入院した部屋は、手術が近い患者や手術が終わってすぐの患者、重症患者が入る部屋でした。
入院してから手術するまで検査もたくさん受けました。
それから手術の説明がありました。妻と一緒に聞きましたが、神経を圧迫している脊椎の骨を後側から削って開いて、脊椎7本をプレートとボルトで固定すると言われました。背中が曲がると骨化した靭帯が神経を圧迫するから曲がらないように固定すると言われましたが、そんなことをして日常生活ができるのか、支障が無いのか、他に方法がないのか先生に尋ねました。手術後半年ほどコルセットを着けなければならない、コルセットが取れても背中を固定するのである程は支障が出るが生活するのには問題無い、手術方法は教授とのカンファレンスでもこの方法が一番適切とのことだったと言われました。妻は先生の言うことが一番と納得していましたが、私は背中を曲がらないように固定すると聞いて、もっと身体に優しい方法がないのか不安でたまりませんでした。
12月15日、手術の当日が来て覚悟を決めました。
朝9時、ストレッチャーで手術室に入って行きましたが、途中に幾つもの手術室がありその先にもまた幾つもの手術室が見えました。手術室に入って点滴を始めてから意識がなくなりました。
手術が終わり目が覚めたのは、18時過ぎに病室の中でした。妻の心配する声が聞こえましたが、身体が重く怠く、背中の中から湧き出る痛みで頭も麻痺していました。先生が来て手術は無事に上手く終わったと言っていたと思います。翌日も一日中、ただ天井をながめながら痛みに耐えて誕生日を迎えました。
手術して4日目にベッドで起き上がれ、5日目に歩行訓練が始まり、7日目にトイレでウンコが出せました。妻は、認知症の母親と義母の二人の面倒を見ながらも週に一度の割合で来てくれました。クリスマスもお正月も家族と離れ病室で過ごしました。毎日、リハビリを懸命にやりましたが、なかなか上手く歩けず、夜になると背中が疼くように痛くなって手足も痺れ眠れませんでした。
手術してひと月経って、そろそろベッドを開けて欲しいと言われましたが、背中の痛みと手足の痺れは相変わらずで病院内の歩行がやっとの状態であり、なんとか10日ほど退院を延ばしてもらいました。この後、地元の病院に通院してリハビリすることになりました。
同室の人で肉芽腫の病気の人は、眼の手術をして足の手術をしてまだ車椅子に乗っていました。自分より重い病気で苦しんでいる人、もっともっと頑張っている人はたくさんいるとは思っても、自分の辛さしか考えられません。ついつい、痛い、苦しい、辛いと言ってしまいます。
退院するときは、先に自分で退院手続きを済ませ、妻が迎えに来るのを待って、タクシーで駅まで行き電車に揺られて、すごく辛い思いをして帰りました。
その日は、家に帰れて嬉しい半面、背中の湧き上がるような痛みと、手足の疼くような痺れのため眠れませんでした。
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