10月24日、午後から高田公園内にある「上越市立歴史博物館」に行ってきました!
この建物は、今までの上越市立総合博物館を改築し、新たに今年平成30年7月にオープンしました。ホームページを見ると、特色として「越後の都」をテーマに、
①安土桃山時代以降の地域の歴史を解説する常設展示展を整備し、春日山城・福島城・高田城の三城の変遷やその時代背景、そしてその後の地域の発展のようすを学ぶことができる。
②1階カフェ「御母屋(おもや)」やミュージアムショップも新装し高田公園(高田城址)の散策の際に休憩所としても利用できる。
③展望デッキがあって、三重櫓や妙高山、米山などが一望できる。・・などなど
まあ、同じくこの夏にオープンした水族館「うみがたり」に出かけるのがトレンドなんだろうけど・・(笑)水族館はいずれ!
そして、現在開催中の企画展が
でした!・・自分は、歴史(日本史)は好きだけど、近世の戦国時代や江戸時代の出来事・人物にはあまり興味・知識もなく、実際は新しくできた建物に興味があり来てみました(上杉謙信候、直江兼続さん、ごめんなさい)
ただ学生時代に司馬遼太郎の「峠」は読んだことがあり、主人公河合継之助が率いる長岡藩が薩長の新政府と戦ったのに対して、我が高田藩は逆の動きをしたわけで・・多少は興味がありました!
幕末の高田藩の動きを一言で言い表せば「哀訴諫諍」(あいそかんそう)というのが、この企画展を見ての感想です。
哀訴諫諍とは、討幕を企てる薩長と朝廷に対しては、徳川家の存続を訴え、一方の徳川慶喜など幕府に対しては戦争をやめ和平を訴えるといった中立国のような立場だったみたいですね。経済的にも、軍事的にも、そして政治のリーダーシップがとれる英明な藩主とその家老たちがいたか?と思うと、僕はこの激動の幕末に高田藩が下した結論は正しかったと思います!・・ただし、このような高田藩でも、江戸藩邸詰めの武士の中には上野彰義隊と一緒に寛永寺で抗戦をするもの、会津で官軍と戦う者など・・藩論が完全にまとまっていたわけども無いようですね。
①の安土桃山時代以降の地域の歴史を解説する常設展示展については、
この越後高田そして直江津は、国府の所在地だったわけで・・春日山城、福島城いづれもお家騒動が原因で、当時の立派な城郭及び城下町が跡形もなく壊され、形跡を留めていないというのは残念ですね。もし、これらが現代に至るも残っていたら、僕は観光産業に寄与できたろうなと思います。また、城下町は独特の文化も形成されますしね。
ついでに言うと、明治以後の高田展は、中江用水を始めとした農耕地の整備、比較的早く立ち上がった電力業。直江津及び今の牧区での石油の採掘。それに伴う信越線の開業・・そしてインフラが整い、高田に陸軍第13師団の誘致成功となり、人口増による商業の発展という流れがあったことが、分かりました!今だと、師団の誘致成功といってもピンとこないかもしれないけれど・・現代の大企業の工場誘致に成功した感じににているかもしれません。
②については、企画展を見て、1階のカフェでコーヒーでも飲もうと思ったら、午後4時でお店は閉店でした(笑)
③については、以下展望デッキの眺めです
まあ、それほどいい眺めではありません(笑)
1階の様子です。床には上越市の航空写真が貼られています。
公園内は、早くも雪囲いが始まっていました!
紅葉はまだですね!