私は最初 なんのことか 意味が判らず くだんのご婦人に少しだけお話聞くことができた。その方の近くに 慰霊碑があることも聞き出し 訪ねてみた
以下 私なりの感想を織り交ぜ 我が街の小さな歴史探訪である。
見出しの写真は この場所には直接関連はないが 宮崎 都井の岬馬を
イメージとして 添えてみた。
だいたい目ぼしをつけて場所探すも 見つからない 散歩途中の人に聞いて
やっと 探し出すことできた。
そこは 人知れず ひっそりと 小さな小川のほとりに 立派な石碑が忽然と
建立されていたのである。
まず この’望郷’と刻んだ 大きな石碑が目に飛び込んでくる。
以下 鎮魂碑に刻まれた 文言を借用しながら、静かに歴史に触れてみたい。
先の満州事変から太平洋戦争に至る、約15年間に全国から約100万頭にも及ぶ
農耕馬が徴用され 極寒の満州 シベリヤ また 灼熱の南方戦線へと各戦地に
送りこまれ この馬たちは再び故国の土を踏む事なかったのである。
戦後戦地の兵士たちは続々と引き揚げ帰国事業も進んだが、人馬一体となって
酷使され続けた馬たちは だだの一頭も返されず 生きた馬は現地人に引き取られ
一片の骨さえ 帰らなかったのでした。
もの言わずして、人馬一体となって戦った戦地の馬達 最後は見捨てられ、故国の土さえも踏まれず 思えば余りにも哀れすぎないか。
泥だらけの人馬一体の行軍を考える時 帰国を果たした もと従軍兵隊の篤志家が
私財を投じてここに もの言わぬ 徴用馬の霊を慰めたのである。
立派な鎮魂の碑
ここには 建立者の馬に対する感謝と想い 建立のいきさつなどなど 累々と記され 読む人に 感動をもたらしてくれる。
まさに冒頭で触れたが 終戦の日にちなんで 改めて 戦争が残した罪深さ、戦争と言う人間の愚かさ 馬たちが 今まさに問いかけているのではないだろうか。
徴用馬の大半の 積み出し港はこの 北九州の門司港だったとされる。
今は大正ロマンのレトロ事業と観光施設が続々再開発が進み、観光客が絶えないここも過っての歓声の引き揚げ港であったと同時に 馬たちの帰らぬ悲しい 旅立ちの港でもあったのである。
この 史実を私も始めて存在を知る事ができたが、私を始め、この慰霊碑を知る人
少ないだろう、戦後62年戦争を知らない新しい世代が大半を占め 戦争を風化させてはいけない。行政もタッチしていない ちいさな小さな慰霊碑が問い掛けている
意義は決して小さくない。競馬で狂乱乱舞して札束飛び交う平和な日本の今、
観光地で無邪気に遊んでいる 馬を思い出すたびに 今一度歴史を学ぶ大切さを
考えさせられた、
この慰霊碑は小さな小川の傍にあった、馬達が 水を直ぐ飲めるようにとの
建立者の優しい想いからだろうか。なにか こころ打たれるようでした。
高さ数メートルはあろうか もの言わぬ 馬達の叫びを 伝えるかのような
大きな 石碑であった。
以下 私なりの感想を織り交ぜ 我が街の小さな歴史探訪である。
見出しの写真は この場所には直接関連はないが 宮崎 都井の岬馬を
イメージとして 添えてみた。
だいたい目ぼしをつけて場所探すも 見つからない 散歩途中の人に聞いて
やっと 探し出すことできた。
そこは 人知れず ひっそりと 小さな小川のほとりに 立派な石碑が忽然と
建立されていたのである。
まず この’望郷’と刻んだ 大きな石碑が目に飛び込んでくる。
以下 鎮魂碑に刻まれた 文言を借用しながら、静かに歴史に触れてみたい。
先の満州事変から太平洋戦争に至る、約15年間に全国から約100万頭にも及ぶ
農耕馬が徴用され 極寒の満州 シベリヤ また 灼熱の南方戦線へと各戦地に
送りこまれ この馬たちは再び故国の土を踏む事なかったのである。
戦後戦地の兵士たちは続々と引き揚げ帰国事業も進んだが、人馬一体となって
酷使され続けた馬たちは だだの一頭も返されず 生きた馬は現地人に引き取られ
一片の骨さえ 帰らなかったのでした。
もの言わずして、人馬一体となって戦った戦地の馬達 最後は見捨てられ、故国の土さえも踏まれず 思えば余りにも哀れすぎないか。
泥だらけの人馬一体の行軍を考える時 帰国を果たした もと従軍兵隊の篤志家が
私財を投じてここに もの言わぬ 徴用馬の霊を慰めたのである。
立派な鎮魂の碑
ここには 建立者の馬に対する感謝と想い 建立のいきさつなどなど 累々と記され 読む人に 感動をもたらしてくれる。
まさに冒頭で触れたが 終戦の日にちなんで 改めて 戦争が残した罪深さ、戦争と言う人間の愚かさ 馬たちが 今まさに問いかけているのではないだろうか。
徴用馬の大半の 積み出し港はこの 北九州の門司港だったとされる。
今は大正ロマンのレトロ事業と観光施設が続々再開発が進み、観光客が絶えないここも過っての歓声の引き揚げ港であったと同時に 馬たちの帰らぬ悲しい 旅立ちの港でもあったのである。
この 史実を私も始めて存在を知る事ができたが、私を始め、この慰霊碑を知る人
少ないだろう、戦後62年戦争を知らない新しい世代が大半を占め 戦争を風化させてはいけない。行政もタッチしていない ちいさな小さな慰霊碑が問い掛けている
意義は決して小さくない。競馬で狂乱乱舞して札束飛び交う平和な日本の今、
観光地で無邪気に遊んでいる 馬を思い出すたびに 今一度歴史を学ぶ大切さを
考えさせられた、
この慰霊碑は小さな小川の傍にあった、馬達が 水を直ぐ飲めるようにとの
建立者の優しい想いからだろうか。なにか こころ打たれるようでした。
高さ数メートルはあろうか もの言わぬ 馬達の叫びを 伝えるかのような
大きな 石碑であった。
馬の慰霊碑門司にありましたか?競馬場には馬頭観音の碑があります。これは競馬場関係馬匹の安全成育と亡くなった馬の供養の為だそうですが、人間はずるいし怖いですね優しい人間でありたいです
次回登山暑そうですが、参加するつもりですよろしくお願いします
正直 いまか、いまかと待っていました。
今日は 初盆参り、お墓参りなど 暑い中 バタバタ駆けづっていました。
この 慰霊碑は熊谷町の小熊野川沿いにあります。
関係者も老いてきたのでしょうか、管理も行き届いているように見えませんが、
只、歴史的出来事だけで済ませておくには余りにも
悲しいのではと思いますね。
例会には今のところ 参加予定です、その節は宜しくお願いします。
人間ばかりではない、動物たちも犠牲になったのですものね。
今なお止むことの無い争いに罪も無い人や生き物が犠牲になっていることに心痛む毎日です。
関東方面も暑いようですね。
こちらにも遊び来て頂いて有り難う。
この小さな、慰霊碑訪ねてみて、改めて、人間の身勝手さ、戦争と言う名の愚かさ、そして 言葉は悪いですが’平和ボケ’の今の日本 逆に<平和ボケ>を
許される 幸せな日本
などなど 相反する言葉ですが この小さな慰霊碑から 沢山のこと学んだような気がします。
従軍兵隊の篤志家の方は心ある人ですね。
その人の御蔭様で戦争の隠れた悲劇を知ることが出来たのですから。
そんな陰の犠牲になった牛馬も篤志家の方の御蔭様で成仏されたことでしょうね。
慰霊碑の御蔭様で深い牛馬の傷跡と戦争の愚かさを思い知ることができることで牛馬の悲しみが少しは癒されるのではないでしょうか。
多くの人に知っていただきたい話題ですね。
素晴らしい話題を知ることが出来ました。
牛馬達に御霊安かれと祈ります。
合掌
ただ 先の大戦では軍馬が 軍と一体となり 兵士達は元より 軍馬も充分な補給も受けられず 泥水をすすり 進軍 行軍 と囃し立てられ その後は 捨てられたこと、物言わぬ 牛馬たちの 叫びが聞こえてくるようで 悲しいですよね。
もう少し 世に広く知ってもらいたい思いです。