またね 『第55回多治見市文芸祭エッセイの部市長賞受賞作品』
大学三年の夏の終わり、大学に戻るため郷里の駅のホームに行くと、高校の同級生に会った。同じクラスになったことがないため、顔見知り程度だったが、懐かしくて大学生活や卒業後の未来のことを話した。
文学部に進学したという彼女は、『赤毛のアン』が似合いそうないかにも文学少女という雰囲気だった。
「私、童話作家が夢だったんだ」
と言うと、理系に進学した私がそういう夢を持っていたことに本当にびっくりしたようだった。私自身、親しいわけでもない彼女にそんな夢を打ち明けたことに戸惑いを感じていた。ツクツクホーシが勢いよくなきだし、続いて潮の風が吹き、互いの髪を舞い上げた。
「この潮風ともしばらくお別れ。住んでいる時は気にしていなかったけど、東京でどっちを見ても海がないとなんだか不安な気持ちになる」
と言うと、彼女もうなずいて言った。
「どこに行っても人ばっかり、ゆっくり考える場所がないよね」
「このあたり、東西南北のかわりに海側とか山側とか言うんだよね」
駅にも海側口と山側口があった。海側口を出て三分も歩くと海、山側口を出ると町だった。町と言ってもさして大きな町ではなく、正面に山が迫っているから山側口だ。私達の卒業した高校は神峰山(かみねさん)のふもとにあったので、校歌や応援歌は、神峰(かみね)の山、で始まっている。卒業した中学は海まで数百メートルの場所にあったので、日立の海、で校歌が始まっている。
海辺の町だけあって、夏は涼しく、冬は暖かい。郷里が嫌いで飛び出したのではなく、勉強をするために東京の大学を選んだのは彼女も私も同じだったと思う。
突然、後方からメロディが流れてきた。
同時に振り向くと、小学生らしい女の子がオルゴールを開けていた。
「…トロイメライ?」 彼女が言い、
「シューマンだった?」 私が答えた。
メロディが終わる頃、電車が入って来た。こんでいたため近くに席をとることはできず、
「またね」と言って別れた。
彼女も「またね」と言った。
トロイメライは千八百三十七年頃、ドイツ人シューマンが二十七歳の頃に、愛らしい小品として作曲した曲の中の十三曲をまとめた『子どもの情景』の中の七番目にあたる曲で、トロイメライは、夢をみること、夢想、という意味だ。
千八百年代と言うと江戸時代中期、それから現代までそして未来にもきっと受け継げられるだろう名曲が電車に乗っている間中、心の中に流れていた。限りない未来のある私達の旅立ちにふさわしい曲だった。
社会人になって数年、高校時代の友人と久しぶりに会って食事をしている時、ふと、彼女の話題になった。
「ミッキーがすごくきれいになっていてビックリした」
友人が言った。
「前からかわいかったと思うよ。ミッキーっていう愛称が似合ってたもの」
私が言うと、
「前は髪に隠れてよく顔が見えなかった」
友人が答えた。
そうだった。恥ずかしがりやで丸顔を気にしていた彼女は伏し目がちな上、長い黒髪で両の頬を隠していた。卒業後の進路は友人も知らないようだったが、明るい表情から充実した人生を送っているのではないか、と言った。二十代の私達は悩みや苦しみはあってもいつかは乗り越えることができる充分な未来があると思っていた。
その日、初めて彼女のフルネームを知った。特徴的な姓だったので、確認するとやはり恩師の一人娘だった。
数日後、ふと思い立って、海辺に行った。高校時代、電車やバスを待つ間に一人で、あるいは居合わせた友人とおしゃべりしながらよく行った場所だった。たまたま同じように時間をつぶしている男子と二人で話していたら翌日、付き合っていると噂をたてられたり、友人同士のカップルに鉢合わせしてお互い慌てたりした。
いろんな友人知人とすれ違った。ミッキーともそんな出会い方をしたのだろう。
女子の少ない高校だったので、同学年の女子は顔見知りが多かったが、男子となるとまるっきりわからない。渋谷や新宿で
「高校で隣のクラスだったんだよ」
と見知らぬ男子に声をかけられたことが数回あるから、知らない所で見られていたこともあるだろうし、私も声はかけなかったけど思いがけない所でかつての同級生を見かけたことがあった。
