幼稚園から中三の十二月までピアノを習っていたのだが、けなされた記憶しかない。
練習してないんだから下手だし、ほめられるわけがない。
物作りが好きで、折り紙や、紙細工、木工細工をよくやっていた私にとって、同じ楽譜を弾くピアノが性に合わなかったのじゃないかと思う。
だらだら続けていたら、小五、六あたりでショパンワルツを弾けるようになり、テレビで中村紘子さんが弾く「子犬のワルツ」を聞いて、同じ楽譜でもこんなに違うんだ、と気付いてそのあたりからまじめに練習を続けた。
結構がんばった。
音楽の才能があれば、最初に「ド」と弾いた時点で、弾き方によって全く違うことがわかるのだろうし、ピアノを弾いているだけで幸せ、怒られても隠れてでもピアノを弾きたいって言うのが才能なのだと思う。
ものすごく地味だけど、私には何かを始めたらとにかく続けるという才能があると思っている。
ほめられた事なんてただの一度もなくて、けなされっぱなしで続けたもんね。
ほめて育てるって言うけど、ほめられなくたってやる奴はやるのだよ。ふん。
このブログを読んだ人には「続ける」という呪いをかけてやる。
今、始めた事、あるいは今続けていることを十年続けて、十年後、自分で自分を幸せにすることができるだろう。
練習してないんだから下手だし、ほめられるわけがない。
物作りが好きで、折り紙や、紙細工、木工細工をよくやっていた私にとって、同じ楽譜を弾くピアノが性に合わなかったのじゃないかと思う。
だらだら続けていたら、小五、六あたりでショパンワルツを弾けるようになり、テレビで中村紘子さんが弾く「子犬のワルツ」を聞いて、同じ楽譜でもこんなに違うんだ、と気付いてそのあたりからまじめに練習を続けた。
結構がんばった。
音楽の才能があれば、最初に「ド」と弾いた時点で、弾き方によって全く違うことがわかるのだろうし、ピアノを弾いているだけで幸せ、怒られても隠れてでもピアノを弾きたいって言うのが才能なのだと思う。
ものすごく地味だけど、私には何かを始めたらとにかく続けるという才能があると思っている。
ほめられた事なんてただの一度もなくて、けなされっぱなしで続けたもんね。
ほめて育てるって言うけど、ほめられなくたってやる奴はやるのだよ。ふん。
このブログを読んだ人には「続ける」という呪いをかけてやる。
今、始めた事、あるいは今続けていることを十年続けて、十年後、自分で自分を幸せにすることができるだろう。
私も先生が変わったら、叱られてばかりで
サボるようになりました(o^^o)
私も褒められないのとはちょっと違って、こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないけれど、褒められるのがンごく嫌いな子どもでした。
友達が「すげーよ!」と正直に感嘆して心の底から賞賛してくれるのはいいけれど、
「偉い偉い、すごいすごい」と大人に言われるのは苦手だったのです。
だから、「何かをやって」とお使いを頼まれると、「いいよ、でも褒めないでね」と・笑
小学生中学生になった途端大人だと錯覚する子供は嫌いだったけれど、自分が1番背伸びしていました^^;
そしてけなされても褒められてもむっ としながらひとりで黙々とひとつのことばかりやってきていました。
今考えてみると褒められたいことは褒めろ褒めろとうるさかったし、
かなり周りの人たちが優しくてけなされることなんて一度もなかったけど…(-_-;)
でも、自分で自分が大好きです。
あっ、「呪い」にかかってしまったのですね、きっと ♪
けなされていても、たまに本気で褒められるほうが、
その分すごくうれしくて、やる気になるのでは?
あ、私は同じことを続けるのは大の苦手です。
飽きっぽいです。自信があります。(笑)
でも、飽きっぽいのも才能と思っています。
すぐ飽きるので、何とかしてもっと簡単に出来ないかと考え、
その結果、アイディアが湧いてきます。。
わぁ~~、呪文にかかったら、どうしよう~!!
友達が本心から「すげえ」と言うのと大人が「すごいね」って言うのは違いますからね。ほめ言葉とおだて言葉ね。
素直に「ほめて」「ほめなくていいから」と言えるといいんですけどね。
自分が好きで自分を大切にできる人は、人様も大切にできると思います。では。
あなたは、続ける続ける…十年、続けるのです。
もしかすると二十年続けちゃうかもしれません。
いろんなことを次々に手掛けるのも才能だと思います。
三日坊主も芸のうちです。
やってみなけりゃ自分に合うかどうかわかりませんから。ではでは。