望春風 作詞:李臨秋 作曲:雨賢 編曲:吳博明 獨夜無伴守燈下 清風對面吹 十七八歲未出嫁 遇著少年家 果然漂緻面肉白 誰人家子弟 想欲間伊驚歹勢 心內彈琵琶 想欲郎君做夫婿 意愛在心內 等待何時君來採 青春花當開 聽見 外面有人來 開門該看覓 月娘笑阮憨大獃 被風騙不知 人の心をわかるのは 難しいねと君が言う 上目使いで 覗き込む 僕の目の中誰かいる 僕の目の中君がいる |
台湾のコマーシャルソング 今や日本を代表する歌姫となった歌手 一青窈 (ひととよう)。彼女は台湾人の父と日本人の母との間に生まれた日台ハーフ。幼稚園を卒園するまで台北で過ごし、その後日本に。 2002年10月に もらい泣き で鮮烈なメジャーデビューを果たした彼女の最初の台湾での活動は2003年、ファーストアルバム 月天心 の台湾盤発売に伴うプロモーション。翌2004年夏、台湾キリンビールのイメージキャラクターに抜擢され、台湾の夜のTVコマーシャルは一青窈一色に。そのテーマソングとして、台湾の老歌 望春風 が起用された。2005年夏、再び台湾キリンビールのイメージキャラクターとして起用され台湾のTVで放送された。 |
寧夏 は北部の平原を約400キロにわたって 黄河 が貫いており、 中華文明発祥の地 の1つ。3万年前の 旧石器時代 にはすでに人類が生活しており、紀元前3世紀、 秦の始皇帝 による 全国統一 後に開墾され、黄河から水を引いて灌漑する水利事業が始まった。1038年にタングート族の 李元昊 (りげんこう)が寧夏を中心として 大夏国 (後の 西夏 )を建国、現在の 銀川 に都を置いた。その後、元が西夏を滅ぼしたあと、 寧夏路 が設置され、これ以降 寧夏 の名称が使われるようになる。中華民国期になってから1929年に寧夏省となり、中華人民共和国成立後の1954年にいったん甘粛省に編入後、その一部が1958年10月25日に 寧夏回族自治区 として誕生した。 回族 は イスラム教徒 で長年の混血のため外見上は漢族と見分けがつかないが、起源は元代に中国に流入したトルコ人、ペルシャ人、アラブ人などの 西域民族 とされている。回族が自治区人口の三分の一を占め、残りは殆どが漢族である。 島根県と寧夏回族自治区友好協定15周年 を記念して、中国寧夏歌舞団の来日公演が11月18日(火)県民会館中ホールで行われる。数年前、中国人の友人たちと寧夏歌舞団の公演を見たことがあるが、とてもきれいで感動した。今度は、義父母を連れて見に行こうと思っている。
2008北東アジア国際文化パレット事業 中国寧夏歌舞団の公演についてより
< | < | < | < | < |
それぞれに 歌:中孝介 作詞作曲:江崎とし子 ① そよ風が告げる春の訪れ 咲き乱れる花の香りに 遠い君を想う 春の陽に見守られて 花が咲くように いつかは希望の陽が 照らすでしょう それぞれにそれぞれの 決めた道を歩き いつの日か微笑んで また逢えるその時まで ② 黄昏が告げる秋の訪れ 移り行く紅の空に 遠い日々を想う 秋の陽に見守られて 実り成るように いつかは君の夢も 叶うでしょう それぞれにそれぞれの 決めた道を歩き いつの日か微笑んで また逢えるその時まで ③ あの日交わした約束 僕らが描いてた 未来はどんな色に 染まるのでしょう それぞれにそれぞれの 決めた道を歩き いつの日か微笑んで また逢えるその時まで |
各自远飏 微风告知春天来访 纷纷绽放的花朵香气 令人想起远方的你 如春日阳光守护下绽放的花朵 未来希望之光也会照耀我们吧 各自选择的道路 在未来的某日绽放笑容 直到重逢时 当初许下的约定 是我们心中描绘的 想像中未来的颜色 我们踏上各自 各自选择的道路 在未来的某日绽放笑容 直到重逢时 |
授業中、老師から1篇の台湾映画を紹介され、面白そうなストーリーなのでネットで調べてみた。
2008年8月の公開以来、空前のヒットを記録している台湾映画 海角七号 。 タイトルの海角七号とは、昭和20年12月に台湾から 引き揚げ た日本人 教師 が台湾の 女学生 あてに出した ラブレター の宛先で、この教師が亡くなった後、彼の娘が遺品を整理している中から手紙を見つけ、 60年の歳月を経て台湾に届いたこの手紙 をもとにした作品。 出演は主役の阿嘉役に 范逸臣 (愛称ヴァン・ファン)、若き日本人教師役に 中孝介 、友子役に 田中千繪 。映画の台詞は 中国語・台湾語・日本語 が入り乱れる。…舞台は台湾南部の海辺の町。ミュージシャンになる夢に破れ、10年間過ごした台北から故郷に戻ってきた阿嘉(アカ)は、郵便配達の仕事を始めた。 そんな中、仕事で滞在していた日本人モデルの友子がバンドの取りまとめ役を任され、阿嘉を含めた6人の即席バンドの練習がスタートした。 ある日、阿嘉は「海角七号」という今はない住所に宛てた日本からの小包を見つける。中には、終戦直後に台湾を離れた日本人教師(中孝介2役)が台湾の女性に宛てて書いたラブレターが入っていた。この手紙をきっかけに、始めは反発しあっていた阿嘉と友子は深い絆で結ばれていく。…
