今日の神父のおはなしはマルコ2章、レビを弟子にする場面です。
イエスは税関を通り抜ける際、収税人のレビに「わたしに従いなさい」と声をかけます。
これ、イエスが弟子をスカウトするときの常套句です。
まったく突然、レビを弟子にスカウトするのです。なんか閃いたんでしょうかね。
レビの家で食事をもてなされていると、まあ噂を聞きつけたレビの仲間たちがうようよと集まってくるわけです。
レビの仲間ですから、揃いも揃って罪人ですよ。徴税人とか、その手下とか。
ヤツらみんな嬉しいのです。罪人とさげすまれる俺たちと知って敢えて交わってくれる方がおられると。
そんな様子を覗き見たファリサイ派の人々は、わざわざ罪人と食事するヤツの気がしれない。なんでこんな気違がチヤホヤされてんのか、と。
イエスはこたえます。「医者を必要とするのは、丈夫な人でなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
ここでいわれる「正しい人」とは、「自分を正しい人と思ってる人」のこと。
イエスの言う「罪人」とは、そんなファリサイ派も含むすべての人。
イエスにとってはすべての人が等しく罪人。
一方、公に罪人と決めつけられてしまってどこへ行っても嫌われる徴税人や治る見込みのない病人のようなものたちにとっては、一緒にいてもらえることだけで救われた気持ちになる。見捨てられてないって思う。
例えばあれですよ、クラスでイジメをやり過ぎちゃって、今度は嫌われる側になっちゃったような人。
そんな人がね、一緒にいてあげるよ。。。。なんて言われたら、人の何倍も嬉しいし、自分の罪もちょっとは反省するだろうね。そんなかんじ。ジャイアンの心の友になってあげるみたいなね。(とわたしは勝手に解釈した。)
こういう人こそ真っ先に、神さまの恵みを証しするんだよね。
。。。。。そんなかんじで、だいたいあってますかね?神父さま( ̄▽ ̄;)