自死について
前回に続いて自死について私の理解を述べたいと思います。
皆様の参考になれば幸いです。
自死の決意を前にして 人間の意識 (顕在意識あるいは自我意識とも言います)は絶望に瀕しているかもしれませんが 人間の中で人間にピッタリ寄り添っている神(魂)の意識の方は全く違います。神(魂)は人間が体験してくれることが自分の体験になるわけですが しかし容易に想像できることですが 神(魂)は人生でどんな経験をしようとも絶望することはありません。
それに死ぬことを恐れてもいません。
第一に神(魂)は人生がリアルではないゲームであることを知っていますし それにこのゲームは自分(たち)が創ったものであることも知っています。
さらに人間の言う死は 人間の目には見えない元の高度なエネルギー体に戻るだけであって意識も続くし 実際には死なないことも当然知っています。
そしてこの地球が 人間たちが学び成長するための道場であることもよくわかっています。
神(魂)と違ってなにも知らない状態なのは「人間の意識の役を担当している」天使の方です。
そうです天使です。人間というものの中には魂と天使がペアで入っているのです。意識の名前で言えばいかにもややこしいけど超意識と自我意識です。超意識は魂の一部であり 自我意識は人間つまり天使の持つ意識です。そのほかに潜在意識も存在していて この潜在意識は自我意識の足を引っ張って物質世界から逸脱しないように留まらせようとします。つまり人間が成長するのを邪魔するわけです。もちろんそんなものも神が創ったものです。
要するに神(魂)は人間に 否定的な面の経験を十分にさせ それを出発点に肯定的な考え方を学ばせ成長させようとしているのです。これは人間が理解する神のありかたとは全く違います。人間が困ったら神が助けてくれるというのとはまるで反対方向に違うのです。神はまるでまず人間を困らせることから 始めるといってもいいかもしれません。
その理由は神自身がこの世で体験したいのは否定的な面が主体だからです。向こうではそれが体験できないからです。そのためにこのような人間ゲームを創ったのです。向こうは波動が高すぎるからです。でもそれでは人間が体験することが辛いことばかりになります。そこで神(魂)は人間が成長できるようガイドしていくシステムにしてあるのです。 成長こそがこの世で本当の幸せをもたらすものだからです。人間が住むこの相対世界では本当の幸せというものは人間が精神的に成長することによってのみ手にすることが出来るものだと気づかせようとしているのです。ちなみに成長とは波動が上がることです。
人間をそこに導こうとしているのです。それは神(魂)自身のレベルでもあります。なお 魂は神が分割したものです。
ですから人間は 神の存在もよく知らず この世界が本当の出来事だと思っているのがむしろ普通であるように設定されているのです。この世では。
それも無理のないことで 人間はこれから人生を繰り返して目覚め成長していくことによって次第にそれらの真相が見えてくる仕掛けにしてあるからです。それが人生が一種のゲームと呼ばれる所以です。
さて全てを知っている魂からドッキリを仕掛けられたように!!この世では何にも知らないことになっている天使が 魂とペアになって一人の人間の中に一緒に住み いろんな「体験の旅」をするのです。一方は失敗したと言っては嘆き辛いことが多いと言っては嘆きます。 一方 魂は体験したかったことが体験できたと言って喜び人間に感謝しているのです。しかし人間の気持ちを決して批判せず理解しています。そこが神の神たる凄いところです。神は自分というものを理解しに来ているだけだからです。
すべてを知っている魂と何も知らない人間とのペア。両者の表現の違いが何とも皮肉です。
般若心経でもいいますが 人間の無明というのは文字通り 神仏によって意図的に造られた何も知らない状態の人間のことをいうのです。人間が人生経験を通して学び 無明ではなくなっていくわけです。でもまたすぐ次から次と新しく人間として繰り返しこの世に生まれてきますから 人類全体の進化の程度は進んでいきますが基本的には程度の差はあるけども人間の無明という状態は尽きることが無いというのです。ですから何も知らない状態というのは人間である間だけの話なのです。成長をしていくためには何も知らない状態をつくってあるのです。ただ人間は 死ねば自分がこちらでやっていたことの真相はすべて一瞬にして明らかに知ることが出来ます。
だったら私はすぐ死んで一刻も早くアーそうだったのかと言いたい。だから死なせてほしいといってもそれは無理な場合が多いと思います。
すべてはあなたの魂が了承したことしか人間はできないシステムなのです。
魂にあなたがここで死んでもらっては困るんですと言われて帰ってきた人は実は多いのです。(もちろんその逆のケースもありますが)
何も知らない人間の意識として人間に入った天使。それがあなたです。 今は追い詰められた一人の人間として なぜこういう事態になったのか・・・ 良くはわからないけどもやり方がまずかったに違いない・・・やりそこなったのだ・・・失敗してしまったのだ・・・そして人生を棒に振ってしまったのだ・・・と思う人も少なくないのです。
そしてもっと慎重によく考えてすれば もっとマシな人生を歩めただろうに・・・と考え 自分を責め 他人を責め 人生の目的である人間としての成長どころでなくなってしまうのです。もちろん自死に至る理由は失敗だけではなく 生きがいや生きる気力を失ったりその他たくさんあると思います。
でもどれも慎重にやらなかったというせいではなさそうです。
真相は全く違うのです。
あなたは神に協力するために 神の創ったこの舞台で神の創った筋書きのもとに生き そして今は自死を選ぼうとしています。まずそういう自分にちゃんと気が付いていて欲しいのです。
神はあなたが失敗や絶望や自死をしなければ そういう体験ができません。
神は自分を知るために「神の実家では出来ない体験」をしようとしているのです。いつも幸せな存在はわざわざ幸せを体験しには来ません。
ですからあなたの人生の筋書きには 人間の本意ではない各種の失敗がちりばめられているのです。すべては神が書いた筋書きなのです。
超意識や潜在意識の働きによって 自我意識があれよあれよといってる間に周囲が動き失敗という結果が出るしかけです。 しかしそれは神にとっては失敗どころか大成功なのです。人間が勝手に自己判断して不快なものに失敗というレッテルを張るだけですが しかし人間の価値観からみればたしかに失敗というものが存在しうることは理解できます。ただそれがほんとうに失敗かどうかは見る人の成長度によって違ってくることもわかります。成長するために失敗するのですから。
非常に残念なことですが 人間の多くは自分が失敗したということだけにこだわって自分を責めて苦しみ病気になったり自死するのです。
人間はなぜ生きるのか それを考えれば選択肢はいくらでも浮かんでくるはずです。
選択肢は例えば自分が癒されることや成長することにあるのです。
まず自分が癒されそうに思える身近な手段を即実施します。
とにかく人間にとってこの世ですることは 結果として成長する行動だけですからそれにつながる可能性のあることなら何でもいいわけです。
思い切って勇気を出してみることだと思います。私も忘れずトライしてみようと思います。
例えば 児童養護施設とか宗教の施設などで 寝食を得ながら奉仕で働くなどもひとつの癒しと成長への行動だと思います。1週間とかひと月とか まずやってみる 愛といううものや喜びというものがそこで見出せそうに感じたら大成功だと思います。 もし真剣に取り組むなら きっと道が開けると思うのです。
(続きます)
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