1月14日、今日で5連休終了。
8日に、元フジテレビプロデューサー横澤彪さんが亡くなりました。
「お笑いの仕掛け人」に涙のお別れ 横澤さん通夜に芸人ら1000人
80年代初頭、平日のお昼に「笑ってる場合ですよ」から始まり、「オレたちひょうきん族」
「笑っていいとも」をリアルタイムで見ていた1人として、自分の感想を述べたいと思います。
80年代のお笑いについて、一言で感想を述べると。
後世語り継がれる「漫才コンビ」「コミックグループ」などは現れなかったとの思いがあります。もちろん、ブームの渦中においては「B&B」「のりお よしお」「ツービート」「ザ ぼんち」「紳助・竜助」など非常に人気があったし、よく見ていました。あと、鶴太郎、山田邦子、ヒップアップですね。
バブルがはじけ、現在も活躍している人は僅かです。
フジテレビの組織人としての横澤彪さんは、番組の視聴率アップに貢献したわけで、非常に有能で称賛されてしかるべき人と考えます。私が中学生、高校生の頃は民放といえばTBSだったけどこの頃からフジテレビの時代になりましたね。
ただ、芸人の切り売り、消耗品的な扱いなど視聴率のためには正しい手法でしょうが、どうも好感は持てません。
この芸人の消耗品的な扱い等について、景山民夫は自著の「極楽TV」の中でこのように横澤さんを観察しています。長くなりますが、以下に引用します。
引用ここから
ヨイショも多分に含めて言うのだが、横澤サンがいなかったら、今の日本のテレビはずいぶんつまらないものになっていたと思う。とにかく、笑いに熱心なのだ。その熱心さは時折、僕に怖さを感じさせる程だ。あれだけ温厚で人当りの良い人なのに、怖さを感じてしまうのだから相当なものだ。 例えば、僕が「笑っていいとも」に出してもらった時、出番が終わってスタッフ控室みたいな所でディレクターや「いただきます」のスタッフ達と、続きのオンエアを見ていた時のことだ。コーナーは「なるほだ・ダ・ニッポン」になっている。横澤さんがポツリと言う。
「つまんないね。こいつらつまんないよ。あんなことやってちゃ駄目ですよ」
確かに画面に登場している外人達が、タモリと全く歯車が噛み合わないのだ。勝手に喋り続ける奴。わけの分からない自己主張をする奴。つまらないウケを狙う奴。
そして、僕は横澤サンがつぶやいた瞬間に「あ、もうこいつら二度と出番は無いな」と直感する。対談の中で横澤サンが言っているように、彼は現場はディレクターにまかせて口出しをしない。その代わり、切る時は実に見事に切る。自分の中の尺度がハッキリしているから、剣の達人が据え物斬りをやってみせるように、凄い切れ味で一瞬に斬る。見事ではあるが、怖いとも思う。自分が切られる瞬間を考えてしまうからだ。切られないためには全力で立ち向かうしかない。
「ひょうきん族」の台本の、出演者の名前を書いたページは、実は相撲の番付みたいな役割を果たしている。人気の高いタレントの名が前の方のページに載る。キャリアに関係なく、人気が下がると後ろのページにされてしまう。関係者以外にこれを知る人は少ないが、タレントは毎週こわごわとページを開くのではないだろうか。こういうことをやってのける横澤さんは怖い。そして、だから今一番テレビに必要な人なのだ。
引用ここまで
注:傍線はnfy
まあ、社会に出れば以上のことはどこにでもあることだとは思う。
ただ、組織の発展は人の育成如何が問題だと思うけど、漫才という芸事の発展のために人の育成では、横澤さんがどれだけ寄与したのかは正直わかりません。
ただ、私はこの漫才ブームというと2006年に死んだ松本竜助が頭をよぎります。
以下ウィキペディアに掲載された一文をそのまま掲載します。
案内所で勤務中に脳内出血(脳幹出血)で倒れ、同年4月1日死去。49歳没。最後の言葉は倒れる前に従業員に言った「頭が痛い」であった。3日後の4月3日、大阪市北区長柄西の大阪北玉泉院で行われた葬儀・告別式には、かつて所属していた吉本興業の関係者や所属芸人、ファンなど約500人が弔問に訪れた。なお、元相方の島田紳助は参列していない。
この頃の松本竜助は、もう漫才の世界からは離れています。案内所とは風俗案内所のことです。
漫才ブームに明と暗があるとすれば、この松本竜助の死とは、暗にあたり、明は功なり遂げた横澤彪さんになるのかなと思いました。
また、何故島田紳助がこの時葬儀に参列していないのかは分かりません。
以下は推測です。島田紳助といえば、自身の番組を何本も持つ超売れっ子ですが、その番組内で彼の売れない若手芸人との接し方をみると、かつての漫才ブームの頃の彼の態度とは
180°違うのかなと、思いました。なんというか、1人では生きていけない芸人に一生懸命光をあてているように感じました。
これが、竜助の死に対する紳助の答え、ひいては横澤彪さんを頂点とするあのころの
漫才ブームへの対処なのかなと思いました。
さて、最後に「オレたちひょうきん族」の名物「ひょうきんプロレス」の動画を見て終わりにしたいと思います。
出演は、タイガージェットおしん:松本竜助 フルハム・三浦:景山民夫
プロデューサーの横澤さん含め、みんな死んじゃいましたね。
補足をすると
景山民夫は、放送作家にして直木賞作家。コメディアンではありません。(笑)
リングネーム フルハム・三浦とは、当時のロス疑惑のパロディー。
景山は、どうかすると当時三浦和義氏に顔がそっくりだった。
