綉球花*八仙花

xiu qiu hua*ba xian hua 

   ・・・ 日々の生活の中で ・・・

テレビ

2009-01-31 | Weblog
  テレビが壊れた!! … 階下で義父が叫んでいる。  どうせまた、アナログとBSを押し間違えたのだろうと思って、 リモコン を押してみたが、声はするけど姿が見えない。 あれ、いったいどうしたことだろうと不審に思い、あちこち押してみたが、どうにもならない。 困り果てて、販売店に電話をしたが、要領を得ない。 週末のため、来週にならないと製造元と連絡が取れない、と担当者は言う。 仕方がないので、映像が出ないまま、 ラジオ のようにしてテレビの音だけを聴く。 何日もテレビのない生活は耐えられないと義父が言うので、息子の部屋から 旧型 のテレビを二階から持って下ろした。 重かった。 これでも無いよりはましだと一安心。 翌日、外出先から帰ってみると、家の前に見慣れぬ車が停まっている。… 修理屋さん だった。 簡単に治るものと思っていたが、 部品 が足りなくて、すぐには治らなかった。 結局、テレビは 入院 させることにした。  代わりに、一まわり 小さいテレビ を置いて行った。 半年前に買ったばかりのテレビが壊れるなんて、初めてのことだ。 
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山茶花

2009-01-29 | Weblog
 授業中に順番で5分間しゃべるコーナーがある。 今日は私の担当だったので、 みちづれ を中国語に翻訳して、老師に 添削 してもらった。間違いがたくさんあった。みちづれの 中国語バージョン 山茶花 と言うタイトルが付いている。こちらは日本語に訳したが、意味のわからない所があったので、また直してもらった。そのあと、 CD を聴きながら、みんなで、中国語バージョンで歌うことにした。 録音の状態が良くない上に、機械の操作に手間取って困ってしまった。  老師やKさんのおかげで、なんとか操作できるようになってよかった。 すごく有名な曲なので、みんながすぐに上手に歌うことができた。何回も繰り返して歌い、楽しい時間を過ごした。 

 気がつくと、1時間の授業時間を全部歌って過ごしてしまった。大事な授業時間を潰してしまってごめんなさい。でも、楽しい時間が過ごせて本当によかった。



      山茶花

①・山茶花、  你 説 他的 家、 開満 山茶花
サンツァホワ、 ニー ソー タ ディ チャ、 カイマン サンツァホワ
毎 当 那 春天 三月、 郷野 如 図画
メイ タン ナー ツンティエン サンユエ、 シャンイエ ルー トゥホワ
村里 姑娘 上山 採茶、  歌声 盪漾 山坡 下
ツンリ クーニャン サンサン ツァイツァ、 クースン タンヤン サンポ シャ
年 十七、 年紀 十八 偷偷 在 説 悄悄 話
ネン スーチ、 ネンチ スーパ トウトウ ツァイ ソー チャオチャオ ホワ
羞 答答、 羞 答答、 夢里 総是 夢見 他
ショ タ タ、 ショ タ タ、 モンリ ツォンス モンチエン タ
②・一朶 花 他 説 你 美麗、  就像 一朶 花
イートー ホワ タ ソー ニー メイリ、 チョウシャン イートー ホワ
他 希望 総有 一天、  把 你 摘 回家
ター シーワン ツォンヨウ イーティエン、 パ ニー ツァイ ホエチャ
村里 姑娘 也 回 羨慕、 羨慕 你 像 一朶 花
ツンリー クーニャン イエ ホエ シェンモ、 シェンモ ニー シャン イートー ホワ
③・一朶 花 但 願 你 美麗、  能 像 一朶 花
イートー ホワ タン ユエン ニー メイリ、 ナン シャン イートー ホワ
更 希望 有 那 一 天、 跟 他 轉 回家
 クン シーワン ヨウ ナ イーティェン、 クン タ ツワン ホエチャ
村里 姑娘 出来 歓迎、 歓迎 你 這 一朶 花
ツンリ クーニャン ツーライ ホワンイン、 ホワンイン ニー ツ イートー ホワ

           みちづれ
            水木 かほる 作詞
            遠藤   実 作曲
 ① 水に漂う 浮草に    
   同じ運命と 指をさす
   言葉少なに 目を潤ませて     
   俺を見つめて 頷くおまえ  
   決めた決めた お前と道づれに

 ② 花の咲かない 浮草に      
   いつか実のなる 時を待つ
   寒い夜更けは お酒を買って   
   偶のおごりと はしゃぐ姿に
   決めた決めた お前と道づれに

 ③ 根なし足なし 浮草に     
   月のしずくの 宿る頃
   夢の中でも この手を求め   
   探り当てれば  小さな寝息
   決めた決めた お前と道づれに


