先般障碍者の大量殺人事件についての裁判審理があり 私たちの記憶がよみがえりました。 障碍者は生まれつきの人もあれば 病気や事故で後天的になる人もいます。 障碍者の人とはどんな人たちなのでしょうか。
障碍者の人たちは 志願してこの世で障碍者になることを選んだ人たちです。
だから勇気ある偉い人たちなのです。
なにより障碍者として生きることが どんなことなのか自分が体験して学ぶため そして親や家族の人たち それに周りの世間の人たちに 学ぶ機会を与えることを志願して生まれてきたのです。 後天的に障碍者になる場合でも そのことを承知の上で 生まれてきています。 いわばボランティアとして 自分のために人のために生まれてきたのです・・・。
真実は 私たちが魂レベルでは 存在するすべてが自分であるので そのすべてであることを少しづつ小分けにして この世の世界(物質世界)で自分個人のこととして体験しようとしているのです。
障碍者とは 自分がすべてであることの一環として 今回の人生では障碍者であることを選んだ人たちです。
ということは 私たち人間みんなも 遅かれ早かれどこかの人生で障碍者の経験をすることでしょう。 今回の人生で自分が障碍者でないから 自分とは無関係の人たちだというのではないのです。 私たちも障碍者からいろいろ教えられているのです。 いわば私たちの仲間であり分身なのです。 そこには目に見えないけども絆があります。
障碍者とは 本来健常者として生まれるはずの人が 何かの間違いがあって障碍者になったというのではないのです。 気の毒な人たちとか劣ったひとではなく 勇気ある偉い人たちなのです。 そこには私たちからご苦労様ですという感謝があるべきことなのです。
また最近では 外から見たのではなかなかわからない発達障害といわれる人たちも増えているようです。 この人たちも程度の差こそあれ同じ理屈なのです。 自分に対してもふつうのひとよりも より大きな不自由度を課しています。
では普通の「健常者」といわれる人たちはどうでしょうか?
私たちも全員が程度の差こそあれ ある種の障害を持っているのです。
完全な人はまずいないのです。
私たちはまず思考が偏っています。 そして精神的に不安定です。 怒りやすく パニック障害や不安障害を起こしやすく 人を傷つけやすくできているのです。 愛のホルモンがすぐ欠乏する存在なのです。
私たちはもっと自分を知ることによって 謙虚でありたいと願うばかりです。
(第149話終わり)
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