HWAひょうきんプロレス#1
8日に、元フジテレビプロデューサー横澤彪さんが亡くなりました。
「お笑いの仕掛け人」に涙のお別れ 横澤さん通夜に芸人ら1000人
80年代初頭、平日のお昼に「笑ってる場合ですよ」から始まり、「オレたちひょうきん族」
「笑っていいとも」をリアルタイムで見ていた1人として、自分の感想を述べたいと思います。
80年代のお笑いについて、一言で感想を述べると。
後世語り継がれる「漫才コンビ」「コミックグループ」などは現れなかったとの思いがあります。もちろん、ブームの渦中においては「B&B」「のりお よしお」「ツービート」「ザ ぼんち」「紳助・竜助」など非常に人気があったし、よく見ていました。あと、鶴太郎、山田邦子、ヒップアップですね。
バブルがはじけ、現在も活躍している人は僅かです。
フジテレビの組織人としての横澤彪さんは、番組の視聴率アップに貢献したわけで、非常に有能で称賛されてしかるべき人と考えます。私が中学生、高校生の頃は民放といえばTBSだったけどこの頃からフジテレビの時代になりましたね。
ただ、芸人の切り売り、消耗品的な扱いなど視聴率のためには正しい手法でしょうが、どうも好感は持てません。
この芸人の消耗品的な扱い等について、景山民夫は自著の「極楽TV」の中でこのように横澤さんを観察しています。長くなりますが、以下に引用します。
引用ここから
ヨイショも多分に含めて言うのだが、横澤サンがいなかったら、今の日本のテレビはずいぶんつまらないものになっていたと思う。とにかく、笑いに熱心なのだ。その熱心さは時折、僕に怖さを感じさせる程だ。あれだけ温厚で人当りの良い人なのに、怖さを感じてしまうのだから相当なものだ。 例えば、僕が「笑っていいとも」に出してもらった時、出番が終わってスタッフ控室みたいな所でディレクターや「いただきます」のスタッフ達と、続きのオンエアを見ていた時のことだ。コーナーは「なるほだ・ダ・ニッポン」になっている。横澤さんがポツリと言う。
「つまんないね。こいつらつまんないよ。あんなことやってちゃ駄目ですよ」
確かに画面に登場している外人達が、タモリと全く歯車が噛み合わないのだ。勝手に喋り続ける奴。わけの分からない自己主張をする奴。つまらないウケを狙う奴。
そして、僕は横澤サンがつぶやいた瞬間に「あ、もうこいつら二度と出番は無いな」と直感する。対談の中で横澤サンが言っているように、彼は現場はディレクターにまかせて口出しをしない。その代わり、切る時は実に見事に切る。自分の中の尺度がハッキリしているから、剣の達人が据え物斬りをやってみせるように、凄い切れ味で一瞬に斬る。見事ではあるが、怖いとも思う。自分が切られる瞬間を考えてしまうからだ。切られないためには全力で立ち向かうしかない。
「ひょうきん族」の台本の、出演者の名前を書いたページは、実は相撲の番付みたいな役割を果たしている。人気の高いタレントの名が前の方のページに載る。キャリアに関係なく、人気が下がると後ろのページにされてしまう。関係者以外にこれを知る人は少ないが、タレントは毎週こわごわとページを開くのではないだろうか。こういうことをやってのける横澤さんは怖い。そして、だから今一番テレビに必要な人なのだ。
引用ここまで
注:傍線はnfy
まあ、社会に出れば以上のことはどこにでもあることだとは思う。
ただ、組織の発展は人の育成如何が問題だと思うけど、漫才という芸事の発展のために人の育成では、横澤さんがどれだけ寄与したのかは正直わかりません。
ただ、私はこの漫才ブームというと2006年に死んだ松本竜助が頭をよぎります。
以下ウィキペディアに掲載された一文をそのまま掲載します。
案内所で勤務中に脳内出血(脳幹出血)で倒れ、同年4月1日死去。49歳没。最後の言葉は倒れる前に従業員に言った「頭が痛い」であった。3日後の4月3日、大阪市北区長柄西の大阪北玉泉院で行われた葬儀・告別式には、かつて所属していた吉本興業の関係者や所属芸人、ファンなど約500人が弔問に訪れた。なお、元相方の島田紳助は参列していない。
この頃の松本竜助は、もう漫才の世界からは離れています。案内所とは風俗案内所のことです。
漫才ブームに明と暗があるとすれば、この松本竜助の死とは、暗にあたり、明は功なり遂げた横澤彪さんになるのかなと思いました。
また、何故島田紳助がこの時葬儀に参列していないのかは分かりません。
以下は推測です。島田紳助といえば、自身の番組を何本も持つ超売れっ子ですが、その番組内で彼の売れない若手芸人との接し方をみると、かつての漫才ブームの頃の彼の態度とは
180°違うのかなと、思いました。なんというか、1人では生きていけない芸人に一生懸命光をあてているように感じました。
これが、竜助の死に対する紳助の答え、ひいては横澤彪さんを頂点とするあのころの
漫才ブームへの対処なのかなと思いました。
さて、最後に「オレたちひょうきん族」の名物「ひょうきんプロレス」の動画を見て終わりにしたいと思います。
出演は、タイガージェットおしん:松本竜助 フルハム・三浦:景山民夫
プロデューサーの横澤さん含め、みんな死んじゃいましたね。
補足をすると
景山民夫は、放送作家にして直木賞作家。コメディアンではありません。(笑)
リングネーム フルハム・三浦とは、当時のロス疑惑のパロディー。
景山は、どうかすると当時三浦和義氏に顔がそっくりだった。
HWAひょうきんプロレス#1