旧正月

2009-01-26 | Weblog
 今日から 旧正月 が始まる。 義母を連れて 熊野神社 にお参りした。周囲には、まだたくさんの雪が残っていたが、参道はきれいになっていた。 参拝者は誰もいなくて、静かな境内を家族3人で、お参りしながらゆっくり歩いた。途中でお守り用に魔除けの鈴を買った。参拝の後、遠回りをして、大根島まで行き、 牡丹園 に入った。ここで庭の牡丹を眺めながら、遅めの昼ご飯を食べた。とても美味しかった。雨が時折降っていたが、ゆっくり庭園を見てまわった。雪の庭園もなかなか捨てたものでもない。あちこちで、カメラマンが写真を撮って回っていた。庭の牡丹は こも をかぶって雪の中に可愛く佇んでいたが、温かい 室内展示場 には絢爛豪華な牡丹の花たちの競演が待っていた。ここには何回か来ているが、今年は牡丹の花の色も勢いも飾り付けも一番いいように思う。何枚も写真を撮った。再び、庭園に出てみると、雪をかぶった庭園がとてもきれいだった。足の悪い義母も杖をつきながら頑張って歩いてくれた。美しい庭園を見てまわって、家族みんながとても満足した気持ちを抱いて、帰途についた。 
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熊野神社
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嵐を呼ぶ男

2009-01-24 | Weblog
 旧正月で夫が帰ってきた。  午前中、そんなに天気は悪くなかったのに、彼が空港についたころから、雪がちらつき始めた。  空気が汚れているのか、車に付着したが解けて、 黄砂 のような汚れが目立つ。  朝 洗車 したばかりなのに、何度拭いても同じだ。 彼は、汚れや臭いに敏感なので、彼を迎えに行くときはいつも緊張する。 案の定、荷物を積み込む時に車が汚いと怒られた。 友人たちには、私の車はいつもきれいだと褒められるのだけど…。 帰宅して夕食のとき、いつものように お手当て を戴く。…まるで、たまに帰ってくる 旦那さん からお手当てを戴く お妾さん みたいだ。  両親にも お小遣い を渡すことを忘れない夫を家族中で大切にしている。 食事中、あれこれとほとんど一人でよくしゃべる。 しゃべり終わると、彼は友人とお酒を飲みに出かけた。 夜中に帰宅すると、赴任先ではよく眠れないのだけど、帰宅すると落ち着いて眠れると言って、大いびきをかいて 爆睡 。一夜明けて見ると、外は真っ白な銀世界。 今年一番の大雪で、夫はまさに嵐を呼ぶ男を実証して見せたのだった。 
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コミニュケーション

2009-01-22 | Weblog
妖精 
 障害を持つ人々が コミニュケーション をうまくとって行くことは、なかなか大変なことである。 ある施設では、目が見えない人、耳が聞こえない人、しゃべれない人たちが集まって、一つのサロンを形成している。各個人の障害の内容や程度によって 活動内容 はさまざまである。この施設では、3時になると、お茶を飲みながら、毎回、一人ずつ 自己紹介 をする。障害のある人もない人も、施設の職員も全員である。参加している人が誰と誰で、どんな内容が話題で、どんな勉強しているのか、自分のことはわかっても、他の人のことは分からないからである。手話、指点字、特殊なマイク音など 様々な方法 で分かり合おうとする。 直接対話 のできない彼らにも争いがおこることがある。周囲の人々は笑いながら見守っている。喧嘩ができるのは、どうにかこうにかコミニュケーションが取れているということなのだから。昨年県内で、 障害者全国大会 が開かれた。開催地の施設の職員が取り仕切って、よどみなく大会は進行し、閉会するのが一般的である。しかし、昨年は、施設の職員は 裏方 に徹し、会場の司会進行は勿論のこと、各地から集まる人々の宿舎の手配、見学に行く施設の手配、集金すべてを障害者に任せた。健常者が取り仕切るのとは違って、もたつく場面もあったが、なんとか無事に 成功裏 に終わったのだった。これは彼らに大きな 自信 をもたらした。あれから数カ月たった今も、彼らの心は、やり遂げた 満足感 でいっぱいである。    

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ボランティア元年

2009-01-18 | Weblog
 元来、おとなしくて慎ましやかな日本人は、積極的に自ら行動することを好まず、ボランティア活動には消極的だといわれていたが、1995年1月17日 AM5:46 に起こった 阪神・淡路大震災 を機にボランティア活動に積極的に参加する人たちが急増し、この年を ボランティア元年 と言うそうだ。震災で困った人たちを助けようと様々な方面からの援助があり、日本人も捨てたものではないと再認識させられた年となったのだ。

