そのと当時を振り返って思い出してみた。
炭と私
私が炭に関わった経緯ですが、今から思えば実に私しかいない適任だったのでしょう。
その当時は嫌で嫌で逃げ回っていました。
私は、1986年ごろから滋賀県で建築会社を経営していましたが、
自然が好きで環境問題のボランティア活動にも参加していました。
あるとき、滋賀県の山をきれいにしないと
琵琶湖がきれいにならないと言う事から、
滋賀県間伐材利用促進機構の立ち上げに参加したのです。
ヘッドは山東町の山本町長で参加メンバーは、
建築、林業、コンピューター、芸術、マスコミ関係に行政を交えて
10人ぐらいで立ち上がりました。
間伐材を一般建築に使用する事には、話が進みません。
現在は不燃材が主流です。木材は主流ではありません。
そこで、杉ヒノキを、焼いて炭にして
琵琶湖の水浄化に使えば良いだろうと話がまとまりました。
ところが誰がそれを引き受けるのかでまとまりません。
当然私は断りました。
木材なら建築に使えますが、黒い炭となれば建物を汚しますし、
きれいに作るのが建築です。黒くて汚い炭は合い入れません。
間伐材を何とか炭にしてまでは良かったのですが、
それからが大変で1年ほど逃げ回っていましたが、
引き受けるものがいなくて最終的に私を含めて4人ほどで
株式会社を作って引き受ける事になりました。
山からの恵みとさまざまな知恵を学ぶ事から
「山学株式会社」サンガクカブシキカイシャと名づけました。