2008年8月の公開以来、空前のヒットを記録している台湾映画 海角七号 。 タイトルの海角七号とは、昭和20年12月に台湾から 引き揚げ た日本人 教師 が台湾の 女学生 あてに出した ラブレター の宛先で、この教師が亡くなった後、彼の娘が遺品を整理している中から手紙を見つけ、 60年の歳月を経て台湾に届いたこの手紙 をもとにした作品。 出演は主役の阿嘉役に 范逸臣 (愛称ヴァン・ファン)、若き日本人教師役に 中孝介 、友子役に 田中千繪 。映画の台詞は 中国語・台湾語・日本語 が入り乱れる。…舞台は台湾南部の海辺の町。ミュージシャンになる夢に破れ、10年間過ごした台北から故郷に戻ってきた阿嘉(アカ)は、郵便配達の仕事を始めた。 そんな中、仕事で滞在していた日本人モデルの友子がバンドの取りまとめ役を任され、阿嘉を含めた6人の即席バンドの練習がスタートした。 ある日、阿嘉は「海角七号」という今はない住所に宛てた日本からの小包を見つける。中には、終戦直後に台湾を離れた日本人教師(中孝介2役)が台湾の女性に宛てて書いたラブレターが入っていた。この手紙をきっかけに、始めは反発しあっていた阿嘉と友子は深い絆で結ばれていく。…
花と言えば 桜 、桜と言えば 春 。 春に咲く桜の 花芽 は前年の夏に形成される。その後、 休眠 状態になり、秋から冬にかけて一定期間 低温 にさらされることで眠りから醒め、春をむかえ、気温が上昇するにともなって花芽は成長し、そのピークを迎えた時 開花 となる。このように桜は、秋から冬にかけての寒い時期と、暖かくなる春という四季のあるところで美しい花を咲かせる。花芽の生成は、気温が高くなるスピードに合わせて加速するので、 植物と気候 は切っても切れない関係にあるが、近年 地球温暖化 の影響で桜の 開花日 が早くなりつつある。 地元に桜の花の 名所 があり、春にはきれいな ソメイヨシノ が咲き乱れるが、今はすっかり葉も落ちて、見る影もない。山々は 秋色 に色づき、桜の木の下あたりには、 雑草 の中に 秋の花 が咲き、それはそれで美しい。ところが、今年は 異常気象 によるものか、秋なのに、このあたりの 桜並木 に、桜の花が数か所咲いている。
秋色に染まる山 | ||||
< | < | < | < | < |
今日は近くの 神社 の お祭り だった。二日前が私たち 地元 のお祭りで、その二日前は 隣接する地域 のお祭りだった。昔から、お祭りの日を少しずつずらすことによって、 代わりばんこ にお祭りに お客 を呼んだり呼ばれたりしてお祝いをしていたらしい。しかし、今では地元のお祭りも 形式的 なもので、家族だけで 出前 のお寿司をつまんで過ごすのはまだいい方で、お祭りに、何もしなくなったところも多い。私たちの地元のお祭りも、昔どおりにお客を呼んで祝ったのは我が家だけだったようだ。地元のお祭りといっても、 神主 さんが来て 祝詞 を上げるだけになった。以前は、毎年 神楽 が催されていたが、 経費 がかかり過ぎるということで、何年かに一度ということになり、今年は何もない年だった。今日のお祭りは我が地元に比べると、はるかに賑やかだった。 出店 が何軒も出て、神楽も派手に舞われた。だが、以前のような 賑わい はもうない。買い物をする子供たちの数もめっきり少なくなった。神楽も、夜通し舞われていたものだが、今は11時過ぎには早々とお開きになる。田舎の古き良き時代の 風物詩 がどんどん変わって行く。 残念!!
< <
いつも私のブログを訪問して戴いている エアロさん から
寄せられた情報によると 四季の山―豆知識 の中に、四季折々の
山の表情を表す言葉が以下のように紹介されている。 春→山笑う 夏→山滴り(したたり) 秋→山装う 裾模様 冬→山眠る 日本の山は四季折々いろいろな表情があり、私たちを楽しませてくれる。 あちこちで、紅葉の情報も聞かれるようになり、ガソリンの値段も少し下がって、出かけ易くなってきた。 不景気を吹き飛ばして、車を飛ばして、さぁ出かけよう!!