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 2008年は私にとってのボランティア元年であった。今まで、社会に貢献することもなく単調な日々を送っていた。それまでは、自分とはまったく関係のない異質の世界だと思っていたが、ある一つのきっかけで、市内の施設にパソコンのボランティアに行くことになり、障害のある人と一緒にパソコンを勉強することになった。 市内には、さまざまな団体が活動しており、 手話通訳者・速記通訳者・点字通訳者 など、たくさんの人たちがボランティア登録をしている。  自分に出来るかなという一抹の不安もあったが、取りあえず参加してみることにした。最初はただ見学するだけであったが、現在は、特定の人を任されており、自分の補助を待っている人がいるという喜びを感じながら、ともに成長して行こうと思っている。時間的制約を受けるので、少し窮屈に思うこともあるが、社会貢献の一翼を担っているという喜びは大きく、何物にも代えがたいものがある。
<  自分の知らなかった世界を知ることができ、さまざまな人との出会いが、自分をより一層いい方向に導いてくれるような気がする。
今までずっと、自分のやりたかったことが何か分からずにいたが、自分のやりたかったことの一つをようやく見つけたような気がする。 Tさん、Kさんこれからもよろしく!!
一緒に勉強していきましょう!(*^_^*)

王安石

2009-01-15 | Weblog

王安石  元日    王安石

 爆竹聲中一歳除 … 爆竹の音がパパン鳴っているうちに新しい年
             を迎えた。
 春風送暖入屠蘇 … 春風が暖かい風を屠蘇の中に運んできた。
 千門萬戸瞳瞳日 … 初日がすべての家々に差し込むころ
 總把新桃換舊符 … どの家も古いお札を換えて、新しいお札に貼
             りかえる。

・「新桃」は新しい桃符のこと、桃符とは邪気を払う力をもつ桃の木
 の符。後に紅い紙製の春聯となる。
<中国のお正月>
 王安石(ワンアンス)天禧5年(1021年) - 元祐元年(1086年))は、北宋の政治家・詩人・文章家。字は介甫、号は半山。撫州臨川(江西省撫州市)の人。新法党のリーダー。神宗の政治顧問となり、制置三司条例司を設置して新法を実施し、政治改革に乗り出す。その政策は地主・豪商・皇族・官僚など特権階級の利害と衝突し、猛烈な反対を受けた。 1042年、21歳で科挙に合格し状元進士。地方官を歴任して地方政治の経験を積み、仁宗に『万言書』をおくり政治の乱れを指摘した。 革新政治家で年少気鋭の神宗に登用され、宰相となり富国強兵策、いわゆる「王安石の新法」を断行した。また学校を建てて人材を養成し、科挙の方法を変えて社会の実用に合わせようとした。 しかし、特権維持をのぞむ司馬光ら一派の旧法党の痛烈な反対を受け厳しい悪評を浴びて僅か5ヶ年で辞任した。

冬用タイヤ

2009-01-12 | Weblog
 休日はガソリンが安いので、ガソリンスタンドに行き 給油 した。ついでに冬用の タイヤ交換 をしてもらった。タイヤが少し痛んでいるので新しくした方がいいと係員が言った。値段を聞いてみると、4本で6万5千円にもなるという。予算外の出費でかなりのショックだったが、 タイヤは車の命 、身の安全を考えるとお金には変えられない。泣く泣く新しい冬用タイヤに替えてもらった。聞くところによると、中国では 冬用タイヤ は一般的にはなくて、積雪量の多いところでは、 チェーン を巻いて走るが、基本的には 夏冬兼用 なのだという。したがって、 冬の事故 がすごく多いそうだ。中国では 春節 (旧正月)の前後の帰省ラッシュを 春運 と言い、今年はこの期間に延べ23億人の 民族大移動 が予想されているという。昨年の春運には、大雪による鉄道の混乱が帰省客の足を直撃。10万人の乗客が広州駅で足止めを食らい、気温が極端に下がる中、行列して夜を明かした。 金持ちも貧乏人も正月は故郷で過ごす という言葉がある中国では、何が何でも帰省したいと望む人が多く、歩いてでも故郷を目指すという人たちが続出し、大雪による 交通マヒ に拍車がかかる最悪の事態となった。今年の春節は1月26日と例年に比べ早く、学生達の帰省と不況のあおりで早めの里帰りを余儀なくされた出稼ぎ労働者の帰省が重なり、交通機関は例年以上に混雑が予想される。大事故の起こらないように祈るばかりだ。

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縁結びの神様

2009-01-11 | Weblog

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 縁結びの神様と言えば、日本では 出雲大社 が有名で、神在月には全国から八百万の神々が集まり神議が行われるという。       
 中国や台湾では、縁結びの神様として 月下老人 が有名で、男女の仲を取り持つ人・仲人(なこうど)・月下翁・月下氷人・月老とも呼ばれている。月下老人は、結婚する男女が結びついている 赤い糸 を持っていと信じられているため、今も昔も若い男女に大人気の神様だ。その由来は、… 唐の韋固 (いご)が月夜に会った老人から将来の妻を予言された…という 続幽怪録 の故事からと言われている。

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 台北市内では月下老人を祭る 龍山寺 (ロンサンス)や 霞海城隍廟 (シャーハイツァンホァンミャオ)が有名である。月に住む月下老人は白髪、白ヒゲの老人で、いつも首から布袋を下げて本を読んでいる。その本には誰と誰が結ばれるかが記されており、布袋に入った 運命の赤い糸 で夫婦となるべき男女のを結んでいくのだという。