あの時代に、失礼ながらあの学歴で、、
大したものですね・・・・・・・・。
ところで、日本の古本屋で、辻潤の全集だとか
「絶望の書」だとか詩集も売って居ますね、、
なんか1970年代とか2000年代に発行された
見たいですね。ご存じだったらすみません。
一応、リンクを貼って置きますね、、
https://www.kosho.or.jp/products/list.php?mode=search&search_only_has_stock=1&search_word=%E8%BE%BB%20%E6%BD%A4
それでは また、、♪( ´▽`)
正確にいえば小学校卒業
ていう事なのでしょうが、中学高校、大学を卒業しても
翻訳者になれるとは限りませんからね…
しかも哲学書が主です。それの理解も出来ないと
やれませんよね。辻さんは間違う事なくインテリです。
しかしフランス語とドイツ語も学んだそうですが、一番得意なのは英語だそうです。
リンクを後で見ますね🎵
kiyasumeさん、ありがとうございます♪(´▽`)