つれづれなるままに落書き

オタクの毎日は実に刺激的で彩りゆたかなのであります。せっかくなので、おもしろかったこととか記録しとこうかな…とか。

使徒たちの証し~道の会・定例勉強会 3月

2014-03-02 18:48:37 | 教会

四ツ谷です!

なんかこないだ行ったばっかりなきがするけど!

神父さまのご都合だから仕方ない!

 

もう3回目なのに、今日は電車乗る方向まちがえたり(中央線ややこしいよ!)道1本まちがえたりとかいろいろしでかして、10分遅刻してしまいました。

話に乗り遅れた感がしばらくまとわりついて、最初なかなかスジがつかめなかった…とほほ…

そう、話がどこからスタートしたのかわからないと、今日のテーマのどこに重きを置いているのかわかんないんですよね。

だからなんとなく最後まで疑問がつきまとうかんじでした。

ざんねんだった……

次回からは電車間違うことも想定して余裕持って行動しよう(笑)

 

さて。今日のタイトル「使徒たちの証し」、ようするに使徒言行録の中で使徒たちがおこなう「説教」とかそういうものについてです。(たぶん。最初いなかったから確信はもてない(笑))

新約聖書を編纂した当時、教会の中で朗読されていたものには、わたしたちのなじみの福音書やパウロの手紙などのほかにも、もっといろいろな文書がありました。「バルナバの手紙」とか。

それらの中からどれを新約聖書に入れるか?!を決定した重要なポイントは、ズバリ「使徒たちの証しまでさかのぼれるかどうか」。

使徒たちが残したものであるということが重要だったそうです。

当時、使徒の定義は「イエスさまから直接教えをうけたもの」だったと、先月の話しではそういうことだったので、そうするとパウロははずれるかんじなんだけれど、そのへんどう折り合いをつけているのかききそびれました。ざんねん。

こんどうちの神父にきいてみよう。(「ワタシの専門は聖書学じゃなーい!!」とか言われるたぶん(笑))

で、使徒言行録の中には、ペトロやパウロやステファノや…たくさんの「説教シーン」が出てくるのだけれど、これらに共通のパターンがありまして……

ということは、登場人物本人たちのそれぞれの主張というより使徒言行録の作者の主張がおおいに反映されてる説教だっていうことなわけなんですよ。

(実際、使徒言行録のなかのパウロの説教と、手紙でパウロが主張してることが、ちょっとズレてたりもするらしい…さあ、確認してみよう!!(^o^))

おおまかな流れとしましては、

1・まず、場面設定となる出来事がおきる。

2.その場面での主人公(ペトロとかパウロとか)がイエスさまの生涯、そのすばらしき所業の数々を語る。

    使徒言行録では、これらのすばらしき技の数々はイエスさまの裏で『神が』働いているということになってます。

    奇跡の数々も、すべて神のなせるワザってわけですね。

3.そして、そのイエスさまを、なんと『あなた方が!!!十字架につけて殺したのです!!!』と厳しく宣言。

4・人々は激しく動揺、「わたしたちはどうしたらいいのですかッ?!」

5.心配することはありません。と、イエスさまを『神が!!』復活させてくださったことを宣言。

6.恐れおののく民衆に、ゆるしの約束と悔い改めをすすめ、信者がふえていく

多少の前後があったり、省略があったりはしますが、おおまかな流れとして「あなた方が十字架につけた」と脅す(笑)→人々が動揺→悔い改めを説くというのが共通するところで、

とくに『あなたがた民衆が!!』イエス様を十字架につけたと強調するところ。ここが使徒言行録作者の実にうまいところで、「あなたがたが罪を犯した」と断言することによって聴いてる人々(そして読んでる人々をも)を恐怖に巻き込んでしまう。

これ言われたらたしかにオソロシイですよねぇ(^^;)

やべー、やっちまったー!と思いますよねぇ・・・・。

「お説教の上手な神父はこういうかんじで、「わたしたちは~」という表現使って人を巻き込むんですよね・・・・」と、講師の澤田神父がおっしゃってましたが、そういえばうちの神父は「わたしたち、どうですか?神さまに答えてますか?」とか「わたしたち、~しなければいけませんよね!」とかよく言う!!

使徒言行録作者、たぶんルカは、人々を巻き込む。傍観を許さない。

イエスの奇跡は『神のわざ』、十字架にかけて殺したのは『あなたがた人間』、復活させたのも『神のわざ』。

このように、神のわざと人のわざを対比させてびびらせる。

すごいなあ。

 

余談ですが、使徒言行録のパウロと実物のパウロ(誰も見たわけじゃないけど(笑))はだいぶちがっています。

パウロは自分のことを「使徒だ」といいはってるけど、ルカはパウロのことを「使徒」とは書いてないし、

言行録の中のパウロは、ほぼシナリオ通りにしゃべってるけど、手紙の中の実物のパウロは「十字架と復活」しか述べてない。奇跡を行ったので神の子です、という言い方はまったくしていない。これはパウロが直接イエスとかかわっていないからなのかな。

あと、言行録の中のパウロはどこの土地でもまずユダヤ教の会堂で説教するけど、たぶん実物のパウロはある時点からユダヤ人は切って捨てていて、そんな最初に会堂に行ったりとかユダヤ人に気をつかってない。

「パウロがこれを読んだら、ユダヤ人のところになんか行ってないよ!と烈火のごとく怒るでしょうねぇ(^o^)」と、澤田神父はおもしろそうに語っておられました♪

 

ワタシが覚えてることだけ書きつらねるとなんだか支離滅裂ですが、澤田神父のおはなしはほんとにおもしろいです!!漫画にしたいくらい(笑)

ぜひぜひ「道の会・定例勉強会」にご参加ください(^o^)

そして6月8日どうしても行けないワタシのかわりに、パウロの回心の話聴いてきて~~~(ToT)だれかおねが~~~~い!!!