数年前のことだ。
通勤途中の薄暗いガレージに、しょぼくれた中型犬がいて、いつも所在無げに道行く人を眺めていた。
年季の入った犬小屋から考えて、年もいっていたのだろうが毛並みが悪く、あまりかわいがられていないように思えた。
一人暮らしだった私は、朝な夕なに声をかけ、互いの孤独を埋めあっているつもりだったのだが、ある日、
『タロウは今年二十一になりました。病気のように見えますがいたって元気です』
という貼り紙に、子供達に誕生日を祝ってもらっている写真が添えられていた。
頭には三角帽子、目の前には手製らしいケーキが飾ってあった。
都会に日当たりの良い庭があるわけはなく、ガレージとはいえ、結構広い場所を与えられているタロウは幸せ者なのだった。
また、病気を心配して家人にお節介を焼いた他人がいたらしいことに、笑みがこぼれた。
それでも、時折ポケットにビーフジャーキーなどを忍ばせて、友好を深めていたのだが、桜が終わり、しのぎやすい季節がやってくる頃、再び貼り紙があった。
『タロウは○月×日、二十一年十ヶ月の天寿を全うしました。かわいがってくれてありがとうございました』
それまでも、姿が見えないことはあったが、いないのと亡くなったのでは趣きが違い、寒々しい空気が漂っているのを感じた。
帰りに小さな花束を手に立ち寄ると、タロウは私以外にも家人の知らない友達をたくさん持っていたらしく、古ぼけた犬小屋のまわりには、チューリップにフリージア、かすみ草にカラー、ゆりにたんぽぽ、シロツメクサで作った花輪、さらには犬用のおもちゃや骨などがところせましと飾ってあり、まるで花園のようだった。
私も手にしていた花束を供えて、タロウにありがとうを言った。
通勤途中の薄暗いガレージに、しょぼくれた中型犬がいて、いつも所在無げに道行く人を眺めていた。
年季の入った犬小屋から考えて、年もいっていたのだろうが毛並みが悪く、あまりかわいがられていないように思えた。
一人暮らしだった私は、朝な夕なに声をかけ、互いの孤独を埋めあっているつもりだったのだが、ある日、
『タロウは今年二十一になりました。病気のように見えますがいたって元気です』
という貼り紙に、子供達に誕生日を祝ってもらっている写真が添えられていた。
頭には三角帽子、目の前には手製らしいケーキが飾ってあった。
都会に日当たりの良い庭があるわけはなく、ガレージとはいえ、結構広い場所を与えられているタロウは幸せ者なのだった。
また、病気を心配して家人にお節介を焼いた他人がいたらしいことに、笑みがこぼれた。
それでも、時折ポケットにビーフジャーキーなどを忍ばせて、友好を深めていたのだが、桜が終わり、しのぎやすい季節がやってくる頃、再び貼り紙があった。
『タロウは○月×日、二十一年十ヶ月の天寿を全うしました。かわいがってくれてありがとうございました』
それまでも、姿が見えないことはあったが、いないのと亡くなったのでは趣きが違い、寒々しい空気が漂っているのを感じた。
帰りに小さな花束を手に立ち寄ると、タロウは私以外にも家人の知らない友達をたくさん持っていたらしく、古ぼけた犬小屋のまわりには、チューリップにフリージア、かすみ草にカラー、ゆりにたんぽぽ、シロツメクサで作った花輪、さらには犬用のおもちゃや骨などがところせましと飾ってあり、まるで花園のようだった。
私も手にしていた花束を供えて、タロウにありがとうを言った。
随分前に、マ・シエリミニエッセイ賞を受賞した作品です。
読みたいと言って下さった方がいらしたので掲載しました。
ちなみにビーフジャーキーは家の方の許しを得ています。
その犬に、多くの方が
心を配っていたのですね。
花園、想像して涙じわーでした。
素敵な話を、有難うございました(*´꒳`*)
長年の友達がたくさんいたようです。
おとなしくて優しい性格の犬さんでした。
TVでオンエアしている下手なドラマより、
虹のじゅもんさんのお上手な表現で、
素晴らしいオチのあるストーリーを強く感じました。
この映像が浮かんできました。
来年は確か戌年でしたね!
タイムリーな記事に感動ものでした。
エッセイは実話ですから。
みんなでかわいがっていたわんこだったんだなあと思います。
そう、来年は戌年なんですね。
年賀状にスヌーピー切手があってびっくりしました。
大勢の人に愛されてタロウは幸せでしたね。
まるでタロウが花束に代わったような光景、胸が熱くなりました。
犬と人との心の交流、素敵ですね
しゃちくんさんにも素敵なできごとがありますように。
今でもあの光景を思い出すと、うるっとします。
越後美人さんにも、すきてなことがありますように。
悲しみとともに
「ありがとう」
この気持ちが大切ですね。
あの犬さんにはとても助けられたんです。
かわいい犬さんでした。
夕螺にとって楽しい年の瀬、そして明るい来年でありますように。