寄せられた情報によると 四季の山―豆知識 の中に、四季折々の
山の表情を表す言葉が以下のように紹介されている。 春→山笑う 夏→山滴り(したたり) 秋→山装う 裾模様 冬→山眠る 日本の山は四季折々いろいろな表情があり、私たちを楽しませてくれる。 あちこちで、紅葉の情報も聞かれるようになり、ガソリンの値段も少し下がって、出かけ易くなってきた。 不景気を吹き飛ばして、車を飛ばして、さぁ出かけよう!!
<<> |
<秋色の日々> |
ず~っと昔、20年以上も前に、台湾で 金木犀 (きんもくせい)の香りのする家を借りて住んでいた。家主が、中国では、金木犀は 桂花 (クェーホワ)と言うのだと教えてくれた上、金木犀の歌を教えてくれたことがあった。当時、私は3番の金木犀のところだけしか知らなかったが、曲の題名も今日まで知らずにいたのだった。今あらためて歌詞を見てみて、日本の 四季の歌 のような構成だということに気づいた。 …春に桃の花が咲くと恋人が自分の所に帰ってきたかのように昔を思い出し、夏にハスの花が咲けば昔を思い出し、秋に金木犀が咲けば昔を思い、冬に梅の花が咲けばまた昔を想う… 単純な構成ではあるが、なぜか懐かしい歌である。
<<回想曲>> 作詞:楊正撰 作曲:周藍萍
桃花開放在春天一見桃花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
唱一曲小桃紅紅上了我的臉 小桃紅唱一曲呀使我想起從前
蓮花開放在夏天一見蓮花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
聽一遍採蓮曲促成了並蒂蓮 採蓮曲聽一遍呀使我想起從前
桂花開放在秋天一見桂花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
喝一杯桂花酒人比那花嬌艷 桂花酒喝一杯呀使我想起從前
梅花開放在冬天一見梅花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
畫一幅賞梅圖我是那畫中仙 賞梅圖畫一幅呀使我想起從前
桃花開放在春天一見桃花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
唱一曲小桃紅紅上了我的臉 小桃紅唱一曲呀使我想起從前
蓮花開放在夏天一見蓮花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
聽一遍採蓮曲促成了並蒂蓮 採蓮曲聽一遍呀使我想起從前
桂花開放在秋天一見桂花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
喝一杯桂花酒人比那花嬌艷 桂花酒喝一杯呀使我想起從前
梅花開放在冬天一見梅花想從前 好像情郎他又回到他又回到我身邊
畫一幅賞梅圖我是那畫中仙 賞梅圖畫一幅呀使我想起從前
パソコンに興味のあるメンバーが集まって楽しむ 私たちの 同好会 が、順調に成長している。今日も楽しい お楽しみ会 のような会だった。みんなで真面目に、 エクセル や 画像 の取り込み方の勉強をしたり、 YouTube で音楽を聴いたり、時には音楽をパソコンに取り込みながら、 ミニ音楽会 のようになったりで、本当に楽しい集まりだ。 一緒に おしゃべり をしたり、 食事 をしたり、時には 愚痴 を言ったりで話題が尽きることがない。正直に言うと私は、田舎の のんびり した生活があまり好きではないのだが、こんな生活も捨てたものでもないなぁ~と近ごろは思っている。パソコンを通じての仲間が増え、交流が広がって、人生をもっと 前向き に生きられる、怖がらないで老境を迎える準備ができるという気がしてきている。久しぶりに、家の周りの花たちをデジカメで映してみた。春の花々は美しいが、秋の花々も捨てたものでもない。人生の秋を楽しむ準備を始めよう!!
<
<
<
毎年秋になると、川の浅瀬に、ピンクのかわいい、まるで 金平糖 のような小さい粒粒の花がたくさん咲く。私は、これ見よがしにで~んと大きく咲く花よりも、片隅に咲く花や、集団でないと気付かれもしないような小さな花が好きで、中でもこの金平糖の花が大好きなのだが、長い間、この花の名前を知らずにいた。私が勝手に金平糖の花と呼んでいた、この花の名がミゾソバだと知ったのは偶然だった。 ミゾソバ は タデ科 の 一年生草本 で、日本全国の小川や沼沢地、湖岸などいたる所に生育し、水田地帯の用水路などに 群生 していることが多い。根元から枝分かれして繁茂し、節から根を出して群落を作る。茎や葉には 棘 がある。名前の由来は 溝 に成育し、葉が ソバ に似ているからだといわれる。 別名の うしのひたい は、葉の形が牛の顔に似ているからである。花は8月から10月にかけて咲き、秋の季語となっている。中心部は色が薄く、花弁の先端は淡い紅色。花の色や濃さには様々な物があり、ほとんど白色に見える物から全体が淡紅色の物まである。ミゾソバの花の 花弁 に見える部分は 萼 であり、花弁はない。 日野市石田村の出身であった 新撰組 の副局長 土方歳三 の実家が 骨つぎ・打ち身・捻挫に効くと売り出していた 石田散薬 は、酒とともに飲むと大変効果のある薬だと評判で、高価でもあったが、その原料はミゾソバだった。後世になりその成分を調べてみると、毒にも薬にもならぬ代物だったそうだ。<<
写真は3枚あります。クリックしてみてください。
<
写真は3枚あります。クリックしてみてください。