よせては返す波を眺めていたら、あの潮の風のふくホームでの会話を思い出した。しばらく書くことから遠ざかっていた私は、少し余裕もできたことだし、もう一度童話作家をめざしてもようかな、と思った。書き始めると思った以上に書きたい気持ちがたまっていたらしく、いくらでも書けた。
しかし、本を出すなんてそんなに簡単にできるわけもなく、書きたいものがなくなるまでは書き続けよう、信じていればきっと夢は叶う、と自分を叱咤激励して書き続けていたら突然、児童書出版の幸運に恵まれた。舞い上がって新旧のたくさんの友達に送りつけたり、書店で見つけたよ、などとしばらく会っていない友人知人から知らせが入ったり、楽しい日々を送っていた。
女子高生が主人公のファンタジーで郷里をベースに描いていたので特に地元を離れた友人から、懐かしかった、帰りたくなった、などいうメールが入った。
「え、まさか…」 やり取りの中の一つのメールに私は愕然となった。
『…ミッキー、亡くなったって…』
病が見つかって、数か月のことだったそうだ。まだ三十代、その死からはすでに数年の月日がたっていた。
きっと、優しくて賢いお母さんになっているだろうと思っていたのに。あかぬけてきれいになったミッキーにまだ会っていないのに。
これからいくつもの山を越え谷を越え、笑って泣いて、楽しい事も苦しい事も経験して、シワのいっぱいよったおばあちゃんになって、私達、結構がんばってきたよね、良い事も悪い事もたくさんあったよね、と笑い合うはずだった。彼女のことをもっと知りたかったし、私のことも知ってほしかった。いくらでもそんなチャンスはあると思っていた。
私が口走った夢を彼女が覚えているとは思えないが、ひょっとしたら覚えているかもしれない、人づてに噂を聞いて、やったね、と思っているかもしれない、もしかすると出版社に勤めているかもしれない、彼女こそ童話作家になっているかもしれない、いつか会えるかもしれない、と心のどこかで夢みていた。
心の中にあの日聞いたトロイメライが繰り返し流れていた。
最後に会った時と同じ夏の終わりだった。ツクツクホーシがなき、赤とんぼがとびかい、うろこ雲が空をおおっていた。
二冊目の本の出版にたどりついたのは四年後、二千十年の秋だった。シューマンを特集した音楽番組をテレビで一つ二つ見てその年がシューマン生誕百年の年だと知った。その中でようやくかなった二冊目だった。一冊目と同様、高校生の女の子が主人公のファンタジーだ。
今が一番楽しい、明日はもっと楽しい日に違いない、と自分を言いくるめて毎日くらしているが、あの頃、こうだったら、ああだったら、と思うのはいつも高校時代だ。後悔しているわけではないが、知らないことが多い上、まわりの友人がみんな自分よりも素晴らしく思えた。劣等感にさいなまれ、いつも不安で、やりたいことよりできることを優先し、選択肢を自分でせばめていたように思う。だから、夢や不安を抱えた高校生に何か伝えるものがあるんじゃないかと言う思いが、女子高生が主人公の小説にこだわっているのかもしれない。
みんな同じなのだと。誰でも一つ二つの重荷を抱えながら、それでも一生懸命未来を見つめているのだと。
未来ははてしないのだと。
道はたくさんあるのだと。
一度や二度の失敗は必要なことなのだと。
あの頃に出会った友人知人、感じた事や見た風景が、ふっと脳裏によみがえる事がある。充実した高校時代をすごせたと思う。
シューマンは心を病み、四十六でなくなるまでにピアノ曲、劇音楽、合唱曲など多くの作品を残している。ショパン、ベートーベン、モーツァルト、ドビュッシー、バッハあたりは知っている曲もあったが、シューマンはトロイメライしか知らなかった。ほぼシューマンを網羅しているらしい安価なCDのボックスセットがあったので購入して聞いてみた。
すると、ノベレッテン、森の情景、クライスレリアーナなど気に入りの曲を見つけることができた。セットを買ってから数年たった。
いつもトロイメライを聞くとミッキーを思い出す。ミッキーはまだ二十代のまま。
だからよけいあの頃見ていた未来やこぼれおちた夢などを思い出して、まだまだやれるかもしれない、と力にしている。そして思い出の中のミッキーに、
「ありがとう、またね」と言う。
(参考文献)
シューマン 藤本一子 音楽之友社
シューマン 子どもの情景とアベッグ変奏曲 全音楽譜出版社