中央自動車道「園原インターチェンジ」(下り線入口と上り線出口のみ)から車約20分、「飯田山本インターチェンジ」から車約40分の「下伊那郡阿智村智里杉ノ木平」で、古代から中世にかけての幹線道路だった旧「東山道(とうさんどう/とうせんどう など諸説)」最大の難所「御坂峠/神坂峠(みさかとうげ)」の信濃側登り口を左脇にして鎮まり坐す旧社格「無格社」の神社だ。
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祭神は「住吉三神(すみよしさんしん)」と言われる「底筒男命(そこつつのおのみこと)」「中筒男命(なかつつのおのみこと)」「表筒男命(うわつつのおのみこと)」だが、海の神であり航海の神である三神が、この山中に祀られた経緯は不詳だという。
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ただ、「古事記」に「阿曇連はその綿津見神の子」と記され、「日本書紀」に「海人の宗に任じられた」と記される「海神族(わたつみぞく)」の有力氏族「阿曇氏/安曇氏(あずみうじ)」が、発祥の「筑前国糟屋郡阿曇郷」(現在の「福岡県福岡市東区」「福岡県糟屋郡新宮町」)から、やがて「信濃国安曇郡」(現在の長野県「安曇野市」「大町市」「北安曇郡」「南安曇郡」など)への定住に繋がる「御坂峠」越えで、要衝の地として祖神を祀ったとも伝わるという。
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江戸時代中期以降に、第12代「景行天皇(けいこうてんのう)」皇子で九州の「熊襲(くまそ)」や東国の「蝦夷(えぞ)」討伐に遣わされた古代史における伝承上の英雄「日本武尊(やまとたけるのみこと)」(「古事記」では「倭建命」)、第15代「応神天皇」の諱「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」、「諏訪大社」の祭神「建御名方命(たけみなかたのかみ)」、「天照大神」の弟「須佐之男命(すさのおのみこと)」が合祀されたと言われており、現在の社殿は1889(明治22)年の建立になるという。
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境内には、755(天平勝宝7/皇紀1415)年に防人として徴用された信濃国の若者が、「御坂峠/神坂峠」を越える時に詠んだ4402番の歌(「万葉集 巻二十」所収)の刻まれた歌碑が1902(明治35)年に建立されている。
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その「防人歌」は、「萬葉集 知波夜布留賀美乃 美佐賀爾怒佐麻都 里伊波負伊能知波 意毛知知我多米 主帳埴科郡神人部子忍男」で「万葉集 ちはやふる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父がため 主帳埴科郡神人部子忍男(まんえふしふ ちはやふる かみのみさかに ぬさまつり いはふいのちは おもちちがため しゆちやうはにしなこおりかんとべのこおしお)」だ。「ちはやふる」は「神の枕詞」、「神の御坂」とは「東山道の難所と言われる御坂峠のこと」でその登り口に鎮まり坐すのが御坂神社になる。また、「幣」は「祈願するため神前に捧げる供え物」で、御坂峠からは幣の原型といわれる石製品が千数百点出土しているという。歌意「神の境域の御坂峠に幣を手向けて、祈る命の無事は、母と父のためです。」からは、残された両親のために生きて帰りたいと祈る思いが迫り来る。
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鬱蒼とした山中の境内は、樹齢1,000年を超えると言われる「日本杉(やまとすぎ)」や、樹齢500年を超えると言う「栃」の巨木を包む空間で、時間を切り裂いて現れる古代の空気が漂うかと、錯覚を呼ぶ空間となって存在している。