つれづれなるままに落書き

オタクの毎日は実に刺激的で彩りゆたかなのであります。せっかくなので、おもしろかったこととか記録しとこうかな…とか。

「裂かれたパンの話」・・・・2013・6・2 神父サマのおはなし

2013-06-03 14:50:03 | 教会
先週、自分の入ってるオケの本番があったので、教会さぼってしまいました。
なんかひさしぶりの神父サマの話です。
(ちなみに先週の話はすっっっごいおもしろかったと息子が得意げに言ってます。むかつく。)

ルカによる福音書9章の、5000人にパンと魚を配布するところです。

このお話は四つの福音書すべてに書かれており、おおまかなスジは同じなのですが、
やはりここでも、それぞれの福音書の書かれた時代背景や、その教会のおかれた立場から読み解かなければならないそうです。
(ややこしいなぁーもう。)
ルカによる「5つのパンと2匹の魚」のテーマは、「神の国」なんだそうです。

あああ………ワタシのわからないリスト上位に入るテーマです(笑)
(ちなみに最上位は三位一体(^^;))

イエスさまは「神の国」について語り、「神の国」を証するために人々を癒したりしておられた。
そこに「神の国」を建設しちゃおうと。
しかし弟子たちは、「神の国」をいったんお開きにして、みなさんを「自分の国」(俗世)に返そうとする。
弟子たち、実に普通ですね(笑)
「続きは明日でいいじゃないですかぁ……(腹へったしィ。)」的な。
さぞがっかりしたであろうイエスさま、しかし「神の国」活動の継続を命じます。
しかも「あなたがたが食べ物を与えなさい」って!!

ほかの福音書でも、ちょっと弟子をためすようなこと言ってますよね。
これ、どういう意味があるんでしょうね????
今週のお説教ではそこには触れられませんでした。今度つっこんでみます。

で、ルカはこの奇跡を、「神の国」を実現するための活動とむすびつけて描いています。
弟子たち含む我々人類が「神の国」を伝えようとしたとき、
自分の非力さ、「5つのパンと2匹の魚」しか持たない自分を思い知るでしょう。
実際わたしたちは、自分の家族にすら福音をじょうずに伝えられずにいますよね。
人はともすると自分だけの力でなんとかしてみせよう、いや何とかできるはず!とおごり高ぶるけれど、
人間が一人でできることなんてたかがしれている。
そんなとき、神様がなんとかしてくださることを思い出しなさい。
神様の力がなければどうにもならないことがこの世にはたくさんあることを思い出しなさい。

いったん「無理~!!」と応えた弟たちは、しかしながら、素直にイエスさまの指示に従って民衆を整理します。
イエスさまは5つのパンを裂いて賛美の祈りをとなえ、弟子たちに与えて、人々に配布させます。
「裂いて弟子たちに与えては群衆に配らせていた」の「与えては」っていう表現は、
「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」的なかんじで、いかにも次々に増やしていった感がありますよね。
ほんとにパンが増えたのか?とか、実際は福音を聞いたことで心がみたされたことの比喩なのではないの?とか、まあいろいろありますが、
とにかく弟子たちはイエスを信じてすがった。するとよい方向にことがすすんだ。
賛美してパンを裂くのは、まさにミサのご聖体拝領。
われわれもおミサのたびに神様の「愛」のかたまり、イエスさまの体をいただく。
神様の愛とパワーをいただいて、今週も元気に(?)宣教に出ていく。
世の中の人を愛したり許したり、福音をそれとなく伝えてみたり、
でも拒否されたり(笑)やっぱり許せなかったり(笑)(笑)いろいろ傷ついて疲れ果てて、また教会に帰ってくる。
で、またご聖体をいただいて元気をもらう。
その繰り返し!!!

タイセツなことは、「ワタシたちが頑張るから神様の愛をいただける」のではなく、
「まず神様から愛される。その愛にこたえてがんばる」ことなんだそうですが。

あんまり毎週「福音宣教に出て行け!!」的なメッセージが強いと……ちょっと引くかも……(^^;)

や、がんばるけどね……

でも、いい話でしょう